上手い子は誰?

向井みの

第1話 上手い子は誰?

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 私が所属する美術部は、毎年6月になると部員総出でとある制作に取り掛かかる。7月に開催される、地元のお祭りで展示する大きな絵を描くのだ。7月ということで、テーマは毎年「七夕」、展示に参加するのは周辺の中学校・高校の美術部やイラストサークル。そのクオリティは、各団体によって差が大きい。しかし祭りに来る人々が、素人集団が描いた絵など気に掛けるわけもなく、クオリティなど誰も気にしない。特に私たちは中学生だ、より誰も気にしない。

 私は運動部を避ける理由が半分、漫画が好きだから絵に興味があるという理由がもう半分で入部を決めた。同級生も先輩たちも、アニメ・漫画好きが多くて居心地がいい。暇な時は落書きしながらオタクトークで大盛り上がりしている。それだけの緩い部活だ。

 6月現在、じき引退する3年生が4人、2年生が私を含め2人、新しく入部して日が浅い1年生が5人いる。合計11人で巨大な模造紙に向かうのだ。今だけは、放課後はもちろん、昼休みも余裕がある者はせっせと部室に足を運び制作に勤しむ。


「わ、彩佳。ジャージに着替えないと汚れるよ?」

 上下ジャージに身を包んだ私は、部室に入って来てすぐ筆に手を伸ばす彩佳に声を掛けた。

「だいじょぶだいじょぶ!気を付けるし。私今日4時までしかいれないから着替えるのめんどいんだよね。てか小春、上下長いジャージでよく暑くないね」

彩佳は学校外で習い事をしているため、活動に割ける時間は少ない。それでも、合間を縫って参加してくれている。そんな彩佳は唯一の同級生。つまり、今の3年生が引退したら、部長を務めるのは私以外にいないということだ。気軽に入った部活なのに、自分に務まるだろうか。私の最近の悩みだ。

「それにしてもだいぶ進んだね!〆切来週だっけ」

 彩佳が山頂から景色を見下ろすように片手をおでこにあてた。

「うん、今年は1年生が多いから進みが早いよ」

 部室の半分が巨大な模造紙で埋め尽くされている。作品の内容は、織姫と彦星が向かい合う立ち姿を描くものとなった。部長が言うには、ほぼ毎年これらしい。今私は彦星の青い着物を塗っている。普段の活動では筆も絵具も使わない。呑気にシャーペンで好きな漫画を模写しているだけだ。だから去年も今年も、おっかなびっくり模造紙に向かっている。今部室には私と彩佳の2人しかいなかった。放課後が始まって15分余り、皆まだかな。


「ねえ、ここ誰が描いたの?」

「え?」

 彩佳が、模造紙のとある箇所を指さした。

「めっちゃ上手くない?」

 そこは、織姫の髪飾りの部分。長い髪の一部を、頭の上で輪っかのように結っている織姫。それは金色の髪紐で結われていて、そこに豪華な飾りが施されていた。

「あれ、ほんとだ。誰だろう?昨日まであったかな・・」

 絵具の渇き具合からして、昨日か今日の昼休みに描かれたとわかる。髪飾り以外にも、織姫の胸元、着物が折り重なる部分がやけに細かく描かれている。筆の跡も残らず、そこだけプロが描いたように浮いていた。

「お、今日も早いね2年生組」

 声を聞いて振り向くと、部室の入り口に部長が立っていた。部長の登場で、私たちの意識は違和感から離れた。

「私たち教室が近いんで」

 そっかそっかとうなづきながら部長は荷物を隅に置いて、4割方仕上がった作品を前に仁王立ちした。

「さて、なるべく今日中に背景の星空と着物の色塗り終わらせよう!」



                   2

 そこから数日経った放課後のことである。

「・・・・・」

 私と彩佳と部長は、模造紙の前で唖然としていた。例によってジャージ姿だが、今日は筆を手にしていない。

「進んではいるけど・・」

 作品は、気軽に手が加えられない状態に変貌していた。数日前、織姫の髪飾りと胸元に見えた違和感がそこかしこに広がっていたのだ。いや、違和感というのはおかしいかもしれない、とてつもなく上手なのだから。彦星にも髪飾りが足され、それぞれの着物に金色の文様が足されていた。更に、初めは描こうとして断念した天の川が半分ほど描かれている。そう、問題なのはどれも描きかけという点だ。絵心の「えご」の字程度しかない私たちに、この高度な描写の続きなどできっこない。

「誰が描いたんだろう・・2人とも知ってる?」

 私と彩佳は揃って首を振った。

「この天の川の続き、描けると思う?」

 首を振り続ける。部長は苦い顔で「私も自信ない」と腕を組んだ。

「っていうか、話し合いで描かないって決めた天の川とか、下書きになかった着物の模様とか勝手に描かれてるじゃないですか。みんなでやってるのに、これはないでしょ」

 彩佳が思い出したように憤慨する。確かに彩佳の言う通りだ。

「このままじゃ〆切に間に合いません。誰が描いたのかハッキリさせて、今後の方針を話し合うべきだと思います」

 私も彩佳に続いて言うと、部長は苦い顔のまま頷いた。

「そうだね、まずは誰が描いたかつきとめよう」



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 天の川と着物の文様がいつ描かれたのか。昨日の放課後、夕方5時半に活動を終えた時は存在しなかったのだ。部室にある流しを見ると、使用済みのパレットと細い筆が1本、洗われた状態で置いてあった。筆の先に触れると、まだ湿っている。

