吸血鬼は普通に血を吸って、普通に片思いしたいだけ。

永杜光理

吸血鬼は普通に血を吸って、普通に片思いしたいだけ。

 私の名前は宇羅埜うらの妖華あやか。ごく普通の、どこにでもいる中学二年生として毎日を過ごしている。表向きは、ね。


 今日もありきたりな一日がはじまる。さあ学校に行く準備をしなきゃ、と気合を入れつつ鏡を見ると、まあ顔色が悪い。


 鏡に映る私の頬は、紙のように生気がない。事情を知らないが見たら即入院させられるくらいには、白い顔をしている。


「うーん、血の気なさすぎる……」


 そうぼやいて、両頬に手を当てる。けど落ち込んでいる暇はないのだ。

 ――今日こそ、飲まないといけない。躊躇なんてしていられない。

 両目を固い決意でぎらつかせて、私は鏡に向かって微笑んで見せる。


「覚悟してください、先輩。今日こそは……今日こそは先輩の血をごちそうになります!」



 私はひとつだけ、とっておきの秘密を抱えている。それは吸血鬼であること、だ。

 とはいってもフィクションの世界に出てくる吸血鬼とは、いろいろと違うところがある。


 日中に出かけても平気だし、ニンニクや十字架や銀も怖くない。吸血鬼ならではの苦手なものは、特にない。

 困ることといえば、貧血になりやすいこと。あとは定期的に誰かの血を飲ませてもらわないと、吸血衝動がひどくなって大変、ということかな。


 なんで私が吸血鬼なのかといえば、これはもう、父方の家系が代々そうなんです、という説明しかできない。けどお父さんも弟も、私と違って吸血鬼じゃないんだよね。


 宇羅埜うらの家の血をひく人で、吸血鬼として生まれる人はたまに現れるんだけど、どちらかというと少数派。ちなみに私の前に吸血鬼だった人は、私のおじいちゃんの弟さん。さらにその前だと、私のおじいちゃんのさらにおじいちゃんの妹が二人。ね、本当にたまにしか現れないのが、わかってくれたでしょ?


 さて簡単な説明はさておき、何とか学校まで来たんだけど。どうしよう、もう体がだるい。


「おはよう、妖華あやか……って、また貧血?」


 自分の席で背中を丸めてじっとしてると、友達の小春こはるが呆れたように声をかけてくれた。彼女はもう、私の体調不良に慣れっこになってる。


 ちなみに小春こはるは、私が吸血鬼だってことを知らない。私の正体を知ってるのは、私の家族だけだ。


「うん、お肉食べたいなあ」


 本当はある人の血を飲みたいんだけど、その心の叫びを誤魔化すために、別のことを口にした。小春こはるは一旦自分の席に行き、また戻ってくると私の机の上に何かを置いた。


 恒例の差し入れだ。スーパーとかで売ってる、鉄分がたっぷり入ったジュース。


「ああ、ありがとう」


 正直、吸血衝動がひどいと、この程度の飲み物では解決なんてしないんだけど、小春こはるの好意はとっても嬉しい。だから先生が来る前にさっそく飲んだ。


 ふと校庭に視線を投げると、朝練を終えたばかりの生徒の姿が目に入る。その中に……。


「ほら、朝日あさひ先輩じゃん。先輩を見て元気だしなよ、ね?」


 小春こはるの言葉もろくに耳に入らず、私はその人を凝視していた。


 校内で一、二を争うくらい人気の、サッカー部の朝日あさひ先輩。いつもなら、かっこいいなあとか話しかけたいなあ、とほのかな憧れを持ってその姿を見ているのに。

 今日の私は「ああ、あそこに美味しそうな獲物がいる!」と三日間くらい空腹のライオンのような感想しか持てないのだ。


 と、先輩の近くにとあるクラスメイトの姿が見えて、私は目をそらす。

 うーん、体調の良くない時に、奴の姿を見るのは嫌だなあ……。

 とにかく今日こそ隙をみつけて、先輩の血を飲ませてもらおう!



