バレンタインは誰のもの?

永杜光理

バレンタインは誰のもの?

 私にとって、姉はとても大事な家族。好きなお洋服やコスメもシェアできて、何でも悩み事を話せる。喧嘩をしちゃうこともあるけど、くだらない良い争いばかりだから、たいていはすぐ仲直りするんだ。


 お母さんもお父さんも、「純怜すみれ詩掬しずくは何でも話せるし、とっても仲が良いね」といつもほめてくれる。


 私たちは見た目もそっくりな、仲の良い双子。

 そんな私が、生まれて十四年目にして初めて、とうとう純怜すみれに言えない秘密を抱えてしまったのだ。


 とある日曜日の夕方。おうちの台所でひとり、私はふう、と息を吐く。

 明日には手作りのパウンドケーキを、学校へ持っていく。

 それを誰に渡すのかは、私次第。私の気持ち次第。

 それを邪魔する権利なんて、世界中の誰にもありはしないのに。

 どうしてこんなに胸の内が、ぞわぞわとしちゃうんだろう。



 ☆



 今日はバレンタインデーだ。手作りだろうが市販のものだろうが、お菓子を学校内で渡すのはやめなさいって、先生たちは数日前から何度も繰り返し言ってきた。


 私が思うに、そうやって注意している先生の中にも、学生の時には手作りのお菓子を渡したり、もらったりしたことがある人もいるはずだよね。どうして、大人になったら禁止する側に回っちゃうのかな。


 私のクラスでは、昼休み中に数人の女子たちが、仲の良い子たちとお菓子を配りあっていた。


「ねえ詩掬しずく詩掬しずくの作ったお菓子欲しいなあー」

「もちろん。ちゃんと味見したから、問題ないはずだよ」


 ラッピングしたパウンドケーキを、どうぞ、と夕夏ゆかに渡す。両手で受け取った夕夏は、大袈裟に拝む仕草をした。


「わーい、年に一度の楽しみがあると、嬉しいねえ。あ、お返しはホワイトデーにするね」

「うん、ありがと」


 そんなやりとりをしていると、視界の隅に誰かの姿が横切った。クラスの男子が何人かソワソワしてるから、きっとそのうちの一人なんだろう。

 と予想している間に、夕夏ゆかがその人影に向かって勝ち誇ったような笑みを向けていた。


「残念でした、葛城かつらぎ。残飯を狙うカラスみたいに、私の周りをうろうろしても駄目よ。詩掬しずくのお菓子はあんたなんかに絶対渡さないから」

「俺はカラスじゃねーし、お菓子を狙ってもないから」


 あきれたようにそう返したのは、葛城かつらぎだ。私と同じバスケ部の男子。

 いつもまぶたが重たげで、どこか眠そうな顔をしてるけど、本人いわく、これは生まれ持った顔立ちなんだから、文句は一切受け付けない、んだって。

 夕夏ゆかが杖に両肘をついて、組み合わせた手の甲にあごをちょんと乗せる。


「嫌だったら答えなくていいけど、葛城かつらぎは誰かからチョコもらったの?」

「……菓子見せびらかしながら聞くことかよ? もらってねえよ。たぶん放課後になったら、女子バスの後輩たちが俺たちにお情けで配ってくれるだろうけどさ」

「それ素敵じゃん! 私も一年生からチョコ貰えたらいいのになー。あ、詩掬はバスケ部の子達には、お菓子準備したの?」

「ううん。去年一年だった時に、女子の皆で協力して配ったから、今年はもうしないの」


 うちの部活だけなんだけど、女子バスケの一年全員で手分けして、男女バスケ部全員に義理チョコを準備する伝統がある(勿論先生には秘密にしてるんだけど、たぶん黙認してくれてるみたい)。私も去年、パウンドケーキを五個つくった。人によるけど、手作りのお菓子を準備する子もいるし、市販のチョコで済ませる子もいる。そこは自由なんだよね。


