第3話
1580年(天正8年)2月
織田家当主、織田信忠は思案していた。
ここ数年、父である信長の様子がおかしい。
何かにとりつかれたようにテンションが上がったり、
打って変わって機嫌が悪くなり周囲に当たり散らしたりする。
そうかと思うと影を負ってひとりでぶつぶつと言って歩き回ったりする。
その症状は会うたびに急速に悪化しているように見える。
更に言うと人を疑うようになった。
以前の信長は驚くほど人を信用するたちで、
同盟を組んだばかりであった浅井長政の居城に単身で赴いたり、
裏切った弟や家臣を何度も許すなど、いわば「おひとよし」であった。
今では人を疑い罰しようと躍起になっている節がある。
実際、重臣の佐久間信盛を追放したり、裏切者荒木村重の家族五百数十人を古民家に押し込み火をつけ、かくまった僧侶を容赦なく殺した。
本願寺門徒は容赦なく皆殺しにしている。
やむを得ない事ではある、だがそれに躊躇は見えず常軌を逸している。
信忠自身も治めている美濃(岐阜)での反乱を疑われた。
そのようなことがあったと別のものから聞いただけで直接疑われたわけではないがショックではある。
だが親子の仲は悪くない。
むしろ信長は信忠の能力を認めており後継者として織田家の家督を継がせている。
ただ、家督を継いで織田家当主となってはいるが実質的な君主は信長のままである。
関係が悪化したこともある。
信忠が能楽にハマりすぎてしまい信長がそれに対して怒り、
相当険悪になったが朝廷までもが介入し関係は修復した。
少なくとも信長は修復していると思っているはずだ。
対外的には四国の土佐を治めている長曾我部氏とのつきあいを切ろうとしている。
取次ぎを行っている明智光秀に何も言わずにである。これでは光秀の立場がない。
このままだと交戦することになるだろう。
噂ではあるが三河遠江(愛知・静岡)の領主である徳川家康に軍を向ける話も聞こえていた。
徳川家康は長年の同盟国であり、家臣の様に忠実に仕えている。
戦で何度も織田家は救われている。
信長は居城、安土城の麓に彼の屋敷を作ったほどである。
彼を裏切り、攻め込む理由がない。
だが、今の信長ではありえなくはない。
信忠が信長から直接聞き、耳を疑った事がある。
日本を平定した後、「唐入り」を計画しているという事である。
言い換えれば中国侵攻計画である。
「唐入り」の計画を聞いたときは正直なところ気持ちが昂った。
我ら大和の侍が大陸を制覇し、世界に名を知らしめることができる。
だが信忠は日本平定後、武家の棟梁として日本を治めるトップである。
その気持ちをここ何年か持ちはじめ、自分に言い聞かせている。
無責任なことはできない。
確かに戦国の世を終えた時に日本国民の目を外部に敵を作り向ければ国として一体感は生まれるだろうし、失職する兵士の仕事が生まれるだろう。
だが失敗して下手をすればようやく終わった戦国の世が再度繰り返される。
「唐入り」は行うべきではない。
内政に専念すべきだ。
信忠は今の信長に織田家のかじ取りを任せることができる状態ではないと思うようになっている。
症状が良くなればそれに越したことはないがこのままとなれば考えなければならない。
(相談がしたい)
では誰に相談するか。
側近では斎藤利治という者がおり、よく相談相手になっているがこの件を相談しても信忠の愚痴を利治が聞くような形になり有意義な話し合いにはならなかった。
他の者でこのような話が出来そうな者は信長から貸し出された与力だけになる。
彼らにはこの件は相談できない。信長に近すぎる。
家中以外で信用できる人間といえば徳川家康と明智光秀だろう。
信忠はまだ若い。今年で25歳である。
そのため信長の許可を得て何度かこの2名に政治の相談をしている。
家康は美濃の比較的近く遠江の浜松城にいる。
距離的に連絡はとりやすい。
それに来年には甲斐・信濃(山梨・長野)の武田領侵攻作戦が予定されており、その総大将になっているため直接会っての話し合いは増える。
明智光秀に関しては近江(滋賀)の坂本城を居城にしている。
朝廷工作のため京滞在が多い。
来月には京に行く予定になっている。
こちらも実際に顔を合わせることもできるだろう。
信用できるものを使者にして話し合いを希望する手紙を送ってみる事にした。
信忠は内容も承知している側近の斎藤利治に託した。
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