第23話 ひまわり

 朝食の間、九洞は彼に落ち度があるかのように繰り返し体調を気にかけてきた。そのたびに問題ないと伝えると、冷やしたぬきうどんとスポーツドリンクを調達して冷蔵庫にしまった後、「早めに帰ります」と告げて出ていった。


 カーテンは閉じたままにしておいた。いつからか電源を入れっぱなしにしていたスピーカーからクラシックを流した。枕の上にラップトップを置き、うつ伏せになって漫然とニュースサイトをながめる。〈各地で金属の盗難相次ぐ〉〈空襲で焼失した幻の《ひまわり》とは?〉――開いた記事は意味を成さない文字の羅列として目から後頭部へ抜けていく。〈モデルも愛用! 脂肪を流す話題のドリンク〉――クリックせずシーツに顔をうずめた。髭がざらりと引っかかり、皮脂と汗のにおいが鼻をつく。そういえば九洞は――キューの体は汗ひとつかかないのだったと思い出した。死因も分からない。墓の在処も分からない。遺体が九洞の故郷の星まで運ばれた経緯、着られるまでにどんな処理を施されたか――考えると食道から胃が嫌なうねり方をした――、どんな技術でもって九洞の精神が入り込んだのか、何一つ分からない。ただ、謎という霧のかかる頭の中に、九洞が今まとっているのは三年前に死んだキューの亡骸である、それだけが形を得て目の背けようもなくたたずんでいた――まるで墓碑のように。


 パソコンをいじるのも寝転んでいるのももうたくさんだった。動画を見る気もSNSをチェックする気も起きない。何もしないのも何かするのも疲れてしまった。出勤してしまえば忙しさに何もかも忘れられるかもしれない。午後からでも行けばいい気がするが、体も頭も動かなかった。それでも尿意に負けてベッドを離れ、麦茶のボトルを開けた時、何かの呑気な電子音が響いた。インターホンだと気づいて鍵を開けるまでにもう一度鳴った。扉の向こうに立っていたのは黒いスーツを着た女性だった。


「突然失礼いたします」

「……なんでここに」

「九洞さんからお住まいを聞いたわけではありません」


 乃木地が言った。


「私が調査して突き止めました」

「九洞さんなら今――」

「はい、お出かけ中とうかがいました。今日は日ヶ士さんにお話があるんです」

「僕ですか」

「はい」


 恒樹は空気の濁った部屋を振り返る。


「どうぞ……あ、麦茶飲みますか?」


 コンロの脇に置いたグラスを乃木地が一瞥した。


「いえ」

「あ、これじゃなくて」

「いえ。水分は必要ありませんので」


 カーテンを開けるのは億劫だった。通りがけに照明のスイッチを押し、机を挟んで乃木地と向かい合う。スピーカーからは管楽器の他に鐘のような音が鳴っていた。


「すみません、汚くて」

「気にしません。きれいな方です」


 自分の部屋だというのに居心地が悪く、麦茶を口に運ぶ。


「お好きですか、ベルリオーズ」


 グラスから乃木地に目を移した。


「《幻想交響曲》ですよね」

「え? ――ああ、曲」


 スマホのロック画面に言われたとおりの題名が表示された。


「特別好きってわけでは……よく分からないまま流してるだけです。すいません、止めときますね」

「いえ、お気になさらず」


 一時停止しようとする手を引っ込め、ももの上に置く。


「それで、話っていうのは?」

「はい」


 乃木地が静かに見つめてくる。


「先日、九洞さんから相談を頂きました」

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