エピローグ
君とアウトロード
夏の熱気が嘘のように消え、肌を切りつけるような冷たい空気が吹く秋の夕暮れ。
そろそろコートが必要だなぁ、背負ったギターを風よけにネオンの駅前を歩く。
先生が昔お世話になったライブハウスで、初めて学校に関係なく演奏した。
セットリストは、以下のとおり。
1.君色イントロ
2.Rock on
3.Outside run
4.君とアウトロード
デビュー直前の人気バンドのおまけ扱いで参戦したものの、どのバンドより沸かせた。顧問兼サブリーダーの最果先生は、音楽プロデューサーの名刺をもらい、MV(ミュージックビデオ)の作成と、レコーディングの話をもちかけられた。
逆風くんは大して驚かなかった。デビュー直前のバンドが演奏する時点で、業界関係者が来ることは予測していた。そこに学祭後の群を抜いた私たちのバンドが演奏したら、こうなるのも当然だった。
……それにしても。
一緒に参加したバンドたちの人、つまらなかったなぁ。
大して知らないバンド間の、男と女の与太話。あの人がカッコいい・あの子がカワイイ――どうでもいいじゃん、他人なんて。もっと深く潜っていい音色を探せばいいのに。
と、批判してる私だが、女の子に囲まれた逆風くんに嫉妬していたけどさ!!!!
最近では学校の先輩や同級生、きょうは大人の女性に逆風くんは誘われていて、私の心は気が気ではない。当人はどこ吹く風で、虚空を見ては演奏を思い出し、(主に私の)あれがダメだ、これがダメだとネチネチネチネチ指摘する。
幸いなことに、逆風くんは音楽と家族にしか眼中にない。音楽に憑りつかれた人間は、世俗の快楽なんてどうでもいいんだ。
「今日のライブだった?」
隣を歩いていた逆風くんがぼやいた。
私はまたダメ出しされるんじゃないかびくびくする。変なことを言ったら怒られそうだ。
「べつに、ふつー」
「月下は相変わらず怖いものがないな……」
「いや、あるし……。おもに逆風くんだし……」
直視できず、前を歩く二人のメンバーをみる。
結晶くんとみちるちゃんが兄妹みたいに小突いている。二人は逆風くんのお父さんの影響をもろに受けて、私たちそっちのけで毎日毎日、音楽についてあーだー激論を交わしている。知識も技術もない私は、もうずっとずっと三人に置いてけぼり。
「いや、優しいだろ」
「演奏以外はね!」なんでこう自信に満ちているんだ。「でも、私が下手くそのままならどうせ見限るんでしょ」
「どんだけ無限ループするんだよ、その話題」
ほぼ毎日こんな会話をしている気がする。
さすがに昔みたいに私は弱くないけど。自分に多少の自信はあるけども。
――きっと私は逆風くんに確約してほしいんだ。ただのバンドメンバーじゃない。歌姫でもない。一番大事にされたい――そんな独占欲。
べたべたのあまあまの、糖類100パーセントのチョコレートケーキみたいな感情。
いまこの気持ちを歌にしたら、未練たらたらの、だらしない、芸術のかけらもない作品に仕上がるだろう。
はぁーやだやだ。女の子って。
男子みたいにもっとすっきりさっぱり割り切れる関係がいいのに。
きょうはやけに快晴で、ネオンがあるのに頭上の満月がきらきら輝いている。
こんな月の綺麗な日は、嫌でも後夜祭を思い出してしまう。
――私と逆風くんは、キャンプファイヤーを抜け出して、いつもの渡り廊下のベランダで、きょうの勝負の結果やお父さんのことを、火が消えるまでだらだらと話した。
そして、おもむろに訊いた。
『夏目漱石って知ってる?』
『あぁ』
ってか、それしか訊けなかった。怖くて。
それ以上踏み出せば、私と逆風くんの関係が終わりそうで。
以降、逆風くんはこの件について触れていない。安堵もするし、やきもきもする。いつか、本音を聴きたいのに。
私がぼーっと見上げていると、「なぁ」と声をかけられる。
月の下では、結晶くんの歌とみちるちゃんのラップが交差する。
「初めて外でのライブが成功したら、言おうと思ってたことがあるんだ」
「え?」
横を向くと、逆風くんが前髪をかいている。
「デビューしたら高校中退するつもりだ。ついてきてくれるか?」
……これは告白なんだろうか。
「みんなは?」
「まだ聞いてない。でも、月下が来てくれるなら、みんなOKすると思ってる」
「……みちるちゃんはいいけど。結晶くんと先生はどうかなあ? さすがにリスキーだよ」
「学園祭のときからみんな察してる。それなりの覚悟はあるさ」
そうだったの!? 私、全然わからなかったけど!
相変わらず間抜けな自分に、逆風くんは辟易してるとおもったが、なぜか余裕がなさそうだった。
彼は左半分の髪をかきわけて、両目で私を見た。
「正直なことをいう。月下さえいれば、ほかのメンバーはどうでもいい」
――息ができなくなった。
最近、音楽ばかり浸かっていた分、久しぶりに、個人的なこと、言われた。
あまりの不意打ちに頭がパンクしそうだ。 え、だって、私……。逆風くんについていくだけだし。そのために学校に来てたし。
えぇっと、どういうことだ。
私は、何を、求められているんだ?
