第2話 交換

 児童館へ、林子りんこ苺杏いあと足を運んだ。

 遊んでいる子供や親たちの、弾むような声が、楽しい雰囲気を作りだしている。けれど、部屋の隅にいる桃華ももかちゃんのママは、少し違うようだ。若くて華やかな人なのに、悩ましげなため息をたえまなくついていた。

 狙い目だな。

 林子は桃華のママの隣に座った。

 

桃華ももかちゃんのママ大丈夫? 体調悪いの?」

「あ、うん。なんでもない。……はぁ」

 

 やるせないため息が、なんでもあると示している。悩んでるなぁ。

 そういえば、美柑みかんから面白い秘密を聞いた。絶対関係している。新しい秘密ゲットのチャンス。

 

「家のことで悩み、ない?」

 

 桃華ちゃんのママは、顔色を変えて慌てた。

 

「そんな。ちがうよ」

「パパがなんだか怪しい?」

 

 ウッと、桃華ちゃんのママは詰まった。諦めたように、

 

「りんごちゃんはエスパー?」

 

 林子は笑う。

 

「なんとなく。話してみなよ」

 

 促すと、訥々と話してくれた。

 夫の様子がおかしい。ぼんやりしたり、鏡の前で何時間も身なりを整えたり。しょっちゅう空も見るそうだ。

 

「前はそんなことしてなかったのに」

「うんうん。なんか怪しいね」

「でしょ。それでスマホの履歴、ちょっと見ちゃったの。そしたら既婚者、好きな人、とか検索結果に出てきて……」

 

 あーあ。やっぱりね。

 

「私知ってる。あの人のせいだよ」

 

 たちまち、相手の目の色が変わった。

 

「りんごちゃん、なにか知ってるの?」

 

 興味津々のその目を、もっと驚かせたい。

 

「教えてあげてもいいけど、秘密わらしべしない?」

「わらしべ? なにそれ」

「それはね……」

 

 ルールについて説明すると、桃華ちゃんのママは困り顔を作った。

 

「私あんまり人そういうのは……」

「ごめんね。無理ならしょうがないよね。私苺杏いあと遊んでくるね」

 

 あえて去ろうとしてみせると、桃華ちゃんのママは、袖を掴んで引き止めてきた。

 

「ま、待って。誰にも言わないで。ここだけの話だからね」

 

 交渉成功だ。

 桃華のママから、コソコソと耳打ちされた衝撃の秘密に、林子はぎょっとした。

 

「マジ……?」

「ね、秘密わらしべだよね。パパのこと教えて」

 

 もちろん。そういうルールですから。

 今度は林子が桃華のママに耳打ちした。きめ細かくハリのある頬の色が、みるみる青くなる。

 

斗萄とうまくんのママが、パパに、ラブレター……?」

 

 美柑が見たらしい情報を、そのまま話した。

 

 桃華ちゃんのパパが幼稚園へお迎えに行ったときね。靴箱にあの人が手紙を入れてたんだって。中学生みたいだよね。パパは満更でもなかったみたい。

 桃華ももかちゃんのママと斗萄とうまくんのママ、家族でブドウ狩り行ってたよね。インスタで見たよ。家族ぐるみで仲良くしてるうちに、とかじゃん?

 

 話し終える前に、桃華のママは、瞳にメラメラと憎しみの炎をたぎらせた。

 

「……あの人、2回り年下の人の旦那に手を出したんだ。よくしてあげたのに」

 

 面白い。たった一つの小さな情報で、大きな波紋が広げられる。

 

   

 

 肉売り場。魚売り場。野菜売り場。惣菜売り場。お菓子売り場。

 スーパーの売り場の区画の間を、なつめは友達の希初きういと一緒に、元気に走り回る。幼稚園児だから仕方がないが、周りからすれば看過できない。

 カートを押すなつめのママは、

 

「こらなつめ! 静かにしなさい」

 

 と、精一杯叱るが、二人の小悪魔はバカにするようにケラケラと、あっちこっち駆け回った。

 全然言うこと聞かない。ここはアスレチックじゃないのに。迷惑そうな周囲の視線が痛い。

 弱り果てていると、視界にカゴの載ったカートの先が見えた。カートを押しているのは、ママ友のりんごちゃんだった。娘の苺杏いあちゃんの手を引いている。

 りんごちゃんは軽く手を振り、

 

「やっほー。なつめちゃんのママ、また希初きういちゃん預かってるの?」

「うん。まあ……」

「家が隣だからってさすがに毎日預けすぎじゃない?」

 

