第59話
見守るのは胃がキュッとなるのです
「では、行きますわよ。」
ブリュンヒルデは乗馬に優れたグレートヒェンを副隊長に選び、彼女はブリュンヒルデの指示のもと、自身の領地と繋がりの多い令嬢たちで部隊を編成した。
彼女たちはグレートヒェンと同じ馬産地の領地を持ち、歩くよりも早く馬の背に乗るような乗馬に優れた少女たちだった。
ロリはユズとアストラッドと共にチハタンに乗車し、カントリーハウスを出る頃には、ブリュンヒルデ隊は既に先行していた。
キューポラに入ったロリは砲塔横から顔を出すアストラッドと並んで砲塔の前に座るユズが目に入った。
「ユズよ、いつもの場所じゃないのじゃな。」
「申し訳ありません。わたしがユズさまの場所にいますので。」
「ふぁっ!?」
まったく気配を感じさせず、ロングスカートの裾を風に翻してメイドがロリの斜め後ろに立っていた。
「まったくお主らは気配を感じんのじゃ!」
「ありがとうございます。」
「褒めておらんのじゃ!」
「アストラッドさま、そこの道を右に入り、すぐの分かれ道を左の隘路に入ってください。そうすると農道に出て、丘の上にある果樹畑に出ます。観戦はそこが都合がよろしいかと存じます」
「わかったのじゃ。ところでお主、先ほどのメイドとは違うじゃろ。」
「ご賢察痛み入ります。」
「やっと最近、お主らの見分けがちぃとばかりつくようになったのじゃ。」
ロリは腕を組んで胸を張った。
「それは困りました。わたしたちは奉仕種族として、主家よりいただいたこのメイド服に最適化した姿を取っていますが、奉仕を行ううちにどうやら偏りが出ているようですね。」
「奉仕種族じゃと? お主らは人族ではないの…か…? 」
ロリはメイドの顔を見詰めた。
黒髪をきつく結い上げ、陶器で出来た人形のように滑らかな頬に薄紅色の唇と美形なのに、目を離すと印象に残らないその顔には、困ったという言葉を口にしながらもまったくの無表情だった。
ロリはうっかりメイドの瞳を覗き込んでしまった。
タールのようにドロドロとした黒い光のないメイドの瞳にロリの目は吸い込まれ、言葉が途切れ、思考が遅くなってゆくことを感じていた。
「ダメっす。」
肩を強い力で後ろに引かれ、薄い胸に抱きしめられたロリはアストラッドに助けられたことを理解した。
「アストラッド!? 」
「ロリちゃん。この子らは北方の山脈のさらに奥にある極北の土地に住むものたちです。お前たち!! 移住には北方高位種族連の許可がいるはずなのに、どうしてこんなところにいるっすか?
ロリちゃん、絶対目をみちゃいけないっす!! 長命種や魔人種でも高位のものじゃないと精神を持ってかれてしまうっす。
アレっす、SAN値が減るっすよ。」
「う〜 そんな物騒なものもいるなんて驚きじゃ。あと、アレは南極ではないのか?」
「それは創作物っすよ。この子らは実在するっす。」
華奢な身体付きでいつも穏やかなドスコイ系美少女のアストラッドが珍しく敵意剥き出しでメイドを睨んでいた。
「変だなと思いつつ、視野に入らなくなったら記憶にも残らないので見逃してしまったっす。ちゃんと答えるっすよ!」
「アストラッドさまにはご心配をおかけいたしました。わたしたちは北方へと去った代々男爵家で教育係をしていたハイエルフのご指示でロートバルト男爵とその後継者にご奉仕するために株分けされたメイドでございます。
かの方はお住まいになられていたマナーハウスを何も知らない愚昧な男爵夫人に放火されても、わたしに女を処することを命じず、この先も男爵と後継者にご奉仕することを命じてくださり、わたしの存在意義を確定させてくださった恩人でございます。