「なるほど。じゃあこのパウンドケーキは、貴重なものかあ。それはますます嬉しいなあ」


 ぐふふ、と子供向け番組の悪役みたいに、夕夏ゆかがほくそ笑む。視線が変な方向に向いている気がしてるけど、どうしてかな。


「パウンドケーキは、よく作るから失敗しにくいんだよね。だから今年も作ったの。夕夏ゆかさえよければ、これからたまにあげようか?」

「えっ、いいの?! じゃあお言葉に甘えて、今度の私の誕生日プレゼントはこれにしてもらおうかなー」


 はしゃぎながら、夕夏ゆかはちらりと私の後ろを伺う。つられて首をむけると、苛立たしそうにため息をつく葛城かつらぎがいた。あれ、まだそこにいたんだ。


「食べ過ぎると太るぞ。ほどほどにしとけ」


 捨て台詞のように言うと、葛城かつらぎはスタスタと自席に戻っていく。夕夏ゆかがその背中に向かって、お菓子は女子中学生の生存には欠かせないんだ、って自説を叫んだ。

 そうこうしているうちに、昼休みの後の掃除の時間になってしまった。


 どうしよう、放課後がせまってくる。

 覚悟を決めたはずなのに、まだ、お腹の底がそわそわと落ち着かない。

 ――私は、今日こそ言えるだろうか。自分の、秘密にしていた気持ちを。



 ☆



 私、詩掬しずくと姉の純怜すみれは、とてもそっくりな双子。でも初対面の人が、私達を取り違えることは少なかった。

 なぜなら、純怜すみれはいつも肩につくくらい髪を伸ばしていたし、私はショートカットにしていたから。お互いの髪型は、保育園の頃から変わっていない。


 さらに私たちの違いを言うと、姉のほうが積極的で人懐っこい。妹の方は、人見知りとまではいかないけど、姉の影に遠慮がちに隠れちゃうことが多い。

 正直言って純怜すみれの方が、他人ウケする、世渡りの上手い人間だ。


 でも、純怜すみれは私に意地悪するような性格ではない。それだけは強調しておきたい。ただ、姉が先に主張した内容を吟味した上で、妹は自分の意見を、折り合いがつけれる程度には修正している。たぶんこのことは、純怜すみれも、お父さんもお母さんも気がついていないと思う。


