第55話

 演説って才能だと思うの。


 ロリたちはギルドに戻るとすぐに温泉に浸かり、ブドウジュースで乾杯した。

 今日の食堂の定食メニューは羊とたくさんの野菜をスパイスで煮たカレーによく似た香りのするシチューと芋をチーズと胡椒を混ぜて潰したマッシュポテトだった。三人はシチューにマッシュポテトを浸して食べたり、辛い香辛料と酢で作った調味料を混ぜて味変して楽しんだ。


 「この生活も今日で終わりじゃのう。」


 テントに戻った三人は入口に並んで仰向けになり、星空を見上げていた。


 「あっちに行ってもテントを張って、チハたんの隣で住むってどう? 」


 「ロリちゃんの教育係の令嬢さんが絶対許さないっすよ。」


 「ブリュンヒルデか〜 あれがそばにおると、無意識に体が震えるのじゃ。脳の記憶とか以前に体に染み込まされておるのじゃろうなぁ。何があったか、妾は知りとうないのじゃ。」


 「あの人、相当やるっす。シャルロッテさんも隙がなかったけど、ブリュンヒルデさんはそれに覇気がともなっていて、体にまとわりついているっす。」


 「ファイヤーボールでも剣で切り裂きそうな感じだよね〜」


 「おっかないのじゃ。国の貴族の男はよくあんなものを嫁にしようと思ったのじゃ。」


 「勇者っすね。」


 笑い合って、また三人は静かに星空を眺めた。


 「でもロリちゃん、いいの? 」


 「何がじゃ?」


 「その、民間軍事商会? ってのを立ち上げてマムルク騎士団の代わりになるってことは人とも争うことになるかもしれないんだよ? 」


 「妾は……覚悟の上ではじめるつもりじゃ。他人を殺めることについて抵抗しかないのじゃ。妾の記憶のぺどにいとやろうはどのような理由でも、他のものの命を取る行為を嫌がっておる。自分が食べる魚の始末にすら嫌悪感を持つような国じゃったようじゃ。

 じゃが、元々の妾の魂の器であるカロリーヌは命を奪う行為に拒否をせん。

 元はそういう娘だったのじゃろうな。

 その矛盾で妾は頭がおかしくなりそうじゃ。

 でものう、結局、カロリーヌがぺどにいとやろうに勝ってこの体の主導権を握ったように、妾の心もカロリーヌが強いのじゃ。

 カロリーヌがいうのじゃ。生きることは戦いじゃと。戦いの場に身を晒すことが、はじまりじゃ、そして守りたいのなら勝つのじゃと。」


 「すべては女王陛下の御心のままに。」


 ユズは胸の上に右腕を置き、頭を軽く持ち上げた。


 「ふふん。」


 「そおっすね。土俵に上がらなきゃ、はじまらないっす。」


 三人はそっとお互いの手を握り、目を閉じた。





 早朝、ブリュンヒルデが蒼く艶やかな軍馬にまたがり、ロリの元にやってきた。

 冬の足が遠くに聞こえるように澄み切って青い空の底には枯れた草に冷たい朝露の水滴がのっていた。


 「姫さま、おはようございます。」


 「ウニュ。大義であった。身支度をする。」


 「はい。お手伝いさせていただきます。」


 寝ぼけ眼のロリはばんざいをすると、そっとブリュンヒルデはパジャマを裾からめくり上げて脱がし、新しい下着と交換して普段着の淡い黄色のワンピースを着せてもらった。

 ボ〜ッとしたまま、ブリュンヒルデのもつ蒸しタオルで顔を洗ってもらったロリは寝ぼけた声で彼女に話しかけた。


 「で、皆のものの身体検査は終わったのか?」


 「身体検査とは?」


 「その者の交友関係、家の派閥、影響力のある親戚がどの派閥におるか、それに借金の有無や侍女や側近の身辺調査じゃ。どこから妾の情報が漏れるかわからんのじゃ。それに悪い想像をすれば、妾への暗殺だってあろう?」


