第五章 母校に不審者 ~その五~

「三億円のくじがまず当たらないのと同じように、この場合も、そんな都合のいい偶然はまず起こらないと考えておくべきだ」

「つまり……その四人は全員エローダーで、しかもここを目指してやってくるという前提で行動すべきだってことね?」

「……だいたい合ってる」

 正直、重信にとって最悪の展開はそうではない。重信にとって本当に最悪なのは、美咲を戦いに巻き込んでしまうことだった。だが、その美咲は先に帰宅し、しかも葉月が護衛についているとなれば、学校に残っているよりははるかに安心できる。

「――あ」

 重信といっしょに教室を出た霧華は、スマホを操作する手を止めて小さく呟いた。

「おい、今のは何だ? どうした?」

「……ふた手に分かれたみたい」

「何?」

「ふたりはそのまま近づいているようだけど、ほかのふたりは、この学校から離れていってる……ように感じる」

「おい、待て――」

 重信の脳裏を嫌な可能性がよぎっていく。

「……遠ざかっていくふたりというのは、まさか風丘さんを追っているわけじゃないだろうな?」

 百歩ゆずって、追われているのが葉月ならまだいい。薄情なようだが、葉月なら、たとえ相手を殺せないまでも、自分の身を守って逃げおおせるくらいのことならできるだろう。

 しかし――。

「……連中はどうやってリターナーを感知する?」

 重信は霧華の手首を掴んだ。

「おれのように漠然とした直感で捜しているのか? それともきみのように視覚を使うのか? あるいは聴覚か嗅覚か? もし嗅覚のようなもので感知するとしたら、連中はおれの自宅を突き止めることもできるのか?」

「……痛い」

 小さく呟いた霧華の手からスマホがすべり落ち、カバーがはずれて硬い音を立てる。それで我に返った重信は、血の気を失いつつあった少女の手を解放した。

「……すまない。きみに聞いたところで判らない問題だったな」

「ええ」

 スマホを拾い上げ、霧華は重信を見やった。

「……田宮さんが心配なのでしょう? いいわ、行って」

「いや、だが――」

 霧華には敵を攻撃するためのスキルはないと聞いている。そんな彼女をここへ置いていくのはあまりに危険だった。相手がふつうの不審者なら職員室にでも立て籠もって警察を呼べばすむ話だが、相手はある種の超人である。リターナー以外の人間では、助けになるどころか無駄死にさせるだけだろう。それならいっそ、重信が霧華を連れて移動し、葉月と合流して敵を迎え撃つほうがまだ安全かもしれない。

 しかし、霧華は重信のその提案に首を振った。

「わたしなら大丈夫。もうすぐ山内さんも来るし、“切り札”もあるから」

「切り札?」

「ええ。わたしを連れていてはあなたが間に合わなくなるかもしれないし、それで田宮さんに何かあったら困る」

「……いいんだな、本当に? あとで恨まないでくれよ?」

「ええ。――葉月の連絡先はすみれさんに聞けばすぐに判るわ。とにかくザキくんは、葉月と合流してエローダーを倒すことを最優先して。もし本当に彼らがわたしたちの居場所を特定してやってきたのだとすれば、少なくともわたしたちの顔を視認した敵だけでも始末しないと」

「そうだな。エローダーたちの間におれたちの顔写真つきの手配書が出回ったりしたら、枕を高くして寝られなくなる」

 重信はおどけたように苦笑すると、昇降口に向かって走り出した。


          ☆


「…………」

 すでに重信は裏門から学園をあとにし、自宅の方角へ向かって高速で遠ざかりつつあった。もちろん霧華にはその姿は見えないが、重信がすさまじい速さで移動していることだけは感知できる。

 戦闘向きの多くのリターナーがそうであるように、重信は自身の身体能力を大幅に増幅することができる。それはもはや彼らにとっては当たり前の、ごく初歩的な、異世界帰りの戦士なら誰でも持っているスキルだった。おそらく異世界で戦士としての攻撃用のスキルを獲得する際、同時に入手する補助的なスキルなのだろう。

 もっとも、霧華やすみれのように戦闘用のスキルを持ち帰れなかったリターナーは、その恩恵にあずかることができない。前面に出てエローダーと戦うリターナーとなれるかどうかは、この“恩寵”と称される身体能力強化用のスキルを持っているかどうかで決まるといっていい。すなわち、常人並みの身体能力しかないリターナーがエローダーと対峙するのは、それほど危険なことなのである。

 おそらく学園に迫るふたりのエローダーたちも、重信が高速で遠ざかっていくことに気づいただろう。もしこれで彼らが重信を追いかけていくのであれば、ひとまず危険は去ったと考えていい。

 しかし――それを喜ぶべきなのかどうなのか――こちらへ近づいてくるエローダーたちの気配にあらたな動きは感じられなかった。

「……戦いが避けられないなら、あとはどれだけ無関係の生徒たちを巻き込まずにしのげるかが問題だけど」

 また霧華のスマホが震えた。

『お嬢さま、ご無事ですか!?』

「ええ、今のところは」

 狼狽気味のすみれの声色に、つい笑ってしまいそうになり、霧華は静かに表情を引き締めた。

『山内さんがもうすぐ到着すると思いますから、それまでは安全なところで――』

「そう都合よくはいかないかも。やっぱり向こうはリターナーの居場所が判るみたい」

 エローダーが徐々にこちらへ近づいてくるのが判る。単純な視覚を超えた感覚でこちらの存在を感知しているのであれば、どこにいても無駄だろう。少なくとも、トイレの個室で息をひそめていればやりすごせるというような簡単な話ではない。

 その時、唐突に火災報知器が作動し、数十秒ほど鳴り続けてからぴたりと止まった。

『なっ、何です、今の音!?』

 スマホ越しに今の警報を聞いたすみれがまた慌てた声をあげる。

「火災報知器の警報。でもこれは報知器の故障。生徒がふざけてボタンを押してしまっただけ。――そういうことにできる?」

『えっ?』

「消防車が来てしまうとまた面倒なことになるから」

『……や、やってみます』

 誰が報知器を作動させたかは見当がついている。たとえ誰かのいたずらで鳴り出したのだとしても、これで校内に残っている教師や生徒たちは、万一のことを考えて校外に避難するだろう。犠牲者を出さずに敵を迎え撃つにはこのほうが都合がいい。

 胸に手を当てて静かに深呼吸した霧華は、“切り札”と合流すべく歩き出した。


          ☆


 濡れたフェンスを乗り越えて本校舎の屋上に侵入した佐藤と田中は、昇降口からぞろぞろと出てくる傘の群れを見下ろした。

「――なあ、あいつらはこのまま放っといていーのかよ?」

「あの中にはリターナーはいない。むしろ手を出すな」

 レンズについた雨粒をぬぐい、田中は呟いた。

「別にいーんじゃねーの? むしろあいつらを襲えば隠れてるリターナーが慌てて飛び出してくるかもしれねーじゃねーか」

「かもしれない、では困るし、そもそも今はまだ、私たちの存在をおおやけにはしたくない。クロコリアスがそう指示しているだろう? やつのやり口に不満はあっても、その点では私も同意見だ」

「ちっ……」

 佐藤にはクロコリアスに対する強烈な対抗意識があるらしい。その苛立ちをぶつけるかのように、佐藤は校舎内に通じるドアを無造作に蹴破った。

 ほんの三分ほど前、火災報知機が鳴り出してすぐに沈黙した。校舎内にいた人間が外に出てきているのはそのせいだろう。ただ、ひんやりと湿り気のある空気が満ちた校内に、複数のリターナーが残っていることは間違いない。

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