 りんごちゃんは鋭いところを突いてきた。自分も同じことを思っていた。

 大体、なつめが言うことを聞かなくなったのも、活発で自己中な性格の希初きういちゃんの影響だ。

 でも。

 

「希初ちゃんのママって共働きじゃん。いつも申し訳なさそうに預かってって言われて。なんかこっちが申し訳ないなって」

「あー。あの人ね」

 

 事情を全て知っているような、呆れたような、含みのあるセリフだった。

 

「なに? なにか知ってるの?」

 

 りんごちゃんは薄笑いを浮かべる。

 

「秘密わらしべだよ」

 

 ルールを聞いて、一応同意してから、話を聞いた。

 知ったのは、衝撃の事実。

 

 希初ちゃんのママ、仕事で忙しいわけじゃないよ。旦那さん共々仕事クビになったもん。夫婦2人でわざわざスーツ着て、都内のパチンコ屋まで『出勤』してるんだって。

 

 これで、迷惑な子を預かる必要もなくなりそうだ。



 

 カフェKURUMIは、ママ衆のアジト的存在だ。

 林子りんこ美柑みかん桃華ももかのママ、その他仲のいいママ友たちで集まり、紅茶やコーヒーをチビチビ飲み、お菓子を楽しむ。

 苺杏いあたち子供らには、カラフルな子供スペースで、各々遊んでもらっていた。

 

「りんごの情報ほんとに助かったわ」

 

 美柑に感謝をされた。

 

「私も。斗萄とうまくんのママもとっちめられたし」

「りんごちゃんって情報通だよね。超助かった」

 

 桃華のママも、そのほかのママも、次々おだててくれる。

 林子は堂々と胸を張りたかったが、余裕な感じを出したかった。だからあえて澄まして、

 

「それほどでも。あ、胡桃くるみちゃんのママ、コーヒーお代わりもらえます?」

 

 通りすがりの女性店員に声をかけた。

 

「はーい。少々お待ちくださーい」

 

 このカフェは、娘たちと同じ幼稚園に通う胡桃くるみちゃんのママの店。顔見知りなので、サービスも結構してくれる。

 ママ友衆は噂話を始めた。

 

「カフェやってる友達いてラッキーだよね」

「ね、割引してくれるし料理もおいしいし」

 

 林子もウンウンと頷いた。同時に、ムクムクと欲求が首をもたげる。

 実は胡桃ちゃんのママにも、すごい秘密がある。この前なつめちゃんのママに聞いたばかりの情報だ。

 話したくてウズウズした。


「ねえねえ。秘密わらしべしない?」

「いいね。楽しそう」

 

 知っているママたちは、好奇心を帯びた笑みを浮かべた。

 

「なにそれ?」

 

 他のママたちは興味を持って、ずいっと顔を寄せ合う。

 林子は話したい欲求もあり、丁寧に説明してやった。

 ママ友たちは、新鮮、秘密主義で、刺激のありそうな遊びに、目をきらめかせた。


「……面白そう。誰から話す?」

 

 林子が一番に手を挙げた。

 

「じゃあ私から。胡桃ちゃんのママ、マルチで逮捕歴があるんだって」

 

「ええ?」とざわめきが起こる。息を呑んで口を覆ったり、隣にいるママと互いに目を合わせたり。初めて聞いたときは、林子も似たようなリアクションを取った。

 その反応がもっと見たい。

 

「今もマルチと繋がってるらしいよ。やけに親切にしてくれるけど、そのうち高い鍋とか売ってくるんじゃない? うちはこれで料理作ってます、みたいな?」

 

 ママたちは眉を顰め、

 

「いい人だと思ってたのに。人間不信になりそう」

「てかヤバいじゃん。ここの店に来るのやめよう」

 

 また一つ、ツマラヌ波紋を広げてしまった。

 

「はい。じゃあ誰かもっとすごい情報だして」

「じゃあ私から。実はね」

 

 驚くような秘密の雨が、池の水のように貯まっていく。

 

 花梨かりんちゃんのママ、昔はレディースだったらしいよ。お嬢さま学校のエリーゼ大出たとか行ってたけど。

 

 椎奈しいなちゃんのママ、セレブ気取ってるじゃない。でも98円の納豆万引きして、店長にめっちゃ怒られたんだって。

 

 萩乃はぎのちゃんのママんち、インスタで家族仲良しアピールすごいじゃん。でもパパは浮気して、お兄ちゃんは仕事なくてネカフェで寝泊まりしてるんだって。

 

 高揚感で満たされた。

 貯まれ貯まれ。どんどん貯まれ。

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