第六章 事故物件 ~その六~
光の刃をいったん“鞘”に戻し、ふたたび抜刀の構えに移った重信は、壁にすがってよたよたと立ち上がった男へと、すり足のままじりじりと近づいていった。
「最初にいっただろう? さくっと片づけさせてもらうと」
「き、きみ……ぼくらの仲間を五人も倒したって、フロックじゃないってことか……」
それまでずっとにこにこしていた男の顔に、じわりと脂汗がにじみ、その表情がこわばり始めていた。押し殺したような声で呟いている間も、膝下で切断された左足の傷口からは大量の血が流れ出ている。壁に寄りかかっていなければ、ああして立っているのも難しいのかもしれない。
男の顔色が青ざめていくのを見て、重信は低い声でいった。
「……エローダーについて何かしゃべるつもりがあるなら聞くぞ?」
「へえ……? しゃ、しゃべれば助けてくれるの?」
「助けるわけないだろう? おまえは田宮くんを襲ったんだ、殺すのはもう決まっている。素直にしゃべるのなら、しゃべっている間だけは生かしておいてやる。――すぐ楽になりたいというならそれでもかまわないが」
「どっちもごめんだよ!」
男は一本だけ残った右脚で大きくジャンプした。その両手には、背後の壁からえぐり取った鉈が一本ずつ握られている。
「……まあ、だろうな」
男が両手の鉈を投げつけてくるのに合わせ、重信は再度“朔風赤光”を抜き放ち、ほとんど同時に二丁の鉈を叩き落とした。
「ぼっ、ぼくたち正義の味方が負けるわけにはいかないんだよう!」
男はそう大声で叫ぶと、自分で自分の身体を引き裂いた。
「わあああああ!」
触れたものをすべて鋭利な刃物に変える――そんなスキルを持つ男なら、自分の身体から噴き出した鮮血を瞬時に硬化させ、鋭利な針に変えたとしても驚くには当たらない。全身を巨大な剣山に変えた男は、そのまま重信を圧殺しようとした。
「――――」
相手が深手を負っている今、突っ込んでくる男をいなして時間を稼ぎ、出血多量で弱るのを待つのが一番の安全策だとは判っていたが、死を覚悟した男が不意に矛先を変えて階下にいる美咲たちに向かわないともかぎらない。なら、これ以上妙な真似をされる前に始末するのが上策だった。
だから重信はその場に踏みとどまり、男を迎え撃った。鋭く伸びた針を斬り飛ばし、頭上に迫った男の胸へ赤光の切っ先を突き立てる。
「うぎゅう……!」
奇妙な呻き声とともに男が吐いた血が、細かな針となって重信に降りそそいだが、それでも重信は逃げなかった。
「あ、お、お――」
男は両手をばたばたと振り回し、どうにか重信に触ろうとしていた。
「おれのスキルがおまえのスキルのような代物でなくてよかったよ。何というか……まったくもって見映えがよろしくない」
男自身の体重で、ずるりとその背中まで切っ先が抜けたのを感じた瞬間、重信は一気に赤光を振るった。
「――――」
深く刃が突き刺さった胸から股下まで、ひと息に断ち割られた男は、どちゃりと重く湿った音を立てて床に転がった。
「完成前から事故物件か。せめて化けて出るなよ」
そうひとりごち、重信は男の首を落として完全にとどめを刺した。これで死なないようなエローダーがいるなら、どのみち重信の手には負えない。
重信が三階から下りてくると、葉月のそばにしゃがみ込んでいたすみれがびくっと首をすくめて振り返った。
「ざっ……ザキくん!?」
「ご苦労さまです」
「ごっ……え? エローダーは?」
「あれは……たぶん三〇一かな? とにかく三階の南側の角部屋にいますよ」
「や、やっつけたってこと?」
「おれはそのつもりなんですがね。首と胴体が離れてるのは確かです」
「ほ、ほかにエローダーは?」
「いないと思いますよ。少なくともおれに殺意を向けてくるやつは近くにいません」
「そう……それならまあ」