「ダメか?」
逆風くんが死にそうな顔で俯いている。
え、あ! ダメとかじゃないし。べつに学校とかどうでもいいし! てか、そんないまにも自殺しそうな顔をしないでほしいわ!
「いいけど」私が言うと、逆風くんが少しだけ顔をあげる。「ってかいいの?」
「何が」
「私で」
「どういう意味だよ」
こっちが訊きたいわ!!
動揺していると、いきなりスマホが鳴りだした。相手は、超珍しい! 弟だ。
「みっふぃー。おれー。死にたいんだけど」
「はぁ! お前もか!!」
「ふぁい? みっふぃーも?」
そばで逆風くんがきょとんとしている。
なんだか電話越しの一影も同じ顔してそうだ。
声のトーンからして、自殺は、本気じゃない。
「いやいや、私はどうでもいいし。それよりどうしたのよ」
「どうしようー」オウム返しするなや。「三花姉が、草薙ルミナだったの」
ぶふーーーーー!!!!
思わず吹き出して、腹を抱えた。
まずい、腹筋崩壊する。
「おま、そんなんで、死にたいのか……」
「みっふぃー、なんで笑って………」一瞬無言になる。「知ってたのー!?」
「うん。黙ってて言われてたけど」
「騙されたー!」
受話器越しで声が遠くなる。わーわーと騒いでいる。
「大好きなVチューバーがー、あんな田舎のー、みっふぃーより年上で近所の人でー、そのショックをー、みっふぃーにわかるかー!」
「いや、知らんけど」
「実の姉にはー隠されてたー!!」
さっきから音量MAXみたいに聴こえる。これ、隣に逆風くんも聞かれているんじゃないか?
「あんたはどうやって知ったのさ」
「生放送、聞いててー! やたら田舎の生活と地名だしてー! 声、気にしたらー頭に浮かんでー、それから三花姉が頭から離れないの!」
まぁ、素の声も似ているからな。
「みっふぃーどうしよう。どうしたらいいかわかんない」
「あんたは三花姉に話した?」
「うん……。放送終わった後、電話したー。ごめんねー、幻滅した? って……」
相変わらずさっぱりしてるなぁ。
「じゃあ、しょうがないやん。中の人は実際にいるんだし」
「わかってるけど。近くにいる人だと怖いやん」
「てか、あんたはどうするの?」
「わかんないよー。三花姉とゲームやってると楽しいし。でももう草薙ルミナのことスコれないし! 三花姉は俺のことなんか言ってた?」
めっちゃ言いたくねぇ。
でも、唯一の弟だし、夏のとき世話になったし……。
ぐぬぬぬぬ。
「オネショタ、ありかもって……」
「はーあー」わけのわからない声をだす一影。「草薙ルミナって、やっぱ変態」
あんたはそれが好きだったんじゃないのか。
「みっふぃーも三花姉も変態ばっかりー」
サイコパスの弟にいわれるのは心外だわ。
いや、私もこれから高校辞めるから何も言い返せないな。
「付き合ったらーどうなるのかなー?」
「知らん。そりゃあんたと三花姉の関係だもん。でも男の子なら覚悟決めなさい」
「わかったー」妙にすんなり落ち着いたな。「おれもー配信かなー。世界中にーオネショタてぇてぇすんのかー。死にたいわー」
聞いているこっちが死にたいわ。実弟と近所のお姉ちゃんが、二次元キャラの皮を被ってっていちゃいちゃするなんて。世も末だわ。
嫌そうな声で、
「ごめん、もう切っていい?」
「わかったー。じゃあ、配信者になったらフォローしてねー」
しれっと通話を切られたんだ。
……結局そのつもりかよ!
スマホを地面に投げつけたい衝動をぐっとこらえた。
このわだかまりどうしたらいいんだ。
「なんの電話だった?」
やきもきする私に、逆風くんが戸惑いながら訪ねる。
「弟。大した用じゃない」
私には高校中退のほうが1000倍大事だ。
「月下の弟、変わってるもんな」
「逆風くんがうちに泊まったとき、弟も同じようにいったよ」
「…………」
逆風くんがやりきれない顔になる。
変わっている人に変わっているって言われるのは、ちょっと嫌だわな。
――なんか、一影のくだらない悩みを聞いたらどうでもよくなった。
「――月下は、覚悟あるか?」
「え?」
また、真顔で見つめられる。
トクン、と心臓が高鳴る。
何も言わず、大きく頷く。
逆風くんは私から視線を外さない。
「あと一つ。月下にだけ、伝えたいことがある」
不意に、手を、握られた。彼の熱い指先が私の手を包み込む。
逆風くんの顔が真っ赤だった。
同調するように、私も熱くなるのがわかる。
「夏休みのとき、もしかしたらって思ってて、キャンプファイヤーのとき、夏目漱石っていわれて確信に変わった。あれから、ずっと、いい返事を考えていた。でも、俺、ネーミングセンスよくないから、上手い返事が浮かばなくて……」
包まれた手が熱い。
何かいろいろいわれてるけど、話が入ってこない。
でも、いま、好きって気持ちだけ、わかる。
「俺たちは文学者じゃなくてアーティストだろ。だから――」
車が颯爽と走る音の後に、結晶くんとみちるちゃんのセッションが聴こえる。
「音が、綺麗だな」
―了―
君色イントロ 君影 奏 @kuroyurisan
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