第3話 インフレ

 お遊戯会の日、劇の主役の男の子が、飽きて床の上に転がり、泣き出す事件が発生した。舞台横の、縦長の大きな紙にデカデカと書かれた、お遊戯会のタイトルは、『わらしべ長者』。

 パイプ椅子の観客席から、保護者の失笑と噂が波を打つ。

 

「なんであの子を主役にしたの?」

 

 集めた秘密リストの中に、情報は書かれていた。林子りんこは笑いを噛み殺し、

 

「親が先生に賄賂渡したんだって」

 

 と、得意になって教えてやる。

 みんなが「え?」と驚いた。かと思いきや。

 

「へぇ。あの子のママならやりそう。パパが市議会議員だし」

「私もその噂聞いた」

 

 肩透かしをくらった。もっと大きな反応を期待してたのに。

 すると、ママの一人が言い出した。

 

「秘密わらしべしない?」


 びっくりさせようとしていたのに、立場が変わった。

 自分以外の人が、秘密わらしべをしようと言いだした。

 あちこちでヒソヒソ声がする。

 

「知ってる? あの人とその人が……」

「あの人ががそれで……」

「はい、もっといい情報教えて。わらしべだよ」

 

 耳に入る断片的な情報は、知らない秘密だらけ。しかも前より過激なネタばかり。秘密がインフレしている。

 ジリジリした気持ちを覚えた。危機感にも似ている。

 

「りんごちゃんって実はね……」

 

 ハッと振り返った。

 

「今誰か私のこと話してた?」

 

 ママたちは目をパチクリさせ、

 

「別に」

 

 嘘だ。ごまかしているに違いない。

 

「なんのこと話してたの? 教えてよ」

 

 と、食いさがる。

 けれどママたちのほうも、タダでは教えてくれない。

 

「じゃあ誰かの面白い秘密教えて」

「秘密わらしべだよ」

 

 周囲の視線が集中するのを感じた。

 それ以上は追求できなかった。しかたなく林子は前を向き、黙った。

 

 

 

 駐車場に降りしきる雨が、フロントガラスをいくども叩く。ワイパーが左右に動いて、水を払う。

 運転席の林子は、りんごのアカウントでSNSを流し見していた。

 

「お迎え早くきすぎちゃった」

 

 幼稚園の時間が終わるまで、ちょっと暇だ。

 

「……ん?」

 

 自分のアカウントが、変な投稿にタグ付けされているのを発見する。

 

『りんごが借りた金で購入』

 

 シルバーのネックレスの写真がつけられていた。コメントも届いている。


主婦のくせに

 

金返せ


 なんだこれは。全く身に覚えがない。

  

りんごの一番ヤバい秘密知らない人挙手。知らないならDMでわらしべしよう

 

いや、有名すぎてみんな知ってるwww

 

わらしべにもならなくて草

 

 体が冷えきった。

 自分自身のあることないことが、秘密わらしべのおもちゃにされている。

 車の窓から、傘を差した親子や、車に乗った親が見える。こっちにチラチラ向けられている、目、瞳、視線。

 車に向かって、スマホをかざしている人もいた。

 フロントガラス越しに、林子を撮影しようとしている?

 車から降り、逃げ出した。

 

 

 

 幼稚園から娘を連れ出し、すぐに車を発進させた。帰る前にスーパーへ寄る。切らしていた食品があった。

 

 

 商品棚から商品を取ろうとした。

 パシャリとシャッター音が。

 子連れの買い物客が、遠巻きにこっちをチラチラ見ている。しかも一人だけではない。複数人。スマホをかざし、林子ごと店内を撮影をしているような子供もいた。

 林子を秘密わらしべのネタにするため?

 にわかに怖くなり、商品を棚に戻し、そそくさと店を出た。

 

 

 

 自宅のマンションへ帰っても、気が休まらなかった。焦燥に駆り立てられ、SNSをチェックする。

 今日もまた、変なリプライが来ている。

 

りんごちゃん、万引きは犯罪だよ

 

 写真つき。林子が商品を持ってる場面。しかも、真横の至近距離のアングルで。

 いつ撮られたのだろう。誰が撮ったのだろう。まるで心当たりがなくて、気味が悪い。でも、やめさせないと。

 SNSを深追いした。頭の中を、裏切りだの、情報開示請求だの、裁判費用どうしようだの、縁がなかったはずの単語が駆け巡る。

 なにかの間違いであってほしい。気のせいであってほしい。

 が、りんごについての悪夢のような投稿は、探れば探るほど見つかった。

 

