リレー5

「間もなく、〇〇〜〇〇〜」

 私の知らない駅の名前を淡々と呼ぶ車掌の声で目を覚ます。私、さっきまで何をしていたんだっけ。思い出そうとすると、ひどい頭痛に襲われた。

 知らない街の中に、知らない人が消えてゆく。思わず顔を上に向けると、そこには私のよく知る星々が散らばっていた。どこか安心したような気がして、ほっと息をつく。そして歩き出した先にあったのは――


 たどり着いたのは住宅地の中の小さな公園。遊具が離れ離れに点々とあるさみしい公園だ。そこのペンキが半分剥がれたベンチに腰かける。ここまで歩いて来た道が思い出せない。この町の風景はどれも記憶の中になくて、だけど、どうしてか心地が良い。

「こんばんは、お姉さん」

 そう呼ばれて振り向くと、いつの間にか黒い髪の少女がすぐ後に立っていた。気づかなかった。こんな近に来ていたのに。

「こんばんは。あなたは?」


「それは私の“名前”を聞いてるの?それとも、私が“何者”か聞いてるの?」

 少女はおかしそうに笑った。

「名前なら教えてあげない。危ないし」

「…」

 何となく釈然としない思いを抱きつつ、私は少女の話を聞く。そもそも名前云々より、この時間に小さな子供が出歩いている方が、はるかに問題だと思うのだが。

「はやくおうちに帰った方がいい、って?それはお姉さんもそうでしょう」

「…」

「“何者”かの方を聞きたくなった?お姉さん」

「多分、あなたはそれも知ってるんでしょ」

 少女は今度は無言で微笑むと、こう告げた。「私はね、死神なんだ」


「死神」という言葉の響きに、どこか懐かしさを感じた自分が居た。不思議と、少女に抱いていた恐怖心は泡の様に消え去った。

「ねぇ……死神さん、私をどこに連れていってくれるの?」

 そう少女に問いかけた私は、もう先程までの私とは別人になっていた。けれど、今の私が何者なのか、よく分からない。少女はそんな私の思考を見透かした様にこう言った。

「そうだねぇ……お姉さんが『自分が何者だったか』を思い出したら、教えてあげても良いよ」


 ―何者でもないよー。心の中でそう叫んだ。ラベルのない自分が嫌いだった。毎日学校に行き、部活をして、家に帰れば家事をする。機械のように物事に追われていく日々。気づいたら、何かを失っていた。失った何かを探し求めて、私は旅に出たのだ。

 それなのに、彼女は軽々しく私の心の底をえぐったのだ。心の奥から何か黒い気持ちがわきあがってくるのを感じた。


 痛みとともに、身体の奥底に埋めたはずの黒い気持ちが走馬灯のように流れはじめた。

 誰かが私をジトッと見ている。スマホのシャッター音を不規則に鳴らしては、もの珍しいものを鑑賞する様に、ほくそ笑んでいる。そうか、私はもう――。

「死神さん、そういうことだったのね」


 私はもう、本当に何者でもなくなってしまったのだ。「鉄道」は、生と死を隔てるものを超える道。そんな物語を、読んだことがある。この不可思議な最期さえ、「既にあるもの」なのだ。暗く沈む私の心はしかし、一点の光を見出していた。私が何者でもなくても、既にある結末を迎えたとしても、かまわない。だって、物語が残っている。空っぽの私は、それでも残り続けるのだ。残り続けるからには、私は何かの役割を果たさなければならない。だから、迎えに行こう。私のいたところまで。死神にお礼を言って別れた後、私は光の見える方へ手を伸ばし――あなたを掴んで、引きずり込んだ。

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