第五章 母校に不審者 ~その六~
ポケットに手を突っ込んだまま階段を下りてく佐藤を追って、田中も周囲を警戒しながら下に向かった。
「おそらくリターナーたちにも、私たちに対抗するための何らかの組織があるはずだ。その組織はこの社会においてかなりの力を持っていると思われるが、さりとて、エローダーの存在が明るみに出た際の混乱を鎮められるほどの力までは持っていない」
「だからよー、むしろこっちからオレらの存在をばらしたらいーじゃねーか。社会を混乱させたほうがよくねーか?」
「それと引き換えに、この社会全体が私たちを駆り立てる方向に向く可能性もある。それでは今後の仕事がやりにくくなるだろう」
「なあ、おめーは考えたことねーか?」
「何をだ?」
「ほら、何かよ、そのへんの海に核ミサイル積んだ潜水艦とかあるらしーじゃん? アメリカのだか中国のだか知らねーけど」
「それがどうした?」
「そこの乗組員がオレらと入れ替われば、この世界をぐちゃぐちゃにするのなんて楽勝じゃねー?」
「……おまえは思考が単純だな」
「は? バカにしてんのか、おめー?」
「静かにしろ。まずはここにいるリターナーの始末だ。……おまえだって、もしこっちがはずれだったら、すぐに鈴木たちを追いかけたいだろう?」
「……そうだったな」
高橋の“嗅覚”によって噂のリターナーを追い詰めようとしていた田中たちは、その痕跡が強く残る場所が二か所あるという高橋の言葉にしがたい、二手に分かれることにした。
「この学校が連中の根城という可能性も考えなくはなかったが……リターナーの数がふたりということを考えると、どうもそれはなさそうだな」
「やっぱハズレか、こっちは?」
「いや、まだ判らない。……そもそも噂の新顔について判っているのは、中学生もしくは高校生の男子だということくらいだ」
「要するに、ここにいるリターナーが小僧だったらアタリかもしれねーってことだな」
低い声でやり取りをしていた田中と佐藤は、三階まで下りてきたところで足を止めた。
近くにリターナーがいる。ひとりは同じフロア、もうひとりはもっと下――少なくともすぐに出会うような距離ではない。
田中は伊達眼鏡をはずしてサングラスをかけた。
「……おめー、いっつも思うんだけど、意味あんのか、それ?」
「私の顔を見た敵をかならず討ち果たせるとはかぎらないからな。私はこの慎重さでこれまで生き延びてきた」
「いや、でもよー……インテリヤクザにしか見えねーぞ?」
「なら変装としては上々だ」
いつも綺麗に撫でつけている髪を適度に崩し、スーツの前ボタンをはずした田中は、廊下の壁を撫でるように片手で触れながら、ふたたびゆっくりと歩き出した。
「……ここなら圧倒的にオレたちのほうが有利だな」
田中と佐藤のスキルは、どちらも開けた場所より閉鎖された空間でこそ真価を発揮する。ふたりがもう一方の痕跡を追わずにこちらに残ったのはそのためだった。
「――あ?」
ふたりの前方の教室から、ほっそりとした人影が出てきた。
「ンだよ、小僧じゃなくて小娘じゃねーか」
「だが、リターナーには違いないな」
田中たちの前に姿を見せたのは、このロケーションにふさわしい、一七、八歳ほどの制服姿の少女だった。その表情には恐れの色は見られなかったが、こちらの正体が判っていないのか、それとも判った上で泰然と構えているのか、田中には判断がつかない。
いずれにしろ、ここで始末すべき標的はこの少女だけではない。わざわざ時間をかける理由はなかった。
「お嬢ちゃんの手のうちは判らねーが……一気に始末するか」
「そうだな」
チャラチャラしたふだんの言動に反して、佐藤の戦い方はかなり堅実だった。ひとりで先行することなく、後ろについた田中と歩調を合わせている。戦うことが好きなタイプではあるが、同時に、生き延びることに貪欲なタイプともいえた。
