第六章 事故物件 ~その四~
☆
みずからが開けた廊下の穴を飛び越え、石動はエローダーたちに飛びかかった。
「教え子を囮にするってのは気が引けたが……おかげであんたらの手のうちも判ったしな!」
「はァ!? るせーぞ、てめー!」
尻餅をついてえづいていた男が、石動を睨み返して右手を振るった。それが何を意味する行動なのか、初見であれば石動にも判らなかっただろう。ただ、すでに石動は、監視カメラを通じて彼らが霧華を襲ったところを見ている。
石動の視界が霜でくもったが、それでも石動は止まらなかった。
「てめ……っ!?」
「さくさくっとな!」
右の拳を大きく振りかぶり、チャラついた男に向かって繰り出す。右腕の周りに氷の膜が張ったような気がしたが、飾り気のない石動のストレートは、それを粉砕して強引に放たれた。
「ご、ほ……ぁ」
氷の薄片をまき散らし、男は廊下のはるか彼方へと吹っ飛んでいった。
「おまえは――」
サングラスの男が石動を見据えて身構える。遠くで呻いて血を吐いているチャラ男と違って、こちらの男は多少は知恵が回るらしい。だが、石動にとってはどちらも同じ、ここから生かして帰すつもりはない。
背後の霧華を一瞥し、石動はいった。
「あとは先生に任せて隠れてろっていいたいところだが、うっかり離れて何かあるとマズいからな。もう少し我慢してくれるか?」
「はい……先生の後ろが一番安全だと思います」
「生徒に信頼される教師、いいねえ」
にやりと笑って顎を撫でた石動の胸へと、太い杭がすさまじい速さで伸びてきた。
「――って!」
サングラスの男が触れた床から不自然に生えてきた杭は、しかし、まともに直撃したはずの石動の胸板をつらぬくことはなかった。逆に男が生み出した杭のほうが、べきんと異様な音を立ててへし折れている。
「……何?」
男はサングラスをずらして石動を見据えた。
「……いってるそばからさあ」
わずかによろめいただけでその場に踏みとどまった石動は、胸のあたりを軽く払って嘆息した。
「俺がカッコつけられる数少ないチャンスを潰すなよ」
「貴様……貴様のスキルは――」
「教えるだけ無駄だろ」
「っ……!」
男はサングラスをかけ直すと、壁と床を両手でさっと撫でた。直後、そこからおびただしい数の細い杭、太い針が生え、いっせいに石動へと伸びていく。
「不意討ちできなかった時点で勝ち目がないって判らないか? じゃあ仕方ないな」
石動は無造作に前に進み出た。杭をかわすどころか払いのけるような動きさえ見せない。だが、その杭は石動の身体に触れる前に何かにぶつかって砕け、一本残らず折れてしまった。
「何――何だ、それは!?」
「考えるだけ無駄だって、だから!」
狼狽気味に後ろに飛んで間合いを取ろうとする男に追いすがり、石動は拳を振るった。
「!? ……っ、が」
石動の拳は男まで届かなかった。目測でいうなら三〇センチは離れている。しかし、にもかかわらず男はまるでみぞおちを蹴られたかのように、背中を丸めた恰好で吹き飛ばされていた。
ジャージの袖をまくり、石動は無造作に歩き出した。
「俺はちょっとほかの連中と違って、すぱっと一発で息の根を止めるとか苦手なんで、痛いのは我慢してくれよな」
「がはっ……ぐ、ぶ」
サングラスの男は床に伏せて血を吐きながら咳き込んでいる。内臓が破裂したか、あるいは折れた胸骨が内臓を傷つけたか、さもなければその両方だろう。その後ろでは、チャラい男が腹を押さえてようやく立ち上がったところだった。
「だ、大丈夫か、タナカ……?」
「……見て、判れ。もう無理だ……」
「はァ? こ、この、根性ナシが――」
「根性で、どうにかなる、レベルじゃ、ない」
サングラスの男――田中は、どうにか肘をついて身を起こそうとしているようだったが、もはや立ち上がる力も残っていないのは明白だった。
「私で勝てない相手に、頭の悪いおまえが、ひとりで勝てるはずもない……おまえだけでも、逃げろ……」
「は? け、けどよ――」
「クロコリアスへのメンツがどうの、なんて、いうなよ……? ここで見聞きした情報を、持ち帰れ――」
「…………」
チャラ男は口の端にこびりついた血糊をぬぐい、目の前で倒れている仲間と迫りくる石動とを見くらべている。その目が迷いに揺れていた。
「いやいや、それは駄目だろ。我が校に不法侵入して好き勝手した挙句に逃げるとか、許されなくないか?」
「行け、佐藤!」
血を吐きながら叫んだ田中が震える手で床を撫でると、そこから柱と呼んだほうがよさそうなサイズの太い杭が何本も伸びて天井に突き刺さり、壁のようにそそり立って石動の行く手をふさいだ。
「あ!? おいこら!」
石動は両腕を振るって太い杭を破壊した。だが、田中はその向こうで次から次に杭を生み出し続けているらしく、すぐにまた新しい壁が立ちはだかった。
「死にぞこないがめんどくせえ真似しやがって……!」
「先生、校舎を壊さないように加減を――」
「いいから下がってろ、戸隠!」
後ろから声をかけてきた教え子を下がらせ、石動は助走をつけて壁に向かってタックルした。
「あらよっと!」
肩口からぶつかることで、一度に壁数枚分の柱を粉砕した石動は、ようやくサングラスの田中との再会を果たした。ただ、さっきまでそのそばにいたはずの佐藤の姿はどこにもなく、代わりに中庭に面した窓が開け放たれていた。
「……先生?」
「あ、おまえは来るな。精神衛生上よくない」
「は、はい?」
「R指定どころの話じゃないからな」
すでに田中は死んでいた。自分で生み出した杭でつらぬいたのか、顔面はズタズタになっていて、どんな素顔だったか窺い知ることもできない。
「……任務にしくじった忍者かよ。躊躇なくよくやるもんだ」
「先生、山内さんが窓の下に来ているそうです。そちらから見えるところに」
「へえ?」
スマホ片手の霧華の言葉に、石動は田中の遺体をまたぎ越して窓辺に寄った。
「――ああ、先生。ご苦労さまです」
窓の下では、戸隠家の運転手が花壇のそばでしゃがみ込んでいた。その足元には見覚えのあるパーカーが落ちていたが、それも老運転手が手をかざしている間に見る見る煙を発して溶けていき、ものの数秒で消滅してしまった。
石動はジャージのポケットからタバコとライターを取り出し、
「――山内さん、こっちの処理もお願いできますか?」
「ええ」
腰を叩きながら立ち上がった山内は、軽くジャンプして三階の窓から校舎の中に入ってきた。
「これはまた……」
無残な田中の死体を見て、山内はおびえた様子もなくただ苦笑いを浮かべている。手慣れた様子でその懐を探っていたが、身分をしめすようなものは何も持っていないようだった。
「下に逃げていったチャラい男はどうです? 身元は割れそうですか?」
「いや、これといったものは何も持ってませんでしたねえ。一応、“処理”の前に顔写真は撮っておきましたが、役に立つかどうか……」
「そうですか」
タバコの煙をくゆらせながら、石動は山内の“バブルスライム”が田中の死体を消滅させていくのをぼんやりと眺めていた。
「……あ、そうだ、風丘のこと忘れてた」
「といっても、立場上、先生はここを離れられないでしょう?」
飛び散った鮮血や不自然に生えた柱、そしてその破片まで綺麗に消し去った山内は、自分の肩をもみほぐしながら、指示を待つように霧華のほうを見やった。
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