なので、現在のエミリアさまがロリちゃんさまをはじめ、皆様に奉仕を許可されている以上、害意はございません。
ただ、エミリアさまは平気ですが、中にはロリちゃんさまのように精神系に動作不良を起こされる方がいますので、わたしもなるべく注意致しておりますが、皆様方におかれましても留意していただけると安全でございます。」
「……そうっすか。とりあえず信用します。」
「エミリアはアレが大丈夫じゃと……? あとわたしというがお主の他にはおらんのか?」
「いえ、ロートバルト家のメイドはすべて『わたし』でございます。」
「……アストラッド? 」
「奉仕種族は株分けされて自我が分裂するっす。逆に言うと一つの株ならそれらはいくつもいても一人っす。つまり、一にして多、多にして一っす。」
「ロートバルト家って本当に男爵家なのか、わたしには不思議になってきたよ。奉仕種族なんてわたしは初めて聞いたよ。」
「極北山脈にしかいない種族で扱い方を間違えるととても危険だと言われているっすからねぇ。
あっと、チハたん、こっちじゃないっすかね?」
「そうでありました。師団長どの、アストラッド殿、道が狭くなってきております。中に入るようにお願いします。」
「わかったのじゃ。ユズも入るのじゃ。メイドはどうするのじゃ? 」
「ご配慮ありがとうございます。わたしは平気ですので、どうぞお進みください。」
ロリがキューポラに入り、ユズとアストラッドも車内に入ると、中は真っ暗だった。ユズは小さな白い灯りを魔法で灯した。
「それにしてもとんでもない時にとんでもない事実が明らかになったのじゃ。」
「ほんとっすよ。」
「珍しく、アストラッドちゃんが怒ったね。」
「あれは油断できない種族っす。馬鹿な帝国貴族があれを怒らせて、危うく帝国の北半分が一方的な虐殺されるところをハイエルフの長老がその場を収めたって話がわたしのいるところまで流れてきたっす。」
「じゃから知っておったのじゃなぁ。明るくなってきたようじゃ。もうそろそろかのう?」
チハたんが林の中の隘路の抜けて、果樹園の農道から丘の上に到着し、山際に斜め停車した。ロリたちはチハたんの上に立ち、眼下の街道を見下ろした。
西のロートバルト市に向かい、四頭立ての黒い飾りの無い箱馬車が砂煙を上げて駆けていた。
その背後には五、六頭の馬に跨った黒い鎧を身にまとった騎馬隊が追いかけている。中の二人が馬車に矢を射掛けた。
「もう追いつかれそうだよ! ブリュンヒルデさんたちはどうしちゃったのかな? ロリちゃん、チハたんに撃ってもらう?」
「いや、ブリュンヒルデが妾に向かって言ったことを違えるとは思わんのじゃ。 もう少し待てぇ。」
ロートバルト平原の赤い荒野が広がる。
街道は平原の辺縁をかすめるように伸びる白い長い道だった。
箱馬車の後ろには何本もの矢が刺さり、その後ろには黒い鎧の騎馬隊が白い土ぼこりを巻き立てて追っている。
その奥、大回りで赤い大地を駆け抜ける五騎の騎馬隊が見えた。
後方の一人の令嬢が高らかに金属製のラッパを奏でると、馬の勢いがさらに上がった。
黒い甲冑を身にまとった追っ手よりもふたまわりほど華奢な馬上の令嬢たちが一斉に発砲した。
四人が手にしていたのはサンパチだったが、先程のラッパ手だった彼女は100式機関短銃で、彼女は四人から一馬身離れたところから追っ手に向けて連射した。
「来た!! ブリュンヒルデさんたちだ!! 」
ユズの歓声が上がった。
追っ手の一人が横倒しで落馬した。