 もうひとつ説明しておくと、吸血鬼とはいえ、私はグルメなのです。とにかく誰の血でもいいから吸えればいい、なんて絶対思わない。

 例えば同じリンゴでも、ひとつずつ個性があって味も違うでしょ? 歯触り、やわらかさ、蜜の濃さとか。


 人間の血液も同じで、私が好きな風味というものがあるんだよね。これは何人かの血をこっそり飲ませてもらううちに、こだわりが出来あがっていったの。


 断っておくけど、私に血を吸われたからといって、その人は吸血鬼にはなりません。催眠術のようなものをかけさせてもらうから、その前後の記憶があやふやにはなるけど、影響があるのはそれくらいかな。


 ちなみに、私が朝日あさひ先輩の血にこだわるわけは……いつの頃からか、私が先輩に片想いし始めたからなのだ。


 正直なところ、恋心が芽生えたのが先なのか、血が美味しそうと感じたのが先なのか、忘れちゃってるのよね。ほぼ同時だったような気もするけど。


 まあ吸血衝動がひどい今は、先輩のことを最初はどう思っていたかという問題については、ひとまず棚上げにしておきたい。


 今はちょうど、給食の時間。当番の子が配膳準備をする中、私は保健室に行くふりをして、よろよろと教室を後にした。


 以前から調査済みの事実なんだけど、この時間帯、朝日あさひ先輩はサッカー部の部室周辺にいることが多い。友達と一緒のこともあるし、一人きりのこともある。理由まではつかめてないんだけど、ここ一カ月そんなスケジュールを過ごしているんだよね。


 というわけで延々と進んだ先に、やってきましたサッカー部の部室前。


 うちの学校の場合、サッカー部と野球部の部室だけ、校庭の隅っこにあるプレハブ小屋みたいなのを使用している。窓はブラインドが降りていて、誰がいるかはわからない。

 けど、間違いなく小さな声が聞こえた。


「ほら、お食べ」


 その一言で私の食欲が、もとい吸血衝動がさらに刺激された。たぶん先輩の声で間違いない。続いて、か細い子猫の鳴き声がいくつかした。なるほど、野良猫の面倒を見に来ていたのか。


 なんて優しくて、素敵な人なんだろう、朝日あさひ先輩は。


 この哀れな吸血鬼の宇羅埜うらの妖華あやかにも、そんな慈悲深い先輩の血を恵んでください!


 サッカー部の部室の裏手側、つまり校庭に面した反対側に、私は回り込んだ。足元に砂埃が立つ。


 プレハブ小屋の入口近く、男子生徒の背中が視界にばっちり入る。その人は、ゆっくりと立ち上がった。私よりも背が高い。足音を殺すつもりが、駆け足になってしまった。


 振り返りかけたその男子生徒は、あ、と口を開いた、ように見えた。


 私は両目をきらりと光らせ、直後、男子生徒の首筋に牙を立てた――




「よかったよ妖華あやか、朝より顔色がいいよ。ジュースも飲んだし、給食もいつもよりたくさん食べてたもんね。きっと、お腹がすいてたんだよ、よかったよかった」

「う、うん、よかった……」


 純粋に私の体を心配してくれる小春こはる。そんな彼女へ、私は乾いた笑いを浮かべた。


 確かに私は、ここ最近で最も力がみなぎっている。弱っていた細胞の隅々まで満たされ、今すぐ地球の反対側まで走っていけそうなくらいには、体力が回復した。


 これ、私にとって相性の良い血を飲んだからこそなんだろう――相手が、問題なんだけど。

 ある意味、人生最大の失態。私が血を吸った相手は、あこがれの朝日あさひ先輩ではなかったのだ。


威成いなり、保健室で寝てこいよ?」

「あー……いいよ。部活休むことにしたし、家で寝る」


 斜め前の席で、男子二人が会話している。そのうち机に座ってぼんやりしているのは、伴盃ばんぱい威成いなり。サッカー部の所属で……今日、私が先輩と間違えてしまった奴だ。


 私はよりによって、あの伴盃ばんぱいの野郎の血を吸ってしまったのだ。

 気にくわない、むしろかたきだとすら思ってる、あの伴盃ばんぱいの!


 またこれが悔しいことに、あいつの血がかなり美味しかったのよ!

