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逆風くんの勧誘活動が本格的になった――らしい。私には勝負を挑むだけで、彼のメンバー構成を直接聞いてない。でも、ときどき教室から消えたり、クラスメートの会話を盗み聞きしていると、そう感じ取れた。
それにどういうわけか――むしろ必然? 怠惰? 戦略なの? 同じクラスの人から選ぶみたい。たしかにうちのクラスは学校の方針もあって多才な人が多いけど、逆風くん以外では音楽が得意な人は聞かない。吹奏楽やギター部員から勧誘したほうがマシな気がするけど。
私といえば、彼の活動にまったく無関心だった。毎日だらだら勉強して、寮に帰ってテレビを見て、なんかなーと、薄っぺらい時間を過ごしていた。
――で、異変は、起きた。
ある朝、ある男子に呼ばれた。
その瞬間から緊張がバクバクだ! 私のタフな心臓は1キロ走ったって微動だにしないのに、同級生の男の子に呼び出されるだけで10キロハイペースみたいに鼓動が早くなっている。
だって仕方ないじゃん! もう前口上からおかしいんだもの。
「放課後二人きりで話したいから、あの、渡り廊下の屋上(!!?)で会いたい」
どういうことですか!?
予定のなかった私は、流されるまま了承したが、突然の不運(でいいのか?)に心がかき乱された。
あぁ、困ったぞ! なんでこんなことになってしまったんだ!!!
こんなマラソンバカに話す人なんて、悪い成績で呼び出す先生しかいないはずだ。
安っぽいミュージックPVみたいな、べたべたシーンが脳裏に浮かんだが、絶対の絶対に甘酸っぱい告白じゃない。
不安だけがもんもん浮かんで、時間まで何も手に着かなかった。
いつものことだけど。
……。
…………。
……………………あぁ、どうしよう!
そわそわしながら一日を過ごして、待ちに待った放課後。教室で深呼吸した後、覚悟を決めて渡り廊下へ向かう。
おそるおそる重たいドアを開ける。
いた! 手摺に身体を預けて、その男子は単語帳をぱらぱらめくっていた。
さすが、優等生。
彼こそが新入生代表挨拶を述べた
私、賢い人が苦手なんだよなぁ。勉強に夢中になれるのが意味不明だし、頭良すぎる人って見透かされそうでなんか怖いし。
「え、ええっと……遅れてごめんなさい。ちょっと男子が遊んでて」
半分は嘘だ。情けない話だけど、教室に戻って5分くらいおどおどしていた。
全国大会でも緊張しなかったのに。なんて軟弱な人間になってしまったんだ。
「ゆ、結晶くん……。ふあ、ふぁなしとは」
まずい、緊張しすぎて呂律が回らない。死にたいぞ!
眼鏡の奥でうっすら笑う彼に、少しだけ楽になって深呼吸する。
やっぱり呼吸だ。酸素が一番大事だ。
「話っていったい何かな?」
声に出した途端、全身の皮膚が焼けたみたいに熱くなった。
結晶くんはもっていた単語帳をポケットにしまうと、やけに透明な眼鏡をクイッとあげた。
「逆風大知のこと、教えてほしい」
…………。
……………………。
………………………………。
思考が停止している私に強い風が吹いた。前髪とスカートが揺れて、我に、返った。
何用かと思ったらそれかよ!! 一日中緊張して損したわ!!!!
脱力して膝をつく私に「ちょ、ちょっと」と戸惑う結晶くんの声が聞こえた。
どうせマラソンバカですよ。期待してなかったし、もしそういう展開になったらマジどうしようって動揺してただけだし――だからべつに、ショックとか残念がってるわけじゃないんだけど。
あいつのことかよ!!