他の馬も前足を上げて棒立ちになった。
足を止めた追っ手にかかわずらうことなく、ブリュンヒルデと思われる騎馬隊たちはそのまま駆け抜けた。
「あれ? どうするんだろ? 」
「手前を見てみい、二手に分けたんじゃろ。」
ロリたちの手前から同数の令嬢たちの騎馬隊が動かなくなった追っ手たちに向かって発砲しながら駆け抜けた。
「一撃離脱戦法っすね。戦闘機でするのは聞いたことがあるっす。」
「一撃離脱? ああ、『パルティアの射撃』のこと? 東方の騎馬民族の戦術だって本で読んだよ。こんな感じなんだ?」
「う〜ん、わたしも実際に見たこと無いからわからないっすけど、前の世界では空を飛んで戦う時の戦術でこれが主流だったっす。高速で近付いて一撃を放って、その勢いのまま逃げて、また近付いて撃つの繰り返しっす。」
アストラッドは右手を上から振り下ろし、水平にした左手の下を潜らせるとまた上に挙げて振り下ろしながら説明した。
「今回の部隊はローゼンシュバルツの東方に領地を持つ馬に慣れた貴族の令嬢で固めたから、このような戦法になったんじゃろうな。」
ロリは感心しながら眼下の戦場を眺めていた。
ブリュンヒルデとグレートヒェンが率いる二手の騎馬隊が大きな曲線を描きながら駆け抜けて、突撃を繰り返した。
彼女らの突撃により、追っ手の騎士たちはすべて落馬し、馬も横倒しになっていた。
ブリュンヒルデたちは箱馬車と合流し、数騎が護衛について、そのままロートバルト市内へと逃げていった。
「アストラッド、双眼鏡であたりに追っ手の仲間や監視がいないか、探すのじゃ。」
「わかったっすよ。」
アストラッドが両手で大きな双眼鏡を持ち、街道の奥や平原を探索した。
平原にかかる街道はまったくの平地で木陰もなく、隠れる所は見当たらなかった。
ロリたちのいる丘陵は果樹園の向こうからは低木の茂みがポツリポツリとあるだけだった。
「人の目で見える範囲には見当たらないと思うっす。これで魔法を使って監視しているって言うならわたしの目ではわからないっすよ。」
「ユズ? 」
「あぁ、いるねぇ。わたしの指差す方にある木陰を望遠鏡で見てみて。」
ユズはキューポラの上に仁王立ちして、遠方を指差した。
丘陵がなだらかに降り、低木の茂みの中、一本だけ大きく枝を広げた大木が見えたが、アストラッドが持つ偕行社の双眼鏡でも人影を確認することはできなかった。
「うん? んん〜 見えないっす。」
「そっかぁ。チハたん。」
「了解であります。」
チハたんは砲塔をぐるりと動かし、仰角をとった。
慌てて、ロリは耳を塞ぎ口を開いた。
ユズとアストラッドも宙を舞ってチハたんから飛び降りた。
ドォーーーーーン!!
砲撃音の後、二呼吸まで行かない間でユズが指差した木陰に着弾し、灰色の煙が立ち上がった。
砲撃音にも動揺する姿を見せなかったメイドは大木が粉砕された方向を見つめていた。
「これで大丈夫。」
「気軽に言うのう。ではブリュンヒルデたちのところに行くのじゃ。」
「了解したであります。」
チハたんが答えると一度バックをしてから、急傾斜に車体を向けるとゆっくりと振り子の重心が動くようにガクンと下に落ちた。
「チハたん!! 落ちる!! 落ちるのじゃ!!!! 」
「やばいやばいやばい!!! 滑ってるっすよ!! 」
「チハたん、もっと安全にできないの!? 」
「はははっ! 師団長殿たち、これくらいではチハたんは落ちないであります。」
ズズズッ
チハたんの車体が傾斜の乾燥した土に滑りながらも無限軌道を回転させて、斜行した。
ギィヤァァァァァァッ!!!!!