 そうだ、純怜すみれに遠慮して、言いたいことを飲み込んできた。そういう人生だった。

 だから、好きな人も先にとられてしまったんだ……そうに違いない。


 ホームルームが終わると、私は部室に行くより先に、図書室へと足を運んだ。そこに、私の会いたい人がいるはずだから。

 部活に遅刻しないように、すぐにすべてを終わらせるんだ。


 図書室に入ると、放課後が始まったばかりだからか、あまり生徒はいなかった。中を見渡すと、見覚えのある背中が目に留まる。

「先輩……」

 早歩きで近づいて行くと、足音に気がついたのか、先輩がこちらをふりむいた。

「ん……詩掬しずくか、久しぶり」

 大野先輩は、バスケ部でもかなり人気のあった人だ。年に一度のバレンタインデーでも、先輩に配られるお菓子だけ、やたら気合が入っていたなんて噂もあるくらい。

 部活引退前より、髪が伸びている。けれど、先輩のやわらかな雰囲気にあっていて、かっこいい。


「お、お久しぶりです……」

 意を決して図書室に来たはずなのに、一瞬目的を忘れてしまいそうになる。

 チャンスは、今しかないのに。


 先輩は、純怜すみれの彼氏だ。先輩が部活を引退した後、純怜から告白して、お付き合いが始まったらしい。

 それを、照れながら報告する純怜すみれから聞かされた時、私は一世一代の芝居をして、心から祝福してあげるふりをした。あれは、我ながらすごく上手に誤魔化せたと思う。

 この数カ月、我慢してきたけど、もう言うしかない。


 言うだけなら、たぶん誰も傷つけない。あえていうなら、私がフラれて落ち込むだけだ。

 純怜すみれには、絶対内緒にする。けれどもう、黙っているつもりはない。

 先輩はもうすぐ卒業するんだから、言いたいことは言わなくちゃ。


「えっと、その……」

 私は、鞄からお菓子を取り出した。丁寧にラッピングした、チョコたっぷりのガトーショコラ。先輩のためだけに、特別につくったものだ。

 先輩は、お菓子を片手に持ったまま硬直する私を見て、不思議そうに首をかしげる。


「どうしたの、詩掬しずく? それはお菓子? 一体誰に渡す……」

 先輩の言葉は、そこで途切れた。私はおそるおそる、先輩の表情を伺った。

 氷みたいに固まった先輩は、真一文字に結んだ唇を、わずかにきゅっと動かした。

 それは、私にもよく覚えがある。本心を隠そうとしている人間が、とっさにとる行動だと思う。


 私が純怜すみれの前で散々してきたのに、たぶん誰にも気がつかれることのなかった表情の変化を、目の前でつきつけられている。

 私の全身の血が、すーっと地球の中心まで下がっていく音がした。

 数秒間、我を失っていた私は、扉が開く音で現実に引き戻された。


「トシ、お待たせー」

 押さえがちな声は、純怜すみれのものだ。私の体は考えるまでもなく、お菓子を鞄に戻していた。


「あれ、詩掬しずくもいたの? 部活は休み? だったらトシと一緒に買い物に行かない……って、詩掬しずく?」

 呼びかける声も無視して、私は図書室から逃亡し、全速力で廊下を走った。

 先輩と純怜すみれのいる場所から、とにかく遠くへ行きたかった。



 ☆



 気がついたら、バスケ部の女子更衣室に来ていた。部活はもう完全に遅刻なんだけど、出なきゃという気持ちだけは、心のどこかにあるみたい。

 習慣ってすごいなあ、なんて、人ごとのように思う。


 徹夜明けした後みたいに、頭が働かない。それでも、鞄からお菓子を取り出した。

 つぶれちゃった箱が、まるで今の私みたいだ。


 ゆっくり立ち上がり、ゴミ箱の前に歩を進める。ぽん、とお菓子をそこ捨てた。

 精魂込めた私の気持ちは、あっさりとその他多数のゴミの中に、紛れ込んでしまった。

 さようなら。私の片想い――


「だめだ、結局、言えなかったじゃん……」

 その言葉が合図だったみたいに、嘘のように涙がだらだら流れてくる。

 一度、大きな嗚咽がもれて、必死で口を押さえた。肩を丸めてしゃがみこむのと同時に、誰かが入ってくる音がした。


詩掬しずく、どうした? 怪我でもしたのか?」

 女子更衣室にそぐわない、低い声。葛城かつらぎだった。

 葛城かつらぎは即座に私の側まできて、しばらく立ちつくしていた。

 そのあと慎重に、そっとしゃがみこむ気配がする。


「どうする、保健室いく?」

 私は、何とか首を横にふる。


「一体どうしたんだよ……まあ、言いたくなきゃ言う必要はないけど」

 何も返事できない私を、葛城かつらぎはそっと促して、古びた椅子に座らせた。その時、わずかに汗の匂いがする。

 涙をひととおり流して落ち着いたからか、沈黙がぎこちなくて、葛城かつらぎにやっと話しかけた。


葛城かつらぎ、このままじゃ変態になっちゃうよ」

「第一声がそれか……トイレの帰りに物音がしたから、女子更衣室の前まで来ただけだよ。仮に本物の変質者がいたら、それこそやばいだろ」


 ふう、とため息をついた葛城かつらぎは、ぽんぽんと私の頭を叩き、立ち上がった。