その場で地団太を踏みたくなる。
さすがに無視するのはよくないよな、とりあえず対応しなきゃ。
気を取り直してよろよろと立ち上がる。
「な、なんで彼のこと訊くのかな? 休み時間一緒にいるだけで何も知らないよ」
「クラスで彼と馴染めるのは君しかいない。狂ったあいつの思考回路がどうなっているか教えてほしいんだ」
なんだそれは。マッドサイエンティストか??
結晶くんは咳をして仕切り直す。
「わいは! ごめん、語弊があったね。バンドの勧誘がしつこくて。何度もキーボードやれっていうんだ。断っても次の日は忘れたみたいに言う。絶対に普通じゃない」
なるほど。ようやく合点がいった。逆風くん、変態だからな。
にしても長距離の天才(自称)を誘いながら、学年一位(暫定)に手を出すのはどういう了見だろう。新しいエンターテイメントでも作るつもりなんだろうか。
「ちなみに、結晶くんはピアノのコンクールで優勝したとか?」
「小学校のとき、市のコンクールでたまたま。そんなの探せばいくらでもいる」
そうなのか……。
音楽の世界はわからないから、齧った人がいうならその通りなんだろう。
「私は、ここで歌わされたときに突然ボーカルやれっていわれた。音楽のこと全然知らないのに。ただ、逆風くんはときどきすごく遠い目をするの。壮大な夢を描いているみたいだった」
「――僕には迷惑だよ」
結晶くんが呟いた途端、運動部の面々が声を上げ、ボールを打つ金属音が響いた。
「オリンピックとか世界とか、心底どうでもいい。僕は青森の、何もないクソ田舎にいて、それが嫌で都会に来た。ピアノの経歴は利用させてもらっただけ。音楽とか芸術とか、そんなのは心底どうでもいい」
土地は違えど、同じ田舎から来たことに親近感がわく。
けど、彼の考えは私と真逆だ。でも、人間ってそんなものだ。私は好きだからここまで来たんだから。
野球部のボールを目で追いかけるうちに、自然と声がでた。
「いま、寮を借りて通学してるけどさ、なんでみんな学校に来るのかなーって思う。学校いって勉強して、進学なり就職して。結晶くんは将来やりたいことある?」
「……ない。いまはいい大学にいって、いい職につきたい」
「それって幸せなことなのかな」
「…………」
返事がなかった。
私は結晶くんに視線を向けなかった。
何となく、いまの自分と同じ顔をしている気がしたから。
遠いところへ来てしまったと思うことがある。
自分の世界と周囲の人々の世界の狭間に立って、結局、世の中のルールにはまりたくないからはずれてしまった。
戻りたいのに、それをしたらこれまでの「私」を否定してしまいそうだ。
迷っているんだと思う。
世界が模範とする幸せの基準に合わせるか。
私しかできない道を探すか。
そのどちらもうまくいかない気がして、立ち止まっている。
「なんかさー、人生って勝手だよね」
いいながら結晶くんに苦笑した。
でも、本当は何もやれていない自分が惨めで泣きそうになる。
「気づいたら途方に暮れてて、未来のことなんて全然わからなくて、不安で、でもやらなきゃいけないことがいっぱいある。私はどうしたらいいんだろうって思う」
「だから勉強するんでしょ」
結晶くんの言葉に、そっと首を振った。
「私には、勉強が、ぽっかり空いた穴に無理やり詰め込んでいる気がしてならないの……。これっておかしいかな?」
無理して笑う私に、結晶くんは眼鏡の奥の瞳を澄ませていた。
「やっぱり、君は長距離を続けたほうがいい。そんなに真剣になれるんだから」
その言葉は、いま、すごくつらい。
決心して辞めたのに。たとえ引き返しても、以前のような楽しさはなくなっているのに。
「私は夢の残骸を抱いていたくないよ……」
結晶くんが寂しそうに口を噤んだ。
沈黙が漂う中、金管楽器の単調な音が校舎から聴こえた。その音は、穴が開いたように一時大きくなって、すぐに小さくなる。
誰かが渡り廊下に来た。
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