 「はい。こちらへと戻ることはそういうことだと思ってました。」


 「さすがブリュンヒルデじゃな。で?」


 「ロートバルトへの道中、『イリス』や侍女、メイド、下働きを含む百五十六名のうち、急な体調不良などで五名が戻りましたわ。ロートバルトに到着してから、怪しげな物との接触をおこなったものはないとロートバルト女男爵のメイドからの伝言もございましたわ。ですから残った者たちはローゼンシュバルツ王国、公爵令嬢たるこのブリュンヒルデが保証いたしますわ。」


 「やはりというべきか、少なかったというべきか。まあ、良いのじゃ。今日は顔見せとお主らのメインウェポンになるものに慣れてもらうのじゃ。」


 「はい。」


 「では、朝食へと参るのじゃ。」


 やっと目覚めた表情になったロリは肌の露出を控えた長いマント姿へと整えたユズと肌が透けるように薄い麻のスリーブレスブラウスと薄墨色のキュロットパンツから素足がのぞくアストラッドという正反対の姿の少女達と一見令嬢のためのドレスに見えるワイドパンツの旅装のブリュンヒルデが続いた。


 「あの。」


 歩みを遅らせたアストラッドがブリュンヒルデに囁きかけた。


 「あなたは姫さまが現地でお召し上げされた使用人ですわね。何か?」


 「いや、使用人じゃないっすよ。おんなじ釜の飯を食べるおともだちっすよ。で、戻った五人なんすけど……」


 「でもあなた、奴隷の刻印が透けて見えているわよ。」


 「ああ、解放奴隷っすよ、一応。帝国の自治領で王国民から違法な奴隷狩りで捕まったっすから無効なんすけど、証書が小鬼に荒らされてしまって紛失したので、暗証番号がわからないっすから消すことができないっすよ。で、あの……」


 「ああ、答えてなかったわね。彼女らは各々、バラバラで護衛もなしで戻ったわ。……心配ね。道も悪いところが多いし、盗賊やそうね、奴隷狩りに会ってなきゃいいのだけど……」


 なんの感慨もなく、無表情に淡々と語るブリュンヒルデの様子にアストラッドは背筋が震えた。

 アストラッドは自分の胸くらいしかない小柄で淡い色合いの儚い見た目の少女を無機質な眼差しを与えた。


 「アストラッドと言ったかしら? 勘がいい子は好きだわ。でも口の軽い子は姫さまの身の回りには置けないわよね。」


 「は、はい……」


 「素直な子も好きよ。……これからよろしくね。」


 「はい。よ、よろしく、お願いいたします。」


 深々とお辞儀したアストラッドに興味を失ったブリュンヒルデは彼女から目を離した。


 「おお、アストラッドはブリュンヒルデともう仲良くなったか? ブリュンヒルデよ、アストラッドは言葉遣いはちぃと変じゃが、素直な良い子で力持ちじゃ。よろしく頼むのじゃ。アストラッドもブリュンヒルデは一見高慢ちきに見えるがなかなかに情の深い女じゃ。」


 「ええ、そのようですわね。」


 「はい、知ってます。」


 満足そうにロリは何度も頷いた。





 食事を終えて、愛馬で来たブリュンヒルデを除く全員でチハタンに乗車し、カントリーハウスに向かったロリは『イリス』の令嬢たちが勢揃いし、出迎えた。


 「壮観だね。」


 「注目!! カロリーネ・アウグステ・プリンツェシン・クラシス・フォン・ローゼンシュバルツ殿下こと、ロリちゃんよりご挨拶があります。」


 「えっ!?」


 ロリはブリュンヒルデを見上げ、そして正面を向くと目の前の数十人もの麗しくも猛々しい令嬢たちの騎士礼を受けた。


 「お、おう、皆のもの、表をあげるのじゃ。妾は、カロリーネ……いやロリちゃんじゃ。


 魔物たちが多く、未だ人跡未踏の地が広がるロートバルト平原の片隅で、名前以外の記憶も供回りもすべて失い、その代わりにチハたんたちを従え、この世のものとも思われぬ不可思議な魔道具を得たロリちゃんというものじゃ。


