『騎士と帝の狂想曲』

陸原アズマ

第1話


「季詩」


今一番聞きたくない声が、私の名前を呼んだ。しかしそんな気持ちを表に出してはいけない。廊下に張り出されたテストの校内順位に釘付けになっていた視線を外し、微妙に寄っていたであろう眉根を緩め、あえて口角を上げて振り向く。うん。これで偽装は完璧。


「やあ常住君」


硬そうな黒髪と漆黒の瞳が、私の顔を覗き込むようにしてこちらを見ている。

それどころか彼、常往帝は肩が触れ合いそうなほど近くにいた。

いや、あのさ…………。


「今回も僕と季詩が1位と2位だったな」

「そうだね。さすが常住君」


この距離感で何事もなかったように話進めるんかーい。

最近、やたらと近い気がするんだけど?幼馴染だからと言って、中学まではここまでベタベタしてなかったよね、私たち。

とりあえず、半歩引いてみる。それで意図が伝わるかとも思ったが、帝は全く離れようとする気配がないどころか、半歩寄ってきた。何故だ。

なんか近いよ。近いんだってば。


「季詩だっていつも頑張ってるだろ。今回は僕も季詩に負けたかと思ったよ」

「やだなあ。常住君ってばさすがに謙遜が過ぎるよ?」


う、嘘こけー!勉強も運動も子供の頃から一度も勝てない相手から言われても屈辱なんですけどー!?許すまじ常住帝。

でも実際、今回のテストは手ごたえがあったし、私だってさ……。


「まあ次も季詩に負けないように頑張るよ」

「あはは、お手柔らかに頼むよ」


個人的にはもう負けるのはこりごりですけどね!?悔しいから!!!

出来の良すぎる奴がずーっと隣にいると肩凝るんですよ!?

全く、口元に意識を向けないと、変に歪みそうで困る。相変わらず帝は離れないし。ああ、微妙に傾けている背中が痛い。

だけど今回も周囲の様子を見るに、どうやら本音がバレずに済みそうで安心した。


「常住君と王寺さん、並ぶととてもすてきだわ!」

「まるで物語の中に出てくる皇帝と騎士様のようね………」

「常住君、理事長の息子で、本人も非の打ち所のないイケメンだなんて、国宝級の存在すぎる……」

「王寺さんは淡い髪と瞳の色までお美しいわ……」

「でも……」

「ええ、そうね」

「言いたいことは同じよ……」


聞こえてきた女子生徒たちの会話から、自分の猫かぶりも帝の異常行動も特に怪しまれていなくてほっとする。

それに周囲にいるたくさんの女子生徒たちもいつも通りだな。やはり気にしすぎでは?

学園長に『二人とも高等部入っても今のままで大丈夫?』ってやたら心配されたからって、考えすぎだったか……。


「わ」

まずい、こういう日は気をつけるんだった。制服の紺色のスカートが少しだけ、風で揺れる。


「風の強い日にスカートって大変だな」

「ああごめん常住君」


さりげなく帝が風よけをしてくれたみたいで、それがなんだか少しだけ癪に障る。昔はなかったはずのこんなことで、なんだか負けた感じがしたことにまた悔しくなった。


「王寺さんが女性でなくて、男性だったらもっと素晴らしかったわ……」

「今でも十分素敵だけど、どうせなら……」

「そうよね……惜しいわ。人類の損失だわ」


はい?庇われたのを見られたのはちょっと屈辱に思いつつ、なんだか今、気になると言うか、不思議な言葉が聞こえてきたんですが……?


「あなた方、分かっていないわね。お二人は並んでいるだけで価値があるのよ」

「そうよ。むしろここが人生にとっての楽園でなくてなんだというのかしら?これだから素人は」


え、なに?それどころか、なんだかおかしな派閥まで出来上がってない?

