第五章 母校に不審者 ~その四~
田中たちと違って、高橋のスキルは敵を感知する方向に特化している。田中たちにもリターナーを感知することは可能だが、複数の中から特定のリターナーを区別して追跡するほどの精度はなかった。逆に、単純な戦闘力に関しては、高橋のそれは田中たちよりも低い。高橋の稀有な才能を失う可能性を考えると、あまり前線に連れていきたくなかった。
「なあ」
佐藤はレンタカーのキーをちゃらりと鳴らして一同にいった。
「――もしヤツが中坊だの高校生だのだったらよ、そろそろ家に帰る時間じゃねーの?」
佐藤以外の三人は、半休や早退を使って集まっている。時刻は間もなく午後三時半になろうとしていた。放課後になれば学生たちの大移動が始まり、ターゲットを絞り込むのが困難になる。
「確かにここで動かれるのは面倒だな。せめてその前に私たちの目でターゲットを視認しておきたいが」
「んじゃさっさと行こうぜ。……なあタカハシちゃんよ、クルマの中でも相手の臭いは感じ取れんだろ?」
「ちゃんづけで呼ぶのはやめてください」
「は? いちいちめんどくせー」
小さく舌打ちした佐藤は、わざと飛沫を立てるようにして歩き出した。
☆
クラスメイトたちがあらかた消えた教室で、重信はひとりプリントの空白を埋めていた。
対外的には一か月の空白しかないはずの重信の学校生活には、実際には数千か月ぶんの穴が開いている。そこに舞い戻ってきてすぐにもとの学力を取り戻すのは、それこそエローダーと戦うよりも難しい。
「……勉強なら田宮くんに教わるから放っておいてほしいんだが」
各教科の教師陣がせっかく用意してくれた補習用のプリントも、当の重信にとっては余計なおせっかいにしか思えない。百歩ゆずってプリントをやらされるのはいいにしても、持ち帰って自宅でやるのも駄目というのは腹が立った。
「……自宅でやらせると不正をすると思って校内で補習を受けさせるのなら、せめてつきっきりで面倒を見るのが教師の仕事だろうに、そこをプリントを渡して勝手にやらせるだけとは横着にすぎる」
シャーペンを放り出し、重信は雨のそぼ降る窓の外を眺めた。この雨のせいで、学校に残っているのは文化部の生徒たちや、体育館で活動できる一部の運動部員だけで、ほかの生徒たちの大半はもう家路に就いている。そのせいか、校舎内はやけに静まり返っていた。
「…………」
頬杖をついてぼんやりしていた重信は、ほんのかすかな空気の流れを感じて廊下のほうを振り返った。
「……何をしているの?」
「ご覧の通り、補習だ」
半分も終わっていないプリントをひらひらと揺らし、重信は嘆息した。
「そういうきみは、まだ帰らないのか?」
「帰るわ。山内さんが迎えにくるのを待っているの」
重信しかいないのを確かめ、戸隠霧華は静かに教室へ入ってきた。
「……あなたのきょうの夕食は、たぶんハンバーグ」
「何だって?」
「ハンバーグよ」
「なぜ判る?」
「田宮さんが挽肉とタマネギとタマゴを買おうとしてるから」
「これまたなぜ判る?」
「葉月から報告があった」
「ああ……」
補習のせいで重信といっしょに帰れなくなったため、美咲はひとりで先に帰った。その美咲の行動が葉月を通じて霧華のもとに伝わっているということは、現在進行形で葉月が美咲の護衛についているということだろう。
「……しかしよかったのか? 風丘さんはきみの護衛も仕事のうちなんだろう?」
「田宮さん専門の護衛の手配ができるまでは葉月に頑張ってもらうわ。だからわたしは山内さんを待っているの。それに、校内にはあなたもいるし」
重信の机のそばまでやってきた霧華は、プリントをちらりと見やってうなずいた。
「……それに、あなたが今すぐプリントを終わらせて先に帰る気配もないし」
「どのみちプリントが終わったら職員室に先生を呼びにいかなきゃいけないんでね。ごていねいにこの場で採点して、おれにダメ出しをしてくれるらしい」
