第25話 キラキラ

「お詫びとお悔やみを申し上げます」


 乃木地が頭を下げた。


「私は旅行会社の一従業員にすぎません。国家や星、それ以上の規模のプロジェクトに対して声をあげたところで、仕組みがただちに変わることはないでしょう。しかし、今回のケースについては然るべき形で然るべき場所に報告するつもりです」


 ハンガーが風に揺れ、物干し竿とこすれて鳴っている。


「……すみません。そりゃそうですよね。乃木地さんのせいじゃないし、言ったところでどうにかなるわけでも……そうですよね」


 恒樹は爪を立てて頭を掻いた。


「あの」

「はい」

「僕がお願いできたことじゃないとは分かってるんですけど、これからもできる限り九洞さんをサポートしていただけませんか? それでホストを変えるとか旅行をやめるとかいう話になっても、九洞さんが満足するならそれが一番だと思うんです」

「はい。それが仕事ですから」


 静かに、しかしはっきりと乃木地が言った。


「ありがとうございます。僕にはもう、きっと何もできないので」

「それは違うと思います」


 目を上げる。


「九洞さんはあなたがホストでよかったとお話しでした。九洞さんが悩まれているのもあなたと真摯に向き合っているからこそです。なので、日ヶ士さんも九洞さんから逃げないでください。見失わないために」


 何かあればご連絡を、と言い残して乃木地が去っていった。旅行会社の連絡先を聞いた覚えはなかったが、もしやと思って開いたチャットアプリは友達が一人増えていた。


 昼前だった。疲れと空腹が押し寄せてきた一方、頭の一部分がゆるやかながら回りはじめた気がする。冷やしたぬきうどんとスポーツドリンクを冷蔵庫から出した。麺をすすり、つゆを含んで膨らんだ、どこかくらげの傘に似た天かすを残さず食べ終える。満腹感に押し出されるように涙がなめらかにすべり出た。きらきらと霞む視界が晴れるまで、幾筋も流れ落ちるに任せた。


 鼻水を拭き、顔を洗い終えるのを見計らったように九洞が帰ってきた。


「戻りました」

「おかえり。早かったね」


 九洞の目がうどんの容器にとまる。途端に顔が曇った。


「口に合いませんでしたか?」

「え?」


 問い返してから、泣き腫らしたまぶたの重さに気づく。


「ああいや、おいしかったよ。うどん好きだし」

「そうですか」

「うん」

「それならよかったです」


 九洞がトートバッグに手を伸ばそうとする、それをさえぎるように口を開いた。


「あの、九洞さん」


 九洞が目を向けてくる。


「今日はどこに行ったの?」

「駅の向こう側を歩いてきました。あちらの方が大きな建物がたくさんありますね」

「確かに、駅前がにぎわってるといえばあっち側かな。新しい店も多いみたいだし」


 スポーツドリンクで唇を湿してから続けた。


「そういえばさ、あとどのくらい地球にいるかとかって、もう決まってたりする?」


 九洞の口元がわずかに引きつれた気がして、とっさに言葉を継ぐ。


「もし決まってたら予定も立てやすいし、聞いとこうかと思って」

「そうですね。細かく決めてはいないのですが、日ヶ士さんのお世話になるのは、長くてもあと数週間の予定です」


 恒樹は頭の中にカレンダーを広げる。


「数週間……今月いっぱいぐらい?」

「はい。長ければそのくらいです」

「そっか。じゃあ、今のうちに行きたいところがあったら教えてよ。あんまり遠くなければ前みたいに土日に行ってみよう」


 九洞がわずかに目を丸くし、それからうなずいた。


「ありがとうございます。考えておきます」

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