「今日は休めよ。詩掬しずくは更衣室の前まで来てましたけど、具合が悪そうだから帰りましたって、先生に言っておく。その赤い目じゃ、みんなが心配するぞ」


 確かに、後ろめたさが無いと言えば嘘になるけど、いつもどうりの顔して部活できる自信もない。葛城かつらぎの言うとおり、休んじゃおうかな。


「人生は長いんだし、たまのずる休みくらい、仕方ない」

 中学生っぽくない慰めの言葉と共に、葛城かつらぎは立ち上がる。そのままさっさと戻っていくかと思えば、ある方向を見てじっと固まっていた。


「どうしたの?」

 葛城かつらぎを仰いだ後、その視線を辿っていく。見えたのは、私がさっきオサラバした、ぐちゃぐちゃの片想いの残骸。

 葛城かつらぎが動く。私もゴミ箱へかけよったけど、私より手足の長い葛城かつらぎの方が早かった。奴は、手の中の箱をまじまじと眺める。


「ああ……なるほどな」

 納得したようにつぶやくと、そのまま更衣室から出ていこうとした。私は全力で引きとめる。


「ちょっと! 何でゴミを持ってくの?!」

 葛城かつらぎは、箱を軽く振った。

「中身、まだ入ってる。もったいないだろ」

「何言ってるの! ゴミ箱に入ってたのに」

「でも、どうせお前が捨てたんだろ? だったら、ゴミ箱に入れてから時間が経ってないはずだ。じゃあ問題ない」


 言葉に詰まった。やっぱり、葛城かつらぎはある程度察してるのか。今日はなんと言ってもバレンタインだもんな、そりゃそうか。

「腹減ってたし、ちょうどいい。せっかくだから、誰かが食べた方がお菓子も成仏できるだろ。これ、俺がもらうから」


 堂々と断言されて、気圧されてしまう。それって本来なら、私が先輩のためにつくったもの……まあ、受け取ってはもらえなかったし、そもそも肝心なことを言えず仕舞いなんだけどさ。


 気持ちを言う前から相手が察したんだなって、気づいちゃうのってむなしい。

 そうとわかっても、言ってしまえばよかったのかな。

 傷つくしかなかったとしても、行動すればよかったのかも。


「……勝手にしたら?」

「うん、勝手にする。俺、お前のつくったお菓子食べたいから」

「……え?」


 思わず疑問が漏れる。ドアノブに手をかけた葛城かつらぎは、扉に向かって言った。

「来年は……来年は、俺にもパウンドケーキくれよ。去年のやつ、最高に美味しかったし、来年も絶対欲しい」


 あれ、何だこれ、どういうことだろう。

 葛城かつらぎが、私にバレンタインのお菓子を催促するって、それはつまり……。


「えっと、あの……」

「お前が俺にお菓子くれるかどうか、来年になったら嫌でもわかるから、今は何も言わなくていいよ」


 葛城かつらぎは去っていった。まるで風のようだった。

 一人残された私は、本当のゴミしか入っていないゴミ箱を眺めながら、しばらく呆然とするしかなかった。



 ☆



詩掬しずく、今日はどうしたの? 部活休みなの?」


 家につくなり、純怜すみれがアイスを頬張りながら話しかけてくる。暖房がついているからといって、よく食べる気になるなあ。


「ちょっと体がだるいから、早めに帰ってきただけ」

「ふえ、そうなの?」


 返事もそこそこに、居間のこたつに両脚を突っ込んだ。寒さが徐々にほぐれてくる。

 純怜すみれのあの様子を見る限り、先輩は純怜すみれには何も言っていないんだな。

 ……うっかり忘れかけそうになってるけど、そういえば私、今日失恋したんだよね。

 葛城かつらぎのせいで、すべてが吹っ飛んで行ってしまったじゃないか。


「はい、あったかいうちに飲んでね?」

 目の前に置かれた、お気に入りのマグカップ。ココアが優しい湯気をたてている。

 純怜すみれもこたつに入りながら、そういえば、と切り出した。


「今日、図書室で何してたの?」

 何の疑念もない、純粋な疑問だ。私はココアをすすった。


「その……料理の本でも、借りようかなと思ってたの」

「そうなんだ。でも、本棚は全然違う場所にあるよね? まあいいや、また何かつくったら、私にも食べさせてねー」


 もう一度、ココアをすする。

 私はついさっき、失恋した。でもその後、葛城かつらぎにどんなことを言われた?

 ――お前が俺にお菓子くれるかどうか、来年になったら嫌でもわかるから、今は何も言わなくていいよ


詩掬しずく、顔赤いよ? 風邪ひいちゃったんじゃない?」

 純怜すみれの質問には答えず、私はココアを思いっきりあおった。案の定、むせた。

 げほごほ、とひどく咳き込む私の背中を、しょうがないなあといいながら、純怜すみれが撫でてくれる。



 私は今日、純怜すみれに内緒で告白して、失恋しました。

 だから、秘密はゼロになるはずだったのに。

 ゼロになった直後、またひとつ、秘密が増えちゃったのです。

 この秘密は、純怜すみれにも相談できそう。

 けどそれは、まだまだ先にのことになりそうだな。

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