 だからこそ先輩と間違えた事実に、気づくことができなかったんだよね。気づいた時には完全に後のまつり。


 不調がなくなったのは嬉しいけど、その点だけすごく腹立つ。

 私の視線に気づいたのか、伴盃ばんぱいがニヤリと微笑んでくる。嫌な予感。体調悪いくせに、こうやって笑う余裕はあるのか! って突っ込みたくなる。


「何だよ宇羅埜うらの、俺に見とれてんのか?」

「とんだ勘違いよ! 黒板見てたの」

「照れるなって。俺にほれてんだろ?」


 高慢すぎる質問をしながら、伴盃ばんぱいは妙に決めポーズをとって見せた。背筋が急速に凍りつく。液体窒素でも流されたみたい。


 確かに人類の女性の何割かは、それをかっこいいと思うかもしれない。けど私は、真反対の感想しかない。


「んなわけないでしょ、ナルシストもいい加減にして!」


 ああもう、伴盃ばんぱい相手になると喧嘩腰になっちゃうのよね。疲れるわあ。

 せっかく血を飲んで元気になったのに、余計なエネルギーを奪われてたまるか!


 ……ってそういえば、こいつの血を飲んだんだっけ。あー、また腹が立ってきた。

 私は鞄をひっつかむと、小春こはるの呼びかけを背中で受け流しながら、足音荒く教室を後にした。



 ○



妖華あやかぁー? あれ、帰っちゃった」

宇羅埜うらのさん、お前と話すと、必ず機嫌こじらせるよな?」


 クラスメイトの澄明すみあきがおかしそうに言う。俺は自分の口元を手で覆った。


「確かにな。でも、宇羅埜うらのが俺を嫌おうが、宇羅埜うらのの自由だし?」

「はは、モテる奴は余裕だよなー」


 澄明すみあきは、両手を交差して後頭部に回し、天井を仰いでため息をつく。その隣に、安芸あきさんが立って軽く頭を下げる。


「ごめんね威成いなり君。妖華がまた怒っちゃって……」

「ううん、いいよ。安芸あきさんも、いつも謝らなくていいよ、俺は気にしてないから」


 さっき宇羅埜うらのにそうしたように――わざとらしく妙にキメたかっこいい俺――を想像しながら、安芸あきさんに笑いかける。


 安芸あきさんは一瞬固まった後、「そ、それならよかった……」と赤くなりながら目をそらした。


 うん、やっぱり効いてる。

 安芸あきさんは、どちらかというと効きやすい方ではないけど、間違いなく効いてる。


 となるとやっぱり……宇羅埜うらのはホント、珍しいケースだってことだな。

 俺は、部室に忘れ物があるのでとりに行く、と言い残して教室を後にした。




 俺は特殊な体質だ。


 白状すると、俺は生まれながらの吸血鬼、であるらしい。


 最初親から聞かされた時には、この人たちは一体何を言ってるんだと思い、まさか今日はエイプリルフールなのかとカレンダーを確認したけど、全然別の日だった。


 父さん曰く、伴盃ばんぱい家は平安時代頃から吸血衝動を持つ人間がぽつぽつと現れ始めたんだと。ただそういった体質の人間は、圧倒的な少数派。俺の前に吸血衝動を持った人は、俺のひいじいちゃんの世代だったそうだ。


 それでも伴盃ばんぱい家は、吸血鬼を大切にし続けた。何でもその吸血鬼は、何らかの大きな幸運を招き寄せることが多いらしい。


 父さんの実家に残された古文書いわく、災害を事前に察知して村人全員を助けただの、世紀のお宝を見つけて歴史が変わる発見をしただの、温泉を掘り当てて一財産築いただの。


 眉唾ものだけど、とりあえずはそういう言い伝えがいろいろとあるんだ。

 俺自身は、吸血鬼であることをある程度受け入れている。最低でも一、二カ月に一回、他人の血を飲ませてもらわないといけないのは面倒だけど、不自由はそれくらいかな。


 他、俺にそなわった特殊能力が、他人をメロメロにするフェロモンのようなものを、意図的に出せることだ。


 それは活用の仕方によって、俺に向ける敵意をなしにすることもできるし、他人同士をいがみ合いさせることさえできる。その能力のせいかどうかはわからないけど、俺はこの学校ではイケメンというものに分類されていた。


 特殊体質だけど、少なくとも女の子には嫌われることのない人生を送れるのかなあ、と思っていたのだが――そこに、宇羅埜うらの妖華あやかが現れたのだ。


 サッカー部室前に辿りついた俺は、ふたつの人影を見た。

 ひとつは朝日あさひ先輩、もう一人は宇羅埜うらのだ。


 あれ、もう練習始まってるよな? 先輩はどうしてここにいるんだろう?


