第六章 事故物件 ~その三~
「……!」
男はすぐ近くに積まれていた足場用の鉄パイプの山に手を伸ばすと、そのうちの一本を掴んで平然と持ち上げた。その鉄パイプが、一瞬でナイフに変わったのである。
「……え?」
男の足元にがらんと音を立てて落ちた鉄パイプが、男が持つナイフのぶんだけ短くなっている。葉月が驚いている精神的な間隙にすべり込むように、男がひと息に踏み込んできた。
「! 下がって!」
美咲にそう声をかけたつもりだったが、果たして伝わったかどうか――葉月は反射的に雷の鞭を丸い円盤状に変形させ、男のナイフを受け止めた。その切っ先が雷光の盾に触れ、まばゆい火花と耳障りな音が飛び散る。
「あちっ!」
男は小さく舌打ちし、焼け焦げたナイフを取り落として横に飛んだ。
葉月の電撃“テンション・サンダー”はあくまで手の延長のようなもので、形はある程度まで自由に変えられるけど、手から切り離して飛び道具のように使うことはできない。葉月がふだんこの電撃を鞭のようにして使っているのは、それがもっとも敵と距離を取って戦うのに都合がいいからである。見方を変えれば、それは葉月の臆病さの裏返しともいえるだろう。
さらにいうなら、葉月が一番得意なのは攻撃ではなく、こうして身を守るために力を使うことだった。しかし、そんな気構えが隙になったのかもしれない。
「……っ!?」
熱い痛みが左肩をかすめた。
そこにまた別のナイフが飛んできたのを咄嗟にはじき、葉月はふたたび目を見開いた。
「女の子相手の殺し合いって、ぼくもあんまり気分よくないんだよねぇ。だからすぐに終わらせようかぁ」
片手をついていた男が立ち上がると、その手にはまた新しいナイフが握られていた。よく見ると、男の足元の地面がナイフの形にごそっとえぐれている。そこで葉月も、男のスキルがどんなものかをおぼろげながらに察した。
「こいつ……!」
この男は、手で触れたものをナイフに変換できる。鉄パイプや土でさえ瞬時にナイフに変えられるのなら、おそらくコンクリートだろうと木材だろうとタンパク質だろうと、ナイフにできるだろう。あまり考えたくはないが、もしこの男に顔面を掴まれたら、ナイフの形に顔がえぐられて即死する。
葉月は左手の雷光の盾で身を守りながら、右手の鞭を振るって男を攻撃した。
「――ほい! ほいほいほい!」
しかし男は少女の鞭をたやすくかわし、次々に新しいナイフを作り出しては投げつけてきた。それも凡人による投擲ではない。相手は異世界から来た超人である。飛来するナイフは鋭い上に超重量の弾丸のようなものだった。
それを葉月は雷の盾を厚くして受け流した。そのたびに重い衝撃が走り、左肩の傷口から血が噴き出す。あのナイフがかすめただけでこれなら、直撃すれば鎖骨くらい簡単に砕かれていただろう。
「かっ……風丘さん!?」
鮮血が飛び散るのを見て驚いたのか、美咲の切羽詰まった声が背中を叩く。葉月はそれで自分がひとりではないことを思い出した。もしあのナイフが美咲に当たれば、葉月よりも深刻なダメージを負うことになる。
「く……っ!」
一度は厚みを増した雷の盾を今度は逆に薄く広げ、自分だけでなく、自分の背後にいる美咲も守ろうとした。
その矢先、触れる雨粒を瞬時に蒸発させていた雷光の薄膜を貫通したナイフが葉月に膝をつかせた。
「かっ……!」
美咲の悲鳴が途中で消え行ったのは、さらに派手な出血を目の当たりにしてショックを受け、気を失ったからだろう。つい三〇分前まで暴力というものから無縁の生活を送っていた少女にとって、立ち込める血の臭いと悪夢のような赤さは、意識を失わさせるのに充分だったのかもしれない。
「――――」
葉月は震える手で太腿から生えたナイフの柄に触れた。
「抵抗しなければ急所で一発だったのになあ」
男は慎重だった。左の太腿にナイフが深くめり込み、葉月の機動力がほぼゼロになったというのに、それでもまだ距離を詰めてこない。憎らしいほどに用心深く、そして戦いに慣れていた。