いや、やっぱりこれは確かに問題あるな?ちょっと完璧に猫かぶり過ぎたな、過去の私?というか帝が幼馴染の時点で目立つのは仕方ないとして、悪目立ちはしないように気をつけていたつもりなんだけど、これはさすがに目立ち過ぎだな?


というかそれ以前に、帝と私はそういう関係ではないんだけど……?

なにより帝がわざわざここで声を掛けてくれたおかげで、ますます人だかりが凄いことになっている気がする。


「どうした季詩?具合でも悪いのか?」


あの、今、かなり目立ってます常住さん。不用意に顔を近づけるんじゃない。ほら、甲高い悲鳴と黄色い歓声が聞こえてきたじゃないか。


「少しぼーっとしてただけだよ。ほら、混んできたし、もう教室に戻ろう」

「分かった」


目の前に迫った顔を仰け反って避けながら、帝の手を引っ張った。あ、急いで離れるためとはいえやり過ぎかも……。人ごみから抜けてすぐ体を遠ざける。でも帝は大股で距離を詰めてきた。だから何故?

というかこの噂、最近のこの距離感のせいじゃない?つまり帝のせいでは……?


「なあ、帰ったら、そっちの家行っていい?」


親し気に背中を叩かれ、肩がぶつかる。

ねえだから近くない?さっきから近すぎて距離感がすでに良く分からなくなってきてるんだけど、今も十分近い……よね?

というかなんか、さっきからいちいち子犬っぽさない?大っぴらに拒否しづらいな!?



「ねえ、なんで名前呼んでくれないのさ」


帰宅したはずなのに、いつの間にか私の部屋にいる帝は、仏頂面でこちらを睨んでいた。

というか何を当然のように部屋に上がり込んで座っているんだ、君は。


「それより窓から入ってこないで。靴を室内に置かないで」

「高等部入ってから季詩がよそよそしい」


勝手に部屋に入ってきて、机に頬杖を突きながら文句を言うんじゃない。

よく分からないがこれは拗ねている?なんかこういう態度取られると言いづらいな……。まあ必要なことだから言うけど。


「逆に、今までが近すぎたと思うんだけど。もう高校生だし、将来は私も君もお父さんの後を継ぐでしょ。君の部下になるんだから今話してるくらいの距離感が丁度いいよ」

「……良くないよ」

「というか皺になるでしょ。不貞腐れてないでブレザー脱ぎなよ」

「季詩は昔から僕の世話を焼こうとするけど、そんなのしなくていい」


今日はいつになくネガティブだな。私が立とうとすると大人しくハンガーを手に取ったし。学校では普通だと思ったんだけど……実は何かあった?


「今さらそんなこと言って、どうしたの?」

「季詩はもっと友達作って遊びなよ」


私に友達?また唐突だな。しかもさっきから要領を得ないから、何が言いたいのかいまいち分からない。それに、どうせ家族ぐるみの付き合いもあるし帝といることは多いんだから、別に友達付き合いで困ったことないけど。

それに、まあ確かに目立つだろうから反感も買うだろうが、特別に他人から嫌われているとか、そんなこともないはずで、余計に分からない。


「もう、父さんの言うこと聞く必要だって、別にないんだよ」

「なんでよ?」


それとも高校に入ってからますます女の子に騒がれるようになったから、昼間のことでも気にしているからこんな話をするのか?でもそんなタイプでもないしなぁ。一体何が……


「あのさ、僕のことは気にしなくても良いから」

「は?」


気にするな?何をいまさら。気にならなかったらどんなにいいか。今までずっと一緒にいたんだぞ。無理でしょ。それにさっきから聞いていれば何なんだ。学校ではあんなに寄ってきたくせに。腹立つな。立ち上がって、開いたままの窓まで歩く。カーテンを手で押さえながら、窓の向こうに見える帝の家を指さした。