 二人の足元に動くものを見て、納得する。最近この辺りをうろつく野良猫だ。先輩を中心に、数名がエサやりをしてる。


 俺は反対だったんだけど、ふと猫の血は吸えるのかどうかが気になって、なついた後によければ飲ませてもらおうと思い立ち、たまにエサをあげているのだ。


 今日の昼休み、そのせいでとんでも無い目にあったわけだけど――

 さらに歩み寄った俺に、朝日あさひ先輩が気づいた。


威成いなり、帰ったんじゃないのか?」

「今朝タオル忘れちゃったんで、とりに来ました」


 淡々と告げる俺。納得する先輩。俺を親の敵のように睨む宇羅埜うらの

 宇羅埜うらのは、朝日あさひ先輩の前では猫をかぶるくせに、俺の前ではこうだもんな。


 今日、その理由がやっとわかった――宇羅埜うらのも、俺と同じ吸血体質だったんだ。

 俺の特殊能力が全く効かないし、俺を毛嫌いするし、しょっちゅう貧血になる変わった女子だと思っていたら、そういうことだったんのか。


 俺はわざとらしく質問してみる。


宇羅埜うらの、さっき会ったばっかじゃん。どうしたの?」

「たまたま、よ。この辺りに子猫がいるって聞いたことがあるから、見に来ただけ」


 朝日あさひ先輩のいる手前か、いつもより言葉のトゲが少ない。ふむ、やっぱり先輩の前ではすましたいんだな。こいつも、たくさんいる先輩のファンの一人ってことか。そこは普通の女の子なんだな。


「うーん、噂が広まってるのはまずいな。一応、先生にばれないようにエサあげてるのに、そのうち止めさせられるかもなあ」


 と言いながら、朝日あさひ先輩は子猫を抱きあげた。すっかりなついてる。ならいっそ、先輩の家で飼った方がいいと思います、と言おうかと思った。


「先輩、気をつけた方がいいですよ。俺、今日の昼にここの様子を見に来たんですけど、気づいたら倒れてたんですよね。何でだか全然わかんないんですよ。だから、本当に気をつけてください」

「へ?……何があったんだ?」


 疑問符を大いに顔に浮かべる先輩の隣から、宇羅埜うらのが数歩後ずさった。

 なるほど、宇羅埜うらのは何も気づいていないようだ。俺を、ごく普通の人間だと思っているらしい。


 ま、朝日あさひ先輩の血をそのうち飲みたいなら、せいぜい奮闘すればいい。面白いから、俺がとことん邪魔してやるぜ――と、言いたいことをすべて笑みにこめながら、俺は再び宇羅埜うらのにキメた表情をみせた。



 ○



 もう最悪だ、絶好のチャンスだったのに、また伴盃ばんぱいが邪魔してきた!


 学校からの帰り道、私は怒りのあまり猛烈に早歩きをしてた。


 サッカー部室の近くに朝日あさひ先輩がいたから声をかけて、ちょっとお話して、もう少しで先輩の血にありつけるはずだったのに。

 伴盃ばんぱいの奴、予知でもしてるんじゃないかって疑うくらい、これまでも何度か邪魔してきたんだよね。今日は、二回もあいつのせいで嫌な思いをした。


「私はねえ、普通に先輩への片想いを楽しんで、普通に先輩の血を吸いたいだけなのよ!」


 押さえた叫びは、橙の夕焼けの中に溶けていく。今日も一日が終わる。

 チャンスがあったのに、あえなく台無しになった一日が終わる。


 私は拳を握った。


「待っていてください先輩。いつか絶対、先輩の血をごちそうになります。そして伴盃ばんぱい、あんたは吸血鬼である私が、いつかぎゃふんと言わせてやるからね!」


 十四歳の私の決意表明を、間抜けな鳴き声のカラスだけが聞いていた。カラスはさっと飛び立つと、書き初めの筆をすべらすように、夕暮れの空を真横に飛んでいった。

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