終章 空気読め! ~その一~




 フェンス越しに旧校舎の工事の様子を眺めていた戸隠とがくしきりは、背後で葉月はづきがうんざり気味の溜息をもらしたのを聞きつけ、静かに振り返った。

「どうしたの、葉月?」

「……どうして黙ってたわけ?」

 葉月は眉間に指を押し当て、低い声で聞き返した。

 きょうは雨こそ降っていないが、朝からずっと薄曇りで、肌に触れる風はしっとりというよりじっとりと生ぬるい。雨が降り出すのも近いのかもしれなかった。

「黙ってたって、何のこと?」

「先生のこと」

「ああ……」

「前もって教えてくれてもよかったんじゃない、先生もリターナーだって! すみれさんや山内やまうちさんだって知ってたんでしょ? なのにどうしてわたしにだけ内緒にしてたのよ!? これじゃ校内でもずっとピリピリしてたわたしがバカじゃん、まるっきり!」

「そう卑下するなよ、かぜおか

 重信しげのぶが持ち込んだデッキチェアに寝そべり、ぷかぷかとタバコの煙を吐き出していた石動いするぎ恵一けいいちが、愚痴っぽい葉月のぼやきを聞いてひらひらと手を振った。

「おまえには黙っておいてくれって、俺がそう戸隠に頼んだんだよ」

「……どうしてです? 何も知らないわたしを笑うためとか?」

「おまえさ、ギャルのわりには考え方が後ろ向きだよな?」

「ギャル関係ないですよね、それ!? そもそもわたしはこういうファッションが好きなだけで――」

「いや、まあ……そう怒るなって」

 石動は煙草をポケット灰皿にねじ込み、慌てて起き上がった。

「要するに、校内にほかにもリターナーがいるって判ったら、安堵感からおまえが油断しちまうかもしれんだろ? そうならないよう、つねに緊張感を持たせといてやろうっていう恩師の思いやりだよ」

「何いってんだか……」

「いや、わりと本気だったんだがな」

 そううそぶく石動の真意がどこにあるのか、それは霧華も知らない。霧華が石動の要求を容れて彼の存在をごく一部の人間にしか明かしていなかったのは、“機構”加入に際して転職や引っ越しをしいることになってしまった石動に対し、せめてその要望を可能なかぎりかなえてあげたいと思ったからである。

「石動先生がリターナーだということを知らなかったのはあなただけじゃない。たとえばこの前あなたといっしょにうちに集まってくれた人たちは、みんな先生の噂は聞いていても、具体的な情報は知らなかった。それに、ザキくんはいまだにこのことを知らされていないし」

「あいつならとっくに気づいてるんじゃないの? ……ムカつく」

「なあ、風丘」

 新しいタバコを取り出して火をつけ、石動はいった。

「――おまえはそうやって、もう少しストレートに感情を出したほうが可愛いぞ?」

「は、はあ!?」

「まあ、可愛いってのはともかく、おまえ、いつも張り詰めた表情してるし、クラスメイトたち相手にもずっとツンツンしてるだろ? それじゃストレスばっかり溜まって潰れるぞ? 思うところがあるならもっと素直に吐き出したほうが楽になる。俺に吐き出せってんじゃない、戸隠とか、ザキくんとか、同年代で同じような立場や悩みを共有できる仲間がいるんだからさ」

「霧華はともかく、あいつだけはありえないから」

 葉月は聞こえよがしに舌打ちし、葉月はそっぽを向いた。

「――そういやそのザキくんはどうしてるんだ?」

「説明責任を果たしに」

「ああ、そりゃたいへんだ。……でもいいのか、戸隠? リターナーでもない、じゅんさんみたいな協力者でもないただの一般人に、俺たちのことを打ち明けちまって?」

「仕方ない。田宮たみやさんの安全を保障することが、ザキくんを味方にしておくための唯一の手段だし」

「やれやれ……どこかにいないもんかね?」

「何です?」

「たとえばほら、人の記憶をささっと綺麗に消しちゃうとか、書き換えちまうとか、その手の“スキル”を持ったリターナーがさ?」

「あいにくと、“機構”が把握している範囲にはいません」

 もし仮にいたとしても――たとえば霧華にそんなスキルがあったなら、その事実を他人に打ち明けたりはしない。もし誰かに知られれば、それこそスキルを使ってその記憶を書き換えるだろう。人の記憶を改竄できるということは人の記憶を読み取れるということでもある。そんな力が他人に忌避されないはずがない。

「……とりあえず、ザキくんが見聞きしたことは葉月も把握しているし、今は彼がいなくても問題ない」

「といっても、きのうの連中についてはほとんど何も判らなかったんだろう?」

「ええ。山内さんが倒した男はフリーター、ザキくんが倒した男は都内にある中小企業のサラリーマン、先生が倒した男も……たぶん、表向きの身分はいずれ判るかもしれないけど、でも、たぶん彼らのつながりについては何も掴めないと思う」

「そりゃまた徹底してるな。せめて連中のアジトでも判ればよかったんだが」

「それ以前に、霧華が感じたエローダーは四人いたって話だよね? でも、学校に現れたのはふたり、わたしたちのほうに来たのはひとりだったじゃん? 残りのひとりはどうなったわけ?」

「ふつうに考えれば、わたしたちに関する情報を持ってほかの仲間のところへ戻ったんだと思う」

「やれやれ……少なくとも、この学校はこれからもチェックされるだろうな」

「これまで以上に気をつけないと……」

「まあ、こっちからは判らなくても、連中には判るわけだろ? ふだんこの学校にはリターナーが四人もいるんだ、よっぽど自信がなきゃ、もう仕掛けてこないって」

「だといいけど……わたしやあいつはもう顔バレしてる気がする」

 葉月は空を見上げ、肩をすくめた。

「葉月」

「ん?」

「……大丈夫?」

 霧華は葉月に歩み寄り、上目遣いに友人を見上げた。

 きのうの戦いは、葉月がこれまで経験してきた者の中では一番ハードだったと思う。彼女があれだけの深手を負ったことも初めてだった。すみれのおかげで肉体的な傷はもう治っているはずだけど、霧華はむしろ、葉月の精神的な傷のほうを心配している。

 葉月は自分の太腿を一瞥し、

「もう傷も残ってないし、ゆうべ輸血もしてもらったし、心配ないよ」

「そういうことじゃなくて……まあ、葉月が元気ならいいけど」

「……元気だよ」

 葉月はふわりとした笑みを浮かべ、霧華の頭を撫でた。

 そんな少女たちを見て石動がにやにやしているのに気づいて、霧華は珍しくイラっとするのを感じた。

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