「帰って」


顔におそらく『めんどくさい』というのがモロに出てしまっているだろうが、もう知ったことか。


「季詩」

「常住君、また明日」



今日一日、帝と口を利いていない。

意地を張って下校時まで話せない私も人のこと言えないけど、帝も帝だ。重要なことになると慎重になりすぎるというか、いつまでたっても臆病でチキンなところがある。

仕方ない、クラスメイトも異変を感じているようで視線を感じるし、ここはわたしから……。


「季詩」

「な、なにかな常住君?」


いつの間に後ろに!?いつも前から来るくせに卑怯な……じゃなかった、おかしい。こっちが正面から見てもなかなか目が会わないなんて、いつもの帝じゃないから調子狂うなぁ。


「話があるから、ちょっとついて来て」

「……分かった」


なんか、かなり思いつめた表情をしていたけど、もしかして大丈夫じゃない?

さすがに冷たくし過ぎたかな。……後で謝ろう。


と言うか今、私としては帝の後ろを歩いている私の後ろから、大勢の足音が聞こえているのがかなり気になる。

校門と逆方向に歩いているようだけど、家じゃなくて良いのかな……? この分だとギャラリーが多い気がするな?良いのか?

……多少離れているみたいだからまあいいか。多分大丈夫ということにしておこう、うん。

一方の帝は見られていることが分かっているのかいないのか、中庭で足を止めた振り向くと口を開いた。


「……季詩はさ、なんで僕といるの?」


昨日の今日でまだ言うかこいつは。でもまあ、結構悩んでるみたいだし、ここは真剣に答えた方が良いかもしれない。

それに、お互いのことを今話しておけば、昨日みたいにはならないかもしれないもんな。


「昨日も言ったけど、私は納得しておじさんの言うこと聞いてるし、お父さんの仕事を継ぐ覚悟してるんだよ。だから、何を気にしてるのか知らないけど、君が気にすることじゃないから」


そう言い切った私を、帝は豆鉄砲を喰らった鳩みたいな顔をしている。何故?昨日と同じ話をしているはずだけど?


「……納得してるなんて話、初耳なんだけど」


あれ、かなり動揺してるな?こんな絞り出すような声はさすがに聞いたことないかも……?悪いことしたな。だけど昨日その話はしたと思ったんだけど……?


「いや、だから昨日……」


『逆に、今までが近すぎただけだと思うんだけど。もう高校生だし、それに私も君も将来、お父さんの後を継ぐでしょ。君の部下になるんだから今話してるくらいの距離感が丁度いいよ』


もう一度同じ説明をしようとして、自分が昨日言った言葉を思い返してみる。

うんまずい、そこまではちゃんと言ってなかったな。


「……言ってなかった」

「そのあたり聞こうとしたら、季詩ってば急に怒るんだもん」


しゅんとした帝に、少し恨めし気な表情でとがめられた。

う、自業自得とは言え、これはちょっとこたえるな……。


「ごめん。でもそれは、帝が否定的なこと言ってたから、てっきり……」

「まあ、そうなんだけど。だって季詩は、僕といるの嫌なのかと思ってたから。そこまでして無理に父さんたちの言うこと聞かなくていいって言いたかったんだ」


成程。早とちりしてキレたのは私か……。


「……ごめん」

「……いいよ。僕も勝手に、父さんと約束しちゃったし」

「おじさんと?何を?」


おじさんは厳しそうに見えて激甘だから、奥さんの天音さんに息子との直接の関りを禁じられている筈では?

いや、今はそんなことどうでもよかった。


「君が、高等部進学と同時に父さんたちの仕事手伝おうとしてたのは知ってる。でも待ってくれって僕が父さんに頼んだ。そういうのは僕が季詩に負けたときにしてくれって」


おいこら本人のいないところで一体何の取引をしている?