ロリとユズ、アストラッドの叫び声を響かせながらもチハたんは丘の麓にたどり着くと、先程の戦闘の後へと向かった。
追っ手たちが跨っていたが既に息絶えた馬とその主人たちの横に一人だけ息をしている騎士がヘルムを外されて、縄で括られて、ブリュンヒルデのピンヒールブーツの下敷きになっていた。
白髪混じりの金髪に顎の太い男の顔は苦しげながらも、まだ戦意衰えない敵意が込められた目でブリュンヒルデを見上げていた。
「どうじゃ? 素性はわかったか?」
ロリがブリュンヒルデに問いかけるとグレートヒェンが一歩前に出て答えた。
「はい。馬の後脚に軍馬の生産牧場から出荷された証である焼印があり、蹄鉄の形も特徴的で、この国の北東でよく使われるものです。また、この鎧の形式は最新式で魔法攻撃に対しても耐性があるものです。」
「ほう、ではどこの手のものかわかるのじゃな。」
「はい。それなりに普及しているものですが、作り方が難しく、工房が限られているので、そこらの傭兵団が使うことができるようなものでは無いです。また下級貴族では購入はできても数を揃えるのが大変です。そのような鎧に所属の紋章やカラーリングをせずにこのような後ろ暗い仕事に使うのであれば、この鎧の価値をそれほどとは思わないようなとても余裕のある高位貴族です。」
「なるほどのう。で、ブリュンヒルデよ。そっちの男はどうじゃ。」
「グレートヒェンの知見でそこまで分かれば、この男の価値はありませんですわ。」
「お、おい…… 」
「どうせ囀るつもりはないのでしょ?
あなたの見た目も北部の人族の特徴である、金髪に碧眼、そしてその体格の良さはいくら傭兵団だとしても、下々の人族の育ちではありませんわね。乗馬も剣の構えも騎士階級の教育です。グレートヒェンの分析と併せてあなた方の素性はしれますわね。」
「女だてらにそれだけの技量に知識、ただの女冒険者ではあるまい。それにお前たちが持っている武器はなんだ!? みたこともないぞ!!
あと、あと、その大きな鉄の塊に乗ってきた子供は……
見覚えがある…… どういう事だ…… 死んだはずじゃなかったのか?
殿下の侍女が剣を突き立てるところを俺はみたぞ!?
なぜ、生きているんだ?
……お前たちは何者だ!?」
「答えると思いまして?」
ブリュンヒルデに踏みつけられて青ざめた顔で彼女を見上げたが、何の感情もなく、腰のホルスターから、ロリと同じモ式大型拳銃を引き抜いた。
バン
男の眉間に穴が開き、間抜けなほど驚いた表情で固まった男に足をはずし、ブリュンヒルデは暗殺者の後始末を命じた。
街道で穴を開けることは許されていないため、平原の脇にアストラッドたち、身体強化魔法を使える力自慢の女性たちが馬や人を運んだ。
そして鎧や蹄鉄、剣、馬の焼印が押された皮膚を切り取り、後をユズの火炎魔法で燃やされることになった。
ユズはロリやアストラッドから火の色と熱の関係を学んでいたため、彼女が出した青白い透明な火の玉はあっという間に骨すら焼き尽くした。
離れたところでロリの目に遺体の処理が入らないように横に立っていたブリュンヒルデは隣の金髪を揺らしている高貴な面立ちの少女に目を合わせずに話しかけた。
「姫さま。」
「なんじゃ?」
「ブリュンヒルデのことを恐ろしくなりましたか?」
「……はじめからブリュンヒルデは恐ろしいのじゃ。妾が怠けたり、人を馬鹿にするとすぐに怒るのじゃ。 ……じゃから、そのような顔をすな。」
「はい。」
「これからもブリュンヒルデたちには辛いことをさせてしまうじゃろうが、妾はそなたらを誇りに思うのじゃ。」
「ありがとうございます。」
「こやつらを埋めたら、馬車を追いかけるのじゃ。」
「はい。あと、姫さま。チハたんから何かを打ち出しましたわよね。あれはなんだったのでしょうか?」
「ああ、あれはユズとアストラッドがこやつらの後ろで監視していたものを探し出して、チハたんの大砲で潰したのじゃ。」
「そうでしたのね。とても遠くに煙が立ちましたわ。あれほどの遠距離への攻撃は魔法でも難しいですわ。」
「じゃろぉ〜 ふふん。 ……それにしても、今日は情報量が多すぎじゃ。こやつ、妾の襲撃に立ち会ったのじゃな。」
「……ええ、侍女ですか…… 誰だったのでしょう? 」
「そこは詮索せんでもよいじゃろう…もう皆、いないのじゃからな。」
「はい。」
二人はもう戻ってこない何かに向かって取り残された人のように淋しい表情を浮かべた、
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