すみれは胸を撫で下ろし、葉月の手当に戻った。コンクリートの上にへたり込んだ葉月の右の太腿からは、すでに男のナイフは引き抜かれている。傷口はほぼふさがりかけているようで、葉月の表情もずいぶんやわらいでいた。
「手をかざすだけで傷がふさがっていくというのは便利ですね」
「ごめんね、ザキくん。葉月ちゃんの手当終わったら、きみのほうもすぐに取りかかるから」
「いえ、おれのほうはほんのかすり傷だけなんで、自分でどうとでもなります」
降りそそぐ針のせいで頬や額に無数の傷ができていたが、どれも皮一枚程度のごく浅いものばかりだった。二の腕の傷も、わざわざすみれの“小夜啼鳥”の世話になるまでもない。
顔をぬぐうついでに“賦活”によって自分の傷を治した重信は、その時初めて、美咲がじっとこっちを見ていることに気づいた。
「たっ……」
重信は目を丸くして唇を震わせた。
「た、田宮くん……さっきまで寝ていなかったか……?」
「…………」
「その……もう少し寝ていてもいいんだぞ?」
「風丘さん」
じとっとしたまなざしを重信に向けたまま、美咲はあえて重信を無視するかのように葉月に声をかけた。
「あとで全部説明してくれるっていったよね?」
「あー……」
葉月は首をひねって美咲を振り返り、
「……どうせなら本人に聞いたら?」
「…………」
苦笑交じりの葉月の答えに、美咲は静かに深呼吸し、あらためて重信を見据えた。
「今晩はスコッチエッグ作る予定だったけど、後日でいいよね?」
☆
傘をたたんで店に入ってきた少女を見て、マスターはグラスを磨く手を止めた。
「もしかして……高橋さんというのはきみかな?」
「はい」
つねに開店休業中のバーに不似合いな制服姿の少女は、眼鏡を押さえて軽く一礼した。
「マスターの話はよく鈴木さんから聞いていました」
「そうかい。――けど、本当ならきみはここに出入りできるような年じゃないだろう?」
ふつう、こうしたバーにやってくるのは、常連を除けばよほどアルコールにこだわりのある人間くらいのもので、つまりはそれなりに年配の男性が多い。女性のひとり客、それも未成年の女子高生が出入りしているとなれば、嫌でも人目を惹くだろう。
ただ、この聡明そうな少女がそのことに気づいていないはずがない。要するに、それを承知でなおここへ来る用事があったということなのだろう。
「まさか――鈴木くんたちに何かあったのかな?」
「ありました。でも、わたしからクロコリアスさんに連絡を取る手段がないので」
「なるほど……」
マスターはしばらく考え込んだあと、予備のエプロンを取り出してきてカウンターに置いた。
「とりあえず、夕方から夜までは喫茶店として店を開けることにするから、きみは私の親戚で、ここへはバイトのために来ているということにしよう。もし誰かに聞かれたらそう答えるんだ。そうすれば、何かあった時にここへ来られるだろう?」
「わざわざありがとうございます」
「ちなみに、コーヒーか紅茶の淹れ方は?」
「紅茶はよく飲みます」
「それは頼もしいな。ためしに一杯もらおうか」
「はい」
カウンターの内側に入ってきた少女は、ホーローのポットをコンロにかけ、茶葉の用意に取りかかった。
「それで、鈴木くんに何があったのかな?」
「鈴木さんだけじゃありません。佐藤さんと田中さんもです。たぶん三人とも……」
「三人揃って? 冗談――ではないか」
少女はこくんと小さくうなずいた。
「腕利き三人が枕を並べてとは……クロコリアスくんがこのことを聞いたらどんな顔をするかなあ……」
そうぼやきながら、マスターは内心、あの男なら意外に喜ぶのではないかと、根拠もなくそう思った。
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