「さすがに成績についてはわたしのほうでどうこうはできないから、あなたに努力してもらうしかないわ」
「いざとなればやめたってかまわないんだがな」
「学校を?」
「ああ」
中卒や高卒では“機構”ではたらけないというのなら話は別だが、エローダーと戦うのに何か資格が必要になるとは思えない。必要なのは純粋な強さと、そして戦い続ける意志くらいのものだろう。
「それはそうだけど……戦うことだけが人生ではないと思う」
「あいにく、おれはいろいろと悲惨な世界ばかり見てきたせいか、楽観的な考え方が苦手でね。……エローダーとの戦いに五年や一〇年で決着がつくとは思っていない」
「……確かにわたしも、この戦いがそんなに楽なものとは思っていない。ただ、個人的にあなたには、エローダーとの戦いを早期に終結させる戦力になってもらいたいと思っている」
「もしおれにそんな偉業が達成できたら、その時は戸隠家の財力でおれを死ぬまでやしなってくれ。安いもんだろう?」
どうすればエローダーとの戦いを終わらせられるのか――重信はその問いを発することはなかった。霧華がその答えを持っているとは思えなかったし、何より重信は、この戦いに終わりがないような気がしていたからである。
「……お勉強の邪魔をしては駄目ね」
優雅にスカートの裾を揺らしてきびすを返し、霧華は教室を出ていこうとした。
「ハンバーグじゃないな」
「……え?」
「きみは我が家の今夜の食卓にハンバーグが並ぶと予想しているようだが、おそらくそれは間違っている」
戸口のところで振り返った霧華に、重信は皮肉っぽい笑みとともに告げた。
「――今夜の我が家のメニューはスコッチエッグだ。賭けてもいい」
「あなた……最初から知っていたの?」
「いや。ただ、おれの好物をよく知っている田宮くんなら、その材料でハンバーグは作らないだろうなと思っただけだ」
「……それでわたしに賭けを挑むのはずるい」
「ああ、そうだな」
重信はふたたびシャーペンを手に取り、英語のプリントという苦行に戻った。霧華の気配が遠ざかり、ふたたび重信の周囲に静寂が満ちてくる。エアコンの切られた室内は徐々に湿度が上がっているようだった。
「――――」
細い芯がプリントの上を走るしゃりついた音を止め、重信はもう一度顔を上げた。
少し前に教室を出ていったはずの霧華が、戸口のところに立っていた。
「……待ってくれ、何もいうな」
霧華が口を開きかけたのを見て、重信はゆっくりとかぶりを振った。いつも茫洋としている霧華の表情が、らしくもなくこわばっているように見えたからである。
「やめてくれ……どうせろくでもないことをいうつもりなんだろう、きみは?」
「わたしは本当のことしかいわない。……わたしたちが把握していない“スキル”持ちが、この学校のすぐそばまで接近してる。それも四人」
「友好的なリターナーたちが、四人揃ってきみに“機構”加入を直訴にきたんじゃないのか? きっとそうだ」
「だとしたらすごい確率。宝くじで三億円が当たるくらい?」
重信の軽口で霧華の口もとがわずかにゆるんだが、彼女が感じているであろうひりついた緊張感は、いまだに消えていないようだった。
「――だが、一等なんかまず当たらないと判っていても、買った宝くじの当選番号は確認したくなるのが人の心理というものじゃないか?」
「……だから何なの?」
「だからきみも確認してみるといい。もしかしたら、その四人が全員リターナーかもしれないだろう?」
「たぶんこの四人はリターナーじゃないわ。全員エローダーよ。賭けてもいい」
「……そうだな」
重信はプリントを裏返して立ち上がった。
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