 りんごは人生で一度も洗濯をしたことない。子供の服は不潔

 

 りんご家から子供3時間ギャン泣きの声

 

 りんごは虐待をやめろ

 

 りんごほっぺを整形のりんご

 

 りんごがパパに隠れてエロ親父と○交

 

 見るに耐えない嘘が、真実の顔をして、平然と書きたてられている。全部身に覚えがない。

 なのに、いいねやリポストが大量についていた。拡散されているようで、閲覧数はうなぎのぼり。

 

 りんごは一番ヤバい秘密がヤバい

 

 つーか秘密ですらなくなってきてるよな

 

「なんの話……?」

 

 不意にピンポーンと、インターホンが鳴った。

 わずらわしい。今はそれどころじゃない。居留守を決めこんだ。

 だが。

 

 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン

 

 しつこく、立て続けに、何度もチャイムは鳴らされる。

 とうとう耐えられず、インターホンを取った。

 

「誰ですか?」

 

 誰の声も返ってこない。映像や画像も確認するが、誰も映っていない。

 

 

 

 様子をうかがうため、外へ出た。

 やっぱり人はいなかったが、ポストに大量の紙切れが詰めこまれていた。溢れてひらりと地面に落ちている紙もある。

 紙切れの塊には、同じ文字が印刷されていた。

 

 万引き女

 

 膝の震えが止まらなかった。

 

 

 

 急いで戻り、ドアを閉め、鍵とチェーンをかける。

 自分や娘の身の安全が危ない。夫が帰ったら相談しよう。警察にも電話しよう。

 ブー、ブーと、スマホが震えだす。電話の音だ。夫だと思い、すぐに通話ボタンを押した。

 

「もしもし聞いて。さっき……」

 

 プッと、通話は即座に切られた。

 発信者は、よく見ると非通知。夫ではなかった。

 ブーッと、再びスマホの電話が鳴った。同じ番号からだ。

 

「やめてください」


 着信ボタンを押しざまに言うが、電話はすぐにプッと切られた。

 なのに、またブーッと電話がかかる。何回取っても誰も出ない。

 話す気がないのに、何回でも掛けてくる。目的は多分、イタズラや嫌がらせ。

 シャッターを下ろし、カーテンも閉めた。

 

 

 

 買い物や散歩のために、道を歩く。ただそれだけでも、通行人から見られている気がした。

 気が休まらない。

 ふと、路上の向こうのビルの上に、人がいるのが見えた。双眼鏡を目に当て、こっちを凝視しているようだ。

 林子が気づくと、その人間はすぐに引っこんだ。

 

苺杏いあちゃんのママって……」

 

 かすかな囁きに、ビクッとして振り向いた。

 いろんな人が顔を見合わせ、コソコソと話をしている。チラチラと林子に目を向けながら。子連れのママだけではない。おじさんや小学生も。

 

「りんごちゃんって実は……」

 

 角から、熱心に話し合いをしている顔見知りが現れた。桃華ももかのママと、なつめのママ。

 林子はギョッとした。

 

「な、なんの話?」

 

 声をかけたら、2人は林子に気づき、ピタッと足を止めた。それからそろって、顔に意地の悪いニヤニヤ笑いをはりつける。


「秘密わらしべだよ」

 

 そういうことを聞いてるんじゃない。今、林子について話をしていただろう。

 胸ぐらをつかみ、問いただしたかった。が、そんなことをしたら、秘密わらしべのネタにされる。下手したてに出たほうがよさそうだ。

 

「誰の秘密かな?」

「誰かの秘密、教えてくれたら教えてあげる」

 

 まどろっこしい。

 

「えっと、栗乃くりのちゃんのママの旦那さん、カツラなんだって」

「あー聞いた聞いた」

 

 とっておきのネタだったのに。

 

「じゃ、じゃあ、蜜歌みかちゃんのママが不倫で旦那さんと結婚したのは?」

「うーん知ってる」

 

 なんで? 自分しか知らないはずなのに。

 2人は底意地の悪い笑みを浮かべたまま、林子の肩甲骨を押してくる。

 

「ねぇ、これからお茶してかない?」

「りんごちゃんのお話、もっと聞きたいな」

 

 二組の瞳は、奈落のように暗く、見入っていたら引き摺り込まれそうだ。

 

「ごめん。また今度」

 

 恐怖のまま、小走りで立ち去った。

 自分の一挙手一投足が、秘密わらしべのネタにされる。

 大体なんなの? みんなが話してる私の秘密って。

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