いや、また早とちりして怒っては元も子もない。

ここは大人しく聞かなければ。ひとまず帝を掴んで揺らしそうになった腕を、組むことでなんとか抑えた。


「……それはまた、なんで?」

「僕は季詩のこと、部下だなんて思ったことないんだよ」


顔が良いんだから、真剣な表情で不意打ちはやめてほしい。まるで対等だと言われているようで口角が上がりそうになるのを抑えるのが辛いから。まさかわざとやっているのか?なんて恐ろしい……いや、それよりも。他にも気になることはないでもないけど、でもまずは何より、帝に思い違いがあるなら正さなくてはならない。

そのために、自分ではありえないと思っていることをあえて尋ねてみようじゃないか。


「それは私が、お父さんとおじさんに自分たちの仕事を継げって言われたから、君の傍にいると思ってるってこと?」

「そうじゃないの?」


はい!?全然、違いますけどぉお!?

「は、…………違うけど!?」


……危うく素で叫ぶところだった。ここが学校だということは忘れてはいけないわ、季詩。落ち着こうじゃないか。

……というか本当にそんなこと思ってたの!?

全く違うんですけどぉおお!?そんな訳ないから!

これは少し、自分の頑なな態度も改めなければならないようだね……。


「あのね。継ぐ気はあるの。お父さんたちに言われたからやってるんじゃないよ」

「そう」


帝は眉根を寄せて、大げさに視線を逸らした。

ああ、これ信じてないやつだ。一体何が気になるんだ……。


「もっと、普通の女の子がするようなことしなくていいの。昔のあれ、ぼくのせいだろ」


まさか、子供の頃の私が珍しい名前とか容姿をからかわれたときのことまで気にしてる?


「それは私が変わったきっかけではあるけど、全然君のせいじゃないでしょ……」

「僕といると、きっと悪目立ちするじゃない」


なんで帝が責任感じてるんだ……目をつけられたのは自分のせいだと思ってるのか?いや、そんなわけないから!


「良いよ。それはお互いさま」

「この前みたいに、謎の派閥争いにも巻き込まれるかも」

「……それはちょっと困るけど、今までも似たようなことはあったから。それに、規模が大きくなったときにはおじさんたちにも助けてもらえばいいよ、学校のことなんだから」

「……分かった。そのときは僕も母さんに頭下げるよ」


おじさんには下げないのか……。かわいそうに。


「ぶっ」


扱いが雑なのが面白くて、つい笑ってしまった。つられたのか、帝も笑った。


「ごめん。ありがとう」


ああもう!そんな子供のときの泣き顔みたいな表情までされたら、全部言ってやりたくなるじゃないか。仕方ないなあ……。


「というか!私は君にこれ以上負けられないんだよね。そのための努力が結果として将来に役立つならそれでいいし、お父さんもおじさんも……それに、君のこともまあ、尊敬はしてる。じゃなきゃ一緒になんていない」


帝の陰気臭い顔が、少しずつ晴れていく。これでいい。


「だから、私が帝に縛られてるとかはないから。心配なんて屈辱」


違う、これがいい。


「というか私はね、散々負け越してるの。勝つまで付きまとうよ。勝ち逃げなんて許さないから、帝」


だから……いつもみたいに笑ってよ。


「なんだよ。相変わらず口悪い」


君も大概だけどな、この鈍感!


「季詩」

「何?」

「僕は、良い名前だと思う」

「……ありがとう」

「それに、王の傍には騎士が侍るものだしね」


良い笑顔で、なんてこっぱずかしいことを言ってくれるんだろうか、この男は。


「これからも期待してる。僕の『きし』」

「……仰せのままに」


あー……最初はなんで人目につく中庭なんだって思ったけど、今思えばここで良かった。

だってこんな恥ずかしいこと言われたら、こっちもそのモードに入るか、黙るかのどっちかしかないでしょ!?二人だったら確実に黙ってた!


負けたみたいで悔しいから『我が王』だとか、そういうことは絶対に、言ってやらない!


今は、まだ。

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『騎士と帝の狂想曲』 陸原アズマ @ijohsha_s

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