第1話 変わらない日常
早朝、午前六時頃。
電車に乗ってから三十分程経過した頃に
懐かしい夢を見た。それが何だったのかは零も思い出せない。
早々に諦めて寝起きで寝惚けた脳を読書で働かせる。
今日は金曜日。学生の週末。
大多数の学生が一番やる気を出して過ごす終わりの日。二日間の天国を今か今かと待ちわびていることだろう。
零は朝の日課を済ませ、自分と父親の分の弁当を作り、いつも通りに家を出て学校を目指している。
車両にはシートに座っている人も、先程の零の様に居眠りしている人も、吊り輪を握って立っている人もいない。両隣の車両には数えるほどの乗客が見えるがこの車両には誰一人いない。
玲始一人だけの貸し切り状態。
早朝という便である事もあって、余りに寂しい。ただし、一般的に考えればの話だ。
しかし、零にとって読書するにあたって最高の状況だった。
外の駆動音はカフェに流れる曲のように不思議と小気味良い心地好ささえ感じる。
路線が何の前触れもなく切り替わり、地下の路線を進み闇の中へと潜っていく。
人工灯が等間隔に過ぎ去っていく。
時折射し込んでくる人工の光を合図にしたように本をめくり、次の頁に移る。
それを繰り返している間にも、外の景色が徐々に変化していき、路線が地上に向かって緩やかに傾斜を昇っていく。
人工の光に慣れていた眼に陽が射し込み、零は目を細めた。
学校のある都市部を電車が走る。
その街の大半は、まだ眠りについている。
外は少し暑さの感じられる涼しい空気が漂っている。
夏ならではの早朝の空気だ。
その風景を一年半も過ぎれば眺め慣れたものだ。
でも、今日は通り過ぎる風景に耽り、この一年半を振り返っていた。と言っても何の代わり映えない高校生活だ。
朝は日課のランニングと幼き頃に母親に教わった剣術の反復。
自分と父親の弁当と朝食作り。
登校し、授業を受け、下校して家事をこなして、勉強する。
合間の時間や休日は日課の他に漫画や小説を読んだり、ゲームをプレイしたり映画を観たりして、そうして高校二年生の半年を越え、秋を迎えた。
平凡ではあったが、天星零にとっては充実した日々だった。
「……本当に色々と」
良くも悪くも学生生活は飽きることはなかった。
電車は都市部の一つ目の駅に到着した。
ここから数分は停車する。
快速電車が通過するための待ち時間である。
各駅停車なので、優先的にそちらが先なので仕方ない。
ホームに人影は見当たらない。
早朝とはいえ、二人くらいはいたりするのだが、今朝は一人世界に取り残されたように静かだ。
読書に耽っている間にアナウンスが流れ快速電車が通過していく。
『お待たせしました。発車致しま〜す』
少しして再び聞き馴染んだアナウンスが流れた。
「ちょっと待ってくれー!」
シューッと空圧で閉まっていく自動ドアに滑り込むように慌てた声を上げながら誰かが入ってきた。
「はぁ…はぁ、危なかったぁ〜。首がギロチンに掛けられる所だった」
ユーモアな一言を呟き現れたのは、零と同じ高校の女子生徒だった。
顔が上がった瞬間、視線が合った。
女子生徒は、あ!見つけた、と言わんばかりに零へ笑みを向けてくる。
そして、そのままトコトコと近寄ってきて、
「おはよう天星くん」
「おはようございます。それにしても今日はギリギリでしたね。あとこの車両には俺しかいないので気にしなくて良いですよ」
真面目な挨拶と謝罪に、零は弄りを交えた挨拶を返す。
「うぐっ…恥ずかしいところを見せてしまった。まあ、目立つような行動をした私に非があるのだが、弄らなくても良くないか?」
ムスッと少し不機嫌な表情でじっと見つめる上級生。
「気にしないようにしてもらう気遣いなんですよ、九重会長」
零達の学校では知らない者はいないであろう人気者。
悩みや困り事などの相談、問題に真摯に乗っては解決。
空き教室を借りて週に一回開く勉強会では、教師よりも分かりやすいと評判が出るほど成績優秀。それでいて責任感もある。
そんな教師よりも教師らしく、頼りになる事から、真のトップ会長なんてダサいネーミングで呼ぶ生徒がいたりする。
付けてくれるならもっと違うものが良かったというのは紫の言葉である。
一年前に零はこの同じ時間の電車内で聞いた。
紫との出会いは一年半前の入学式。
なんて事の無い偶然時間が合っただけの少し早い先輩後輩関係だ。
「その九重会長というの、そろそろ止めて欲しいのだが」
「とても距離を感じるから、でした?」
それも一週間も続いていけば、自然と距離が縮まる。
紫としては九重さん、紫さん、紫、それが嫌ならゆかりんのどれかで呼んで欲しいそうだ。
彼女なりの縮め方なのだろうが、ゆかりんは絶対に嫌な零である。
「これでも親しみを込めているつもりなんですが」
「君の場合は親しみではなく、弄り甲斐では?」
「弄り甲斐あるなら距離は感じませんよね?」
あと変えたら面倒になるから、という理由もある。
弄るくらいには零と紫の仲は良い。
それ故に、紫は電車内だけでなく、生徒会が無い時に限るが、休み時間に時々やって来るのだ。
どれくらいと言われれば昼休みに仲睦まじく昼食を共にするくらいには。
当然、周りの目に止まってしまう。
結果、零は悪目立ちしてしまい、男女共に妬みなどの目に晒されている。
だからと言って関係を断つような事はしない。
何せ、先輩後輩関係でもあるが同級生の友達がいない高校で初めて出来た友達である。しかも女友達だ。
中々出来ない関係を壊すのは零でなくとも勿体のではないだろうか。
それに、お互いに色々と適任な相手でもあったりする。ということもあり、妥協案として、零は会長呼びを固定している。
「君はケチだな」
「こういうのは習慣付けが大事なんです」
「……なら、私が零と呼べば、この問題は万事解決だな」
「それ、別の問題が炎上するじゃないですか」
容姿な良いこともあって告白を受ける事も多い。
また、告白は男子だけでなく女子からもされている。
だから、紫は自分がどういう風に見られているか自覚しているのだ。
けれど、鼻であしらうような態度などを取ることは決してない。
イギリス人男性のような紳士的行動を心掛けているという。
それが女子生徒からも慕われている理由の一つなのだろう。
だから、本気で言っているわけではない。
単に軽くやり返されただけの話。
「んー………」
そして、零はふと気になった。
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