「筆が渇いてないんで、たぶん描かれたのは今日の昼間ですね。梅雨で湿気があるから、昨日の5時半以降の可能性も捨てきれませんが」

「小春、なんか刑事みたいだね?」

「うん。まるで現場検証してるみたい」

 2人に突っ込まれ、私は首から上が熱くなった。最近ハマっている謎解き系の漫画の影響がもろに出ている。

「しかし警部。我々が知る限り、うちの部員にこんな上手な人いませんよ」

 彩佳が調子づいて、下っ端刑事になりきる。そうなのだ、オタクの溜まり場である我が美術部に、こんな本格的な「美術」を展開する部員はいない。少なくとも私たちが把握する限りでは。

 数分経つと、ぞくぞくと他の部員がやって来た。そのつど、部長が事情を説明する。議論の輪はどんどん広がっていった。

「〆切まであと3日だよね、やばくない?」

「私、昼休み部室来てないよ」

「ほとんど来ないよね。うちらは受験もあるし」

 語り合う3年生の様子を観察するが、不自然な素振りを見せる人はいない。

「1年のみんなは何か知らない?」

 部長の問いに、部室の一角に固まっていた1年生5人組は、そよ風で木々が揺れるようなざわめきののち、1人が代表して「知らないです」と答えた。

「なんかこれさ、ニュースでたまに見るあの人みたいじゃない?イギリスのさ、落書きして回る変な人」

「バンクシーですね」

3年生の1人がこぼした疑問に、誰かが鋭く答えた。答えたのは1年生の女子、葛西さん。3年生たちが「そうそう!」と盛り上がる。私は葛西さんの顔を見た。付き合いが浅い1年生組、全員の顔と名前が一致しているかも怪しいが、葛西さんのことは印象に残っていた。背が低く引っ込み思案で、いつも頭ひとつ低いところから不安そうとも不満そうとも言える表情で見上げてくる目が印象的なのだ。

「バンクシーなんて、いいもんじゃないよ。迷惑かかってるんだから。誰が描いたかわからないと、制作が進まないんだよ。ねぇ、本当にみんな何も知らない?」

 部長の疲れた声で私は我に返った。周囲を見ると、部長の問いへの反応はやはり変わらず、誰もが困り顔で首を振るだけだった。

「わかった、先生ですよ!」

 隣にいた彩佳が突然大声を上げて、私は飛び上がった。

「先生?」

「そう、先生だったら美術を教えてるんだし、こんなに上手でも納得じゃないですか。進行が遅れてるから、つい手を加えちゃったんですよきっと」

 彩佳が熱弁を振るう。先生というのは、我が美術部の顧問の岸田先生のことだ。40代ぐらいの穏やかなおばさん先生で、いつもオタクトークで盛り上がる私たちを優しく見守ってくれている。

「確かに、先生だったらあり得るかもね」「うんうん」

 彩佳の勢いに押され、3年生の何人かが同意を唱える。その時、ちょうど先生が部室に入ってきた。

「あら皆さん、どうしたんですか?」

 筆もパレットも持たず突っ立っている私たちを見て、先生は小さく目を見張る。そこに彩佳と3年生たちが詰め寄った。

「先生!先生がこれ描いたんですよね?こんな上手い人他にいないもん」

「困りますよ、これじゃ先生しか続き描けないじゃないですか!」

 先生は目ぱちぱちさせ、ゆっくりと言った。

「なんのことでしょう?さっぱり話が見えません」

 部長が模造紙を手で示して、事情を話す。先生はじっと黙って全て聞き終えてから、私たちに振り向いた。いつもと変わらない穏やかな表情だ。

「みなさん、部員の中にこれが描ける人はいないと言っていましたね」

 彩佳が頷く。

「みんなこんなに上手くないです」

 先生がくすりと笑って、模造紙を踏まないように気を使いながら、部室のとある一角に向かって歩き始めた。

「『みんな』という言葉は便利ですね、隠れ蓑になりますから」

 やがて、先生は立ち止まった。見ると、そこは美術の授業で描かれた石膏デッサンの優秀作品を展示している壁の前であった。今まで気にかけたこともなかったが、5枚デッサンが並んでいる中で、1つだけ際立って上手いものがある。先生はそのデッサンの下を指さした。

「ねぇ?葛西さん」

 えっと誰かが声を上げた。駆け寄って先生の指した箇所を見ると『1年A組葛西ひとみ』とハッキリ書いてあった。このとびきり上手な石膏デッサンを、葛西さんが?堂々と展示してあったのに、誰も気が付かなかったの?

