第45話
舌戦、腹の探り合い
エミリアの祖父から譲られた大きな執務机の前に置かれた座り心地の良さそうなロッキングチェアに彼女の後見人と思われる老人が座っていた。
老人はロリの様子に表情を変えることはなかった。
しかしロリは彼が揺らしていたロッキングチェアのリズムが崩れたことに気がついた。
彼女は気安い調子で声をかけた。
「どこぞであったかの?」
「はて、もう良い歳ですので最近はとんと人の顔と名前が思い出せずにおりますの。」
「であるか。ならば、そのまま自然に任せて無理をするでないのじゃ。年に逆らっても良いことなぞなんもないのじゃ。で、自分の名前くらいは思い出せるじゃろ。」
「おぉ、そうでしたな。わしはアルマン・デュ・プレシー、元リシュリュー伯爵と申す。もう今となってはただの隠居ですな。」
「なるほど。ではプレシー殿と呼べば良いのじゃろうか?」
「殿は必要ないですのう。」
「かといって、妾はただのみなし冒険者のロリちゃんじゃ。引退とはいえ、貴族を呼び捨てなんぞできるわけないのじゃ。」
「ほう、身なりといい、そのご様子といい、ただの冒険者とは思えませんのう。」
「ふん。腹芸はそこまでじゃ。どうせ、エミリア卿から聞いておるのじゃろう。妾は何も覚えてなどおらんわ。平原のど真ん中に見たこともないような奇怪な魔導具とともに転がっておったのじゃ。で、お主は何者じゃ。」
ハラハラと二人の会話を間で聞いていたエミリアは口を開こうとしたが、老人に止められた。
「引退したのは本当ですなぁ。陛下の近臣は入れ替わったのでのう。」
「であるか。妾にはとんと興味なんぞないわ。卿の好奇心も満足できたであろう。どこぞの娘によく似た迷子が一人平原に迷い込んだというところじゃ。」
「今からでも親御さんを探しに出られませんかのう?」
「妾は親の名どころか、顔すら覚えておらんのじゃ。たとえ、お主が勝手に親じゃ、兄じゃ、姉じゃ、弟妹じゃと名乗るものや挙句に許嫁じゃと連れてこられても、迷惑なだけじゃ。妾はこの地で、のどかにその日暮らしを楽しんでおる。妾のような根無し草など放っておくのが一番じゃ。」
「そう上手くゆくのでしょうかのう。」
「行かねば平原にでも乗り出すとするのじゃ。こちらには平原を散歩でもするように一人で渡ってきた稀代の大魔導師がおるのじゃ。西の果てにでもゆけば、また妾の天幕を張る場所くらいは見つかるじゃろ。」
好々爺のような眼差しがユズに向けられ、その陰に隠れているアストラッドに移った。
「噂には聞いておるのう。なんでも平原に大穴を開けた殲滅型の極大魔法を使った大魔王がいるとか。」
「また、変な称号がついてる〜 絶対ロリちゃんのせいだよ、これ〜」
「一人で千もの小鬼(ゴブリン)を一度に葬り去るところを見せれば、やむなしといったところじゃ。諦めるのじゃ。」
「あれは極大魔法じゃなくって、きちんとタネも仕掛けもあるものだよぉ〜」
「ふぉふぉふぉ。そちらの方が怖いのう。極大魔法となれば、使い手は歴史上でも片手の指が余るほどだが、手妻(てづま)で極大魔法並みの威力が出せるのかのう。」
ユズが口を開く前にやっとエミリアが口を挟むことができた。
「アルマンおじさま、わたくしもユズさまの今回の手妻とやらを聞かせていただきましたが、並みの魔法使いでは真似のできないような繊細な技術と魔力量の多さで『氷雷の貴婦人』であれば可能ではないかとの言うべきものでして、さまざまな引き上げでなられた宮廷魔導師など…」
「エミリア卿、いまは謁見ではないとは申せ、外部の方を招いているのだから、わしのことはプレシー卿と呼ぶ方がよいのう。」
「あっ……」
苦い表情の老人にエミリアは首をすくめて、泣きそうな表情を見せた。
慌てた老人は自分が後ろ盾をしている若い女男爵をなだめた。
「まあよいよい。宮廷魔導師のう…… 子育てで休んどる冒険者に負けるような宮廷魔導師など話にならんのう……」
「なんか、聞き捨てならないようなことが聞こえた気がするっす。」
「コッペリアさんはハイエルフの血が混じってるんじゃないかな? エルフって美形が多いけど、その中でも頭抜けてるしね。」
「『原初の種族』か?」
「『原初の光の民(ウップルーニ=アールヴ)』はその名前の通り、アストラッドちゃん達みたいな感じの人たちだよ」
「あっ、いいえ。わたしたちのような白銀じゃないっす。あの人たちはまるで金剛石のように光を取り入れては反射する、眩しい人たちっすよ。」
「ほう、てっきりお嬢ちゃんは原初のエルフの民かと思っておったがそうではないのか。」
「アストラッドはホワイト・ドワーフじゃ。で、ハイエルフとは何者じゃ。」
「『原初の光の民(ウップルーニ=アールヴ)』と白エルフの間にいるような存在? エルフって進化の過程の人たちがそのまま共存してるからなぁ。」
「なんじゃ。ジゼルが一番新しいのじゃな。」
「新しいといえばそうだね。人に近い……うん、そう。人間族や魔人族達に近くて、旧世代よりも感情を表に出すエルフ達だね。その代わり、魔力は落ちてるけど。」
「まあよいのじゃ。エミリア卿、本日の用事はこれで終いじゃ。」
深いため息をついたロリは自分勝手に謁見を締めた。
慌てて頷いたエミリアは腰を浮かしかけたが、後見人とロリのまなざしに座り直し、もじもじしながら、再度頷いた。
「あっ、はい。お手数をかけ……んふっ、ごほっ、ご苦労でした。もう遅いので、食事と休む場所は用意してあります。ゆっくりとしてゆきなさい。」
相変わらず、言葉と態度が一致しないエミリアに生暖かい眼差しを送ったロリとユズ、アストラッドは執事長の後ろをついて退室した。
閉められた扉の向こうでは、何やらエミリアの大きな怒声が聞こえていたが、ロートバルト地方の方言が強く、三人には聞き取れなかった。
ジェラルドとともに招かれた部屋より数段落ちるがそれでも瀟洒な客室で三人は最近よく獲れていると言われる兎肉がメインの夕食を取った。
その後、メイドたちによる湯浴みと身繕いをさせられて、用意されていたナイトウェアに身を包み、硬い壁と屋根に覆われた柔らかいベッドの上で夢に落ちた。
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