第五章 母校に不審者 ~その三~
「…………」
「仕方ないだろう? その世界でおれに許された娯楽が酒か女しかなかったんだから」
予想していた以上の険しい表情を見せる霧華に慌てて弁明し、重信はいった。
「……勘弁してくれよ。こっちはそれで悩んでるんだ。おれはもう女がどういう生物なのかってことを充分に理解しているつもりだし、何だったら自分が女になったことだってある。ただそういう、思春期を強制的にキャンセルさせられた経験値のおかげで、自分の今の感情が恋愛によるものなのか何なのか判らずにいるんだ。思春期の少年のときめきがどういう感覚だったか、思い出したくても思い出せないんだよ。――それとも、こういう相談はきみじゃなく滝川さんにすべきだったか?」
「……すみれさんだってもてあますに決まってる」
ぼそりともらし、霧華はフェンスに寄りかかった。
薄曇りの六月、うるおいを多く含んだ風が吹きつけてきて、少女の長い髪やスカートの裾を揺らしている。ただ、それを見ても重信は、綺麗だと感じることはあっても決して欲情はしない。もしここで霧華が何の脈絡もなく服を脱ぎだしたとしても、たぶんそれは変わらないだろう。
重信は深い溜息とともにかぶりを振った。
「――たとえばおれは、絶世の美女たちをはべらせたハーレムの王だったこともある。正直、あの時おれがかき集めた美女たちとくらべれば、田宮くんはまだほんの小娘で食指の動きようもない。もちろんそれ以前に、おれが経済活動に協力してきたプロフェッショナルな女性たちとくらべてもね」
「……今の言葉、永遠に田宮さんにはいわないでおくから」
「勘違いしないでほしいのは、そんなハーレムの美女たちや自分の売り方を知っている娼婦たちよりも、おれにとっては田宮くんのほうがはるかに特別に思えるってことだ。美醜はあまり関係ない。だからこそ自分でも決めかねている」
「そこにときめきがあるかどうか? それが明確になるとどうなるの?」
「そこが明確にならないと、うっかり田宮くんに手を出せないだろう?」
「――――」
ふたたび霧華の冷ややかなまなざしが重信に向けられる。
「待ってくれ、さっきいったように、田宮くんも思春期の少女で……まあ、きみはそういうタイプではないと思うが、女の子だってそういうことには興味があるだろう? いや、興味がある子もいるだろう?」
「……そうね」
「決してうぬぼれているわけではないが、田宮くんはおれのことが大好きらしい。これは幼馴染みとしての好きではなくて――おい、まだおれの話は終わってないぞ?」
霧華がフェンスの前を離れて階段のほうに向かうのを見て、重信は腰を浮かせた。
「あなたが屋上に向かったから何か大事な話があるのかと思っただけ。そうでないならわたしは授業に戻るわ。あなたが自分でいったように、これ以上の相談ならすみれさんにお願い。たぶんあきれられるだろうけど」
「それはいいが……ちょっと待ってくれ。どうしておれが屋上にいると判った?」
「わたしのスキルはその世界にふさわしくない能力を持った存在を感知する……だから病院でもあなたの居場所が判った。でも、それがリターナーなのかエローダーなのかまでは判らない」
「しかし、きみはエローダーをエローダーと見抜けるんだろう?」
「ええ。……わたしが持つ別のスキルは、人の感情を色で感知する。中でもエローダーたちがこの世界の人間たちに向ける敵意は、何ともいえない独特の色を持っているからはっきりと判るわ」
「つまり、きみはふたつのスキルの組み合わせでエローダーを捜せるというわけか」
「簡単にいえばそうなるわね。強い能力を持っているけどエローダーでなければリターナー――だからあなたが校内で大きく移動すればわたしにもそれが感知できる」
「この学校に、エローダーはいないんだな?」
「……今のところは」
将来的にはどうなるかは判らないという含みを持たせて、霧華は屋上から去っていった。
「……確かに、そこが明確になったところでおれのやることに変わりはないんだが」
重信はふたたびデッキチェアに横たわり、腕を枕にして目を閉じた。
突然の雨で昼寝を中断させられるのは、それからわずか三分後のことだった。
☆
三人の男たちがかざした傘の下で、少女が四つん這いになっている。濡れたコンクリートに這いつくばるような――まるでイモリのような姿勢で、もう一〇分ほど、少女はじっと動きを止めている。
「……ねえ田中くん、これ、何してるの?」
「私に聞かれてもな」
「え? 連中の臭いを捜してんだろ? 違うのか?」
雨のそぼ降る