Day 5. 線香花火

 山梨でダイダラボッチが負けた時、国は決定的に絶望した。

 呪霊カラバラカによる蹂躙が、本州を北上する。

 生命を持たない呪霊に対して兵器の類は意味を持たず、日本の各地に点在したはずの対抗手段はすたれて久しい。

 ずうううん、ずううううん、という低い地鳴りに続いて、古い校舎の窓枠が、たたたたっ、かたたたっと鳴る。

 ずうううん、ずううううん。

 呪霊は奥羽山脈を崩しながら、着実に近寄ってきている。


 冷房の利かない真っ暗な理科室にLEDランタンを灯して、杏理は黙々と作業を行っていた。

 硝酸カリウム、硫黄、炭素粉末、塩化カリウム、鉄粉。

 そして、カラバラカの爪。

 ダイダラボッチは、ただ負けたわけではなかったのだ。カラバラカに胸を踏み抜かれながらも、その足の小指から爪を剥いでいた。

 剥いだ巨大な爪を、遠く弘前ひろさきまで投げてよこした。


 杏理はそれぞれの素材を別々の乳鉢で丁寧にすりつぶす。

 頬に伝う汗を、夏服の肩に汗をなすり付けた。

 夏服は、血と泥で汚れていた。

 理科室のさらさらとした机に書道の半紙を広げ、すりつぶした素材を乗せて行く。

 半紙を折り合わせて真ん中へと集め、筆でゆっくりと混ぜる。

 がたがたがたがた!

 と揺れが来て、混ぜた粉が広がる。それをまた筆で集め、今度はポケットティッシュを広げて、半分に切った。


 ──お父さん、お母さん──


 母は退魔師の血筋だった。父は町工場の経営者だった。

 カラバラカの爪を粉砕する作業中に、爪は突如として杏理に襲い掛かり、母は娘を庇って死んだ。父は爪を抱え、もろとも粉砕機に飛び込んだ。

 杏理のブラウスの染みは、両親の血によるものだった。

 

 半紙からティッシュへ、真ん中に線を引くように火薬を移す。

 火薬を端から包んでりこむと、校庭へ走った。

 

 弘前にはもう誰も残っていない。真っ暗な中、南の空が紅く燃えている。はるか山の向こうから、火球のようなカラバラカの頭が、おぞましい日の出のように昇ってくる。

 

 ──あんたが、あんたが、あんたが


「お前ふざけんじゃねぇよ!! なんなんだよふざけんなよ! ふざけんなぁ!!」

 

 激しい縦揺れで、杏理は立っていられずに尻餅をついた。それでもなお、わめき続けた。

 スカートのポケットからライターを出す。

 父が煙草を吸うのに使っていたライターを。

 禁煙したからもういらないなぁと笑っていた、メビウス柄のライターを。

 そして、作ったばかりの線香花火に火をつけた。

 ぱちぱちと音を立てて、火花が散る。

 誰もいない真っ暗な校庭の真ん中に灯る、消え入りそうな光。

 数十キロ先の山頂から覗く、火球のごときカラバラカの頭。

 杏理の花火にできた火球が、じりじりとティッシュの本体を登る。


 呪霊は原則として不死である。

 しかし呪霊の一部を用いて死を表現した場合は、その限りではない。


 ぱしぱし、ぱしぱし、と最後の火花を散らして、線香花火の火球が落ちた。

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