「は、ぁぅ……!」
急速に身体が冷えていくのを感じ、葉月は静かに深呼吸した。
葉月がそうしようと思えば、彼女の鞭は細くすることで一〇メートル以上に引き延ばせる。だから、男が立っているところにも届かないわけではない。ただ、そのためにはすべてのパワーを右手に集中させる必要がある。つまり、同時に盾で身を守ることはできない。その上、最大まで引き延ばした雷の鞭に一撃で男を倒す威力がなければ、おそらく葉月は男の反撃で確実に殺されるだろう。
もっとも、このまま睨み合いが続いたとしても、どのみち葉月は遠からず死ぬ。大動脈を逸れたとはいえ、太腿の傷は簡単にふさがるものではない。身体が冷えていくのを感じるのは、雨に濡れたせいというより、出血量の多さが原因だった。
「……あんまり戦いに慣れてないのかな? 何かラッキーだったかも」
男は葉月から視線を外すことなく、その場にしゃがみ込み、土を材料としてまた新しい得物を作り出した。
それは、もはやナイフと呼ぶには大きすぎる一本だった。それこそ刃渡りだけでいうなら脇差のような長さがあり、刃幅も広く、おまけに投げて使うのに具合のよさそうな反りまでついている。むしろ鉈と呼んだほうがよさそうな刃物だった。
「よいしょっと」
男は巨大な鉈を肩にかつぐように構えた。
「――もう避けようとかしないでね? うっかりへんに避けたりすると、後ろの子に当たっちゃうかもしれないでしょ?」
「く……っ!」
「まあ、だからって受け止められるとも思えないけどねぇ」
あの大きさと重さを持つ、両手でかつがなければ投擲できないような得物を作り出したのは、たとえ葉月が盾で受け止めようとしても、それを貫通してとどめを刺せるという確信があるからだろう。
そう察した葉月は左手の盾を消し去り、右手にすべての力を集中させた。
「へえ? 思い切りがいいなぁ」
「…………」
どうせ防げないなら、割り切って守りを捨て、男が鉈を投じるより一瞬早く攻撃するしかない。いくら男が自由に動けたとしても、あの鉈を投げる際には動きが止まる。その瞬間に唯一の勝機があるはずだった。
「いや、でも無理じゃないかなぁ。きみが何をやりたいかバレバレなんだし」
鉈を肩にかついだまま、男はスーツの裾に右手を添えて細く長い金属の針を作り出し、葉月の眉間を狙って投じた。
「!?」
単純だが、確かにそれは効果的で、そして葉月にとっては致命的だった。男の投擲に後の先を取ってやろうと神経を研ぎ澄ませていたのに、それを嘲笑うかのように、コンパクトなモーションで高速の針を投げつけてきたのである。それをはじき返すために葉月が慌てて雷の盾を作り出した時には、もう男は二の矢となる鉈を大きく振りかぶっていた。
「ちょ――」
この状況で葉月が取るべき行動は、男の手から鉈が放たれる前に、真正面から飛んでくる針もろとも雷の鞭で男を打つことだけだった。だが、その正解に気づいてももはや遅い。眉間に刺さるはずだった針を防いだ盾をすぐさま鞭に変えた時には、すでに葉月の目の前に唸りをあげて鉈が迫っていた。
「――あ」
葉月が死を覚悟した時、男が少し間の抜けた声をあげて頭上を振り仰いだ。
次の瞬間、制服姿の少年が空から落ちてきた。
「上出来だぞ、風丘くん」
制服の前のボタンをはずしながら、林崎重信は低い声でいった。
「――きみがおれの言葉を信じるかどうかは別として、おれは今、きみに心の底から感謝している。おれの長い人生でここまで人に感謝したことはない」
「……とてもそうは聞こえないのよ、あんたのそのいい方だと」
眉をしかめつつも、葉月は少年の背中を見て苦笑せざるをえなかった。
まさか重信を見てこれほど安堵するとは、葉月としても想定外だった。
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