第六章 事故物件 ~その一~




 レンタカーのハンドルに寄りかかるようにしてパンを食べていた鈴木すずきは、紙パックのコーヒー牛乳をずこーっと飲み干し、ルームミラー越しに高橋たかはしを見やった。

「――ねえ高橋さん、何かおかしくない?」

「何がです?」

 少女は暗い車内で黙々と本を読んでいる。文庫本から顔を上げもせず、高橋は小さな声で聞き返した。

「ホントに近くにいるのかなぁ、その高校生?」

「わたしの嗅覚を信じられないんですか?」

「でもさあ」

 鈴木たちのレンタカーは、郊外型のスーパーマーケットの屋上駐車場に停車している。降り続ける雨のせいで視界は悪い。日没を迎えて、さらに視界は暗く閉ざされていくだろう。

 ただ、高橋はこの真下――スーパーの中にターゲットの“匂い”を感じるという。

「何が気になるんです、鈴木さん?」

「高校生の男子はふつうはこんなところで買い物しないと思うんだよなあ、ぼく」

「そうですか? この手のスーパーはお安いですよ?」

「そういう経済的なことを考えて買い物をするのって、むしろ高校生の子供を持つ親とかじゃないかなあ」

 このスーパーにはゲームコーナーもなければ本屋もファーストフードもない。男子高校生があえて立ち寄るような場所とは思えなかった。

「……ここからもう少し離れたところにも、同じ匂いを感じるんですけど、それはまったく動いていないので、たぶん自宅だと思います」

「いや、それは判るんだけどね」

 あんパンの残りを口の中に押し込み、鈴木は嘆息した。

「のんびりした動きから見て、相手はこちらを認識できていないんだと思います。つまり、それにふさわしい場所を選べば一方的に不意討ちすることだってできるし――」

 高橋はふと口を閉ざし、読みかけの本をシートの上に放り出して車外に出た。

「高橋さん?」

「……出てきそうです」

 鼻を軽くひくひくさせながら、高橋は傘を差して駐車場の端へと歩いていった。鈴木も慌ててそれを追いかける。

「とにかく確認しようか」

「ええ」

 鈴木と高橋はフェンスに張りつき、足下の正面出入り口から吐き出される買い物客の流れに注目した。

「……あら?」

 高橋の口から怪訝そうな声がもれた。

「えっ? ど、どうしたの、高橋さん?」

「あれ――あの赤いチェックの傘」

 高橋が指さしたのは、買い物袋を提げて出てきた少女だった。

「え? あの子が何なの? いや、でも……あの子はリターナーじゃないよね?」

「そう……ですね。リターナーはあっちです」

 チェックの傘の少女から少し遅れて、安っぽいビニール傘をさした派手な髪色の少女がスーパーから出てきた。着こなしかたにかなりの差があるが、ふたりとも同じ制服を着ている。

 ただ、ふたりは連れというわけではないのか、特に言葉を交わすこともなく、というより、あとから出てきた少女のほうがあえて前を行く少女と距離を開けてついていっているようにも見える。

「確かに……あのギャルっぽい子がリターナーみたいだね。でも、追いかけてるのは男子高校生でしょ? ってか、それじゃあっちのチェックの傘の子は何なの? あの子はふつうの人間にしか思えないけど」

「……はい。でも、匂いはあの子からするんです」

「え? ど、どういう……?」

「家族か何か……じゃないかと思います。少なくとも、ターゲットの少年とかなり近いところにいる人間です」

「…………」

 鈴木は眉をひそめ、少女たちが歩いていくほうと逆の方角を振り返った。

「ということは……じゃあ、その男子はまだ学校にいるってことかな?」

「鈴木さん」

「ん?」

田中たなかさんから連絡来ました。――さっきの学校から、リターナーがひとりがこっちのほうへ移動を始めたということです」

「え~?」

 自分の強さにそれなりに自信はあるが、やはり二対一での戦いは避けたい。思案顔で少女たちの後ろ姿を見つめていた鈴木に、高橋がいった。

「前を行く子がくだんの少年の家族だとすると――後ろのギャルは護衛か何かかもしれませんね」

「どっちにしても、やるならもうひとりが追いついてくる前にどうにかしないとねえ」

「あのギャルを始末して、チェックの傘の子を人質に取れれば、いろいろと有利になると思います」

「……高橋さんはここで連絡係お願いできる? こっちに向かってるリターナーには見つからないよう気をつけてね? 危ないと思ったら逃げていいから」

「はい」

「じゃあ行ってきま~す」

 傘とブリーフケースを持ち、鈴木は小走りに階段のほうへ向かった。匂いで相手がいる方向を感知できる高橋と違って、鈴木はかなりの近距離にならないとリターナーの存在を感知できない。ここであの少女を見失うと、また面倒なことになってしまう。

 先を行くチェックの傘の少女を、少し離れて派手な髪の少女が追いかける。それをまた少し距離を置いて鈴木が追いかけていく。さいわいなことに、どちらの少女もまだ鈴木の尾行には気づいていないようだった。

「この距離からじゃ……さすがに無理かなあ」

 ブリーフケースの中に片手を突っ込み、鈴木は小さく唸った。目の前を行くリターナーの持つ力がどれほどのものか、鈴木には判らない。不意討ちを仕掛けられる鈴木のほうが圧倒的に有利なのは事実だが、一撃で倒せなかった場合、予想外の反撃を受ける恐れがあるだけでなく、肝心の人質候補を確保しそこねる可能性もなくはない。仕掛けるなら場所を考えて仕掛ける必要があるだろう。

 そんなことを考えていた矢先、先頭を行くチェックの傘の少女がふと足を止めて振り返った。


          ☆


「――――」

 予想外の美咲みさきの行動に、葉月はづきは一瞬、どう反応していいか判らずに固まってしまった。

 美咲はどこか不満そうな、少し困惑したような表情で、葉月をちらちら見ながら、口ごもりつつ切り出してきた。

「かっ……かざおかさん、だよね、隣のクラスの? も、もしかしてわたしに用なの?」

「え? あー……」

「風丘さん、おうちこっちのほうじゃないよね? こっちのほうに住んでるウチの生徒、わたしとのぶくんしかいないはずだし――」

「えっとー……いや、その……」

「風丘さん、最近、その……のぶくんと、よく会ってるでしょ? 保険のことって聞いてるけど……あの話、本当なの?」

「それは――」

「本当はもっと別の理由があるんじゃない? それに、どうしてわたしをつけてたの? わたしの勘違い? そんなことないと思うんだけど……」

「あー……」

 完全に予想外だった。

 田宮たみや美咲はもっと内気で、少なくとも自分のような外見の少女に自分から声をかけてくることはない――葉月は美咲をそういう人間だと考えていた。

 だが、美咲はその考えを裏切り、しかもたたみかけるように真正面から問い詰めてきた。葉月が考えていたよりこの少女は気が強い。あるいは芯が強いというべきか。いずれにしても今この少女が葉月と向かい合っているのは、おそらくは重信しげのぶのためを思ってのことなのだろう。

 ここでどんな言葉を返すべきか逡巡していた葉月は、その時、初めて体験する妙な感覚に思わず首をすくめた。

「……!」

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