だからこそ、目の前の敵が少女の姿をしていても油断はしない。じっとこちらを見据えている少女にあと五メートルと迫ったところで足を止め、慎重に出方を窺う――と見せかけて、さりげなく仕掛ける。
「…………」
ほとんど不可視の佐藤の攻撃を、しかも初見で防げるとは思えない。それでも田中は壁に手を当て、少女が佐藤の初段をかわした場合に備えた。
だが、まさか本当に、少女が佐藤の一撃をかわすとは思わなかった。
「!?」
佐藤の全身から音もなくにじみ出た冷気が少女の両足を凍りつかせる寸前、少女は大きく後ろへ飛びすさっていた。
「はァ!?」
佐藤にとってもその反応は予想外だったのだろう。ただ、田中は驚きとともに違和感も覚えていた。
「まるで素人のような動きのわりに反応は早い……まさか、佐藤の攻撃があらかじめ判っていたのか?」
本当なら、佐藤の冷気に捕らえられるその瞬間まで、少女は攻撃されたことにすら気づかないはずだった。佐藤のスキルはそれほどまでに見きりにくいものなのである。
だが、身のこなしそのものは素人感丸出しのこの少女は、まるで佐藤の手のうちが読めていたかのように、その不意討ちをかわしていた。
「ならば――うまく避けろよ、佐藤」
田中の殺意が右手を通して壁へと伝わり、そこから細長くしなる鋭い杭が生え、低く身を沈めた佐藤の頭上をかすめて一気に伸びた。
田中のスキルは、自分が触れた物体に杭を生じさせる。壁に触れれば壁から、床に触れれば床から、人体をやすやすと貫通する杭が出現するのである。田中自身も詳しく調べたことはないが、経験則的に、三メートルほどまでなら、充分に殺傷力のある硬度を維持した杭を伸ばせるだろう。事実、つい数日前も、この力でリターナーをひとり血祭りにあげたばかりだった。
「!」
しかし、少女は田中の生み出した凶器を見てもわずかに目を見開いただけで、やはりそれをかわしていた。足をもつれさせてみっともなく転びはしたが、この少女が田中の攻撃を一瞬早く予見していたことは間違いない。
「こいつ……まさか、予知能力でも持っているのか?」
「持ってたって無意味だろ、もう! こいつに見えるのは、せいぜい自分が確実に死ぬ未来だけだっつーの!」
少女が尻餅をついている間に距離を詰めていた佐藤が、苛立ちを踏み潰すかのように大きく床を踏み鳴らした。確かにこの距離で強烈な冷気を浴びせかければ、お粗末な身体能力しか持たない少女には――佐藤の攻撃があらかじめ判っていたとしても――かわすすべはない。何より、田中もまた佐藤とタイミングを合わせ、あらたな杭を生み出そうとしていたのである。
「――待て!?」
ふたたび壁に触れようとしていた田中は、寸前でその手を止め、目の前の佐藤の後ろ襟を掴んで後方へ飛んだ。
「んがっ!?」
佐藤の苦しげな呻きが異様な破砕音にかき消される。あのままなら佐藤がいたであろう廊下の床が砕けて巨大な穴が開き、そこから貧相なジャージ姿の男が飛び出してきた。
「……ふだんからジャージなんてものを着ている奴は、これだから信用ならない」
サングラスを押さえ、のどを押さえて咳き込んでいる佐藤と目の前に現れたジャージの男とを順繰りに見やった。
「……せ、先生」
「いやー、遅れてすまんな。ほかの先生がたの目を盗んで戻ってくるのに思いのほか手間取った」
無精髭の生えた顎を撫でながら、ジャージの男は田中たちを見て薄笑いを浮かべた。
「――しかしまあ、山内さんを待つまでもないだろ。先生ひとりで充分だ」
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