 そちたちの中には妾がまだ王国の四輪の黒薔薇の一輪と呼ばれていたころに出会ったものもいるじゃろうが、ちっとも思い出すことができぬ。


 すまぬ。


 妾のことはもう別人と思うてもらって良いのじゃ。


 それでも妾に何がしかの面差しを見つけるものならば、この後の話を聞いてほしいのじゃ。


 妾はくだらぬ戦争の結末で自分さえも失ったようじゃ。


 しかし、妾は幸運に恵まれたと知ったのじゃ。


 貴族の責務で全てを失い、それでも民草のために幼い身を粉にして働く令嬢や大きな怪我で騎士として生きることを捨てて家でじっとしていることしか出来ぬ父を必死で支える娘。そして戦に翻弄されて耐えるしかない民衆。


 妾は縁あって、バイスローゼン王国のロートバルト女男爵領でみなし冒険者として、ユズやアストラッドと共に生きてゆく中でそのような者たちと出会った。


 この辺境の地は妾を守るべき子供として慈しんでくれたのじゃ。


 妾はこの土地の者たちに感謝をしたい。


 そして何かをしたいと思おておるのじゃ。


 しかし近年にない規模の『蝕』や愚かしい理由での戦争の後始末のどさくさに紛れて小鬼のように薄汚い濁った目を向けるものがおる。


 そのような小鬼は得てして権力を持ち、迷子の妾には手にあまる。


 しかし、アニカやシャルロッテ、グレートヒェン、ヴィルヘルミーナが妾を見つけ、ブリュンヒルデと共にそなたたちが妾の下に参じてくれた。


 しかもそなたらも先の戦争で不遇をかこちつつも長らく、妾の生存を信じ、忠誠を尽くしてくれたという。


 じゃが、妾はそちらの忠誠に応える術も持たぬただの迷子じゃ。


 迷子じゃが、ロートバルトの民とそなたらに恩を受けて素知らぬ顔をすることは妾の矜持が許さんのじゃ。


 妾は考えた。


 そして、妾もそちらもロートバルトも得になるような事を思いついた。

 

 そちたちは弛まぬ努力で皆高度な教養と社交のマナー、領地運営のための知識や技量、そして騎士に劣らぬ武芸を身につけておる。


 それを売るのじゃ。


 戦争ですり潰してしまった武力の不足で邸宅や領地の警備が足りないのなら貸し出そう。


 急な代替わりで領地運営の知識が不足しておるのならば、そちらの持つ知識と経営手腕を貸し出すのじゃ。


 経済的負担が大きく人材難で令嬢の教育や社交の付き添いに悩むのなら、ガヴァネスとしてマナーの教育や社交のためのレディス・コンパニオンとなるのじゃ。


 これが妾の考える商会の仕事じゃ。


 貴族の令嬢、淑女や貴婦人にしか出来ぬ仕事じゃ。


 そちらの持つ教養、武芸、領地運営の知識を妾に貸してたもれ。


 妾はそれを用い、まずはロートバルトのエミリア女男爵の領地の安堵のために使い、代償を得る。


 そして妾は矜持を守ることができる。


 武芸を磨いたと言っても、男に体格や力で負けるという令嬢もおるじゃろう。

 

 それは正しいじゃろうな。


 じゃが、妾は妾のそれまでの人生を奪われた代償にチハたんをはじめとする戦車や装甲車、サンパチちゃんやマウマウなどの銃器がある。


 見たこともないようなこの魔道具はこの世では過ぎたる武器じゃ。


 戦術次第では、どの王国の正規騎士団とも伍することができるじゃろう。


 何も覚えておらんただの迷子について行くことに不安を覚える者もおるじゃろう。


 この場を去っても妾は咎めぬ。


 妾は、共に戦い、自らの命を生きる覚悟のあるものを求めておるのじゃ。


 そのような者たちは妾の下に来るのじゃ。」

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