 全員が葛西さんの方へ振り向いた。葛西さん以外の1年生が、自然と彼女のそばから離れる。葛西さんは、制服のスカートをぎゅっと握りしめてうつむいている。その態度が、彼女が犯人だと物語っているも同然だった。

「葛西さん・・どうしてこんなことを?天の川は話し合いで描かないって決めたし、着物の模様も勝手に足したよね」

「そうだよ、しかも黙ってたでしょう。困るんだけど、〆切3日後なんだよ?」

 3年生たちに次々非難されても、葛西さんは顔を赤くするだけで何も答えない。先生も黙って見ている。

「・・・何か私たちに不満があったの?」

 私が言うと、葛西ちゃんは華奢な肩を震わせて、とうとう口を開いた。

「我慢できなかったんです。みんながあまりにてきとうだから」

 思いがけない「てきとう」という言葉に、その場にいた全員が息をのんだ。

「お祭りの場に飾るものなのに、構図は単純で毎年同じだっていうし、その上天の川まで省略するなんて!七夕の絵で天の川が無いなんて意味わかんない。これじゃ織姫と彦星もただの男女ですよ、天の川って言うアトリビュートがないから」

「アトリビュートってなに?」

 彩佳がささやく。

「描く人物がその人とわかるように添える、目印のことです」

 先生がささやき返した。

始めは少しだけ手を加えるつもりが、あと少しあと少しと足していくうちにどんどん広がってしまったそうだ。描ける人だからこそ、止め時がわからなかったのだろう。

「私、ゆくゆくは美大に入りたいんです。だから小学校になかった美術部に入ったのに、みんなアニメや漫画の話ばかり。彫刻デッサンのひとつもする気配がない」

 どんどん語気が荒くなっていく。

「がっかりです。先生もそんなみんなのことニコニコ見てるだけだし!」

先生の表情は変わらない。

「もういいです、私辞めますから」

 1年生の4人組が、そわそわとこっちを見ている。ごめんね、先輩にもどうしようもできないよ。

 ずっと黙っていた先生が、壁に張り出された葛西さんのスケッチに視線を移した。

「葛西さん、私は美術の授業であなたがとても絵が上手だと知っていました。でも部活でその実力を見せないのはどうしてかなって、気になっていたんですよ」

 葛西さんは涙目でそっぽを向いた。

「みんなに合わせて我慢してたんです」

「そう・・ずっと我慢するつもりだったのね」

「は?」

 私は、先生の悲しげな目の中に諭す色があるのを見つけた。

「誰かが察して、あなたの望む環境にしてくれるまで待ってるつもりだったと。そうねぇ、確かに声をかけなかった先生にも責任があるわ、ごめんなさい。でも、こんな形で不満を伝えて欲しくなかったわ」

 葛西ちゃんがようやく顔を上げた。はずみで、目から涙がこぼれる。部長が一歩前に出た。

「うちは人によって温度差があって、今はたまたまいないけど、今年卒業した先輩のなかにはデッサンとか油絵やってた人もいたよ。言ってくれれば道具も出したし・・」

 そこまで言って、先輩は言葉を詰まらせて下を向いた。

「でも、入ったばかりで誰もやってなかったら、そういう部活って思ってもしかたないよね。ごめんね、ちゃんと説明してなくて」

 沈黙が降りる。私も含めて、みんな気まずくて何も言えなかった。10秒あまりの沈黙を、葛西さんの鼻をすする音が破る。

「いいえ・・、私の方こそ勝手なことしてごめんなさい。どうしよう」

 先生が葛西さんに歩み寄り、肩に手を置いた。

「七夕制作は、異例ですが先生も手を貸します。いまからでも間に合わせますよ!葛西さん、力になってくれますね?」

 葛西さんは涙をぬぐいながらしっかりうなづいた。

「はい!」

 そこからは忙しすぎて、気まずさなど吹き飛んだ。葛西さんは職人のように筆を扱い天の川を仕上げ、先生は着物の文様を描いた。私たちは、2人の画力に感嘆しながら大急ぎで背景と文様以外の着物の彩色を進める。天の川と着物の文様以外を誰でもできる簡単な色塗りで済ますことで、天の川と文様の美しさが際立つ仕上がりにしようと、先生が提案したのだ。たしかにこれなら、私たちも葛西ちゃんも制作に全力を出せる。美術部全員は一丸となって、織姫と彦星の逢瀬を描いていった。



                  4

 七夕の展示には一応賞があるということを、私たちは忘れていた。なぜ思い出したかというと、私たちの作品が最優秀賞を獲ったからだ。3日間にわたる必死の制作で、すっかり打ち解けた私たちは、手放しで受賞を喜んだ。先生は祭りが終わった後、作品をしまい込まず、部室の壁にひと夏の間展示した。

 夏休みが終わり、秋が訪れると、受験を控えた3年生たちは引退していった。先生は昼休みに私を呼び出し、部員の名簿を私に差し出した。予想していた通り、次の部長は私なのだ。こわごわと名簿を受け取り、私は先生を見上げる。

「私に務まりますかね・・?」

 にっこり笑って、先生は私の肩を叩いた。

「何も心配ありません。胸を張ってくださいね」

 先生の笑顔を見ると、重たい名簿が急に軽くなった気がした。私は名簿を脇に抱えて、言われた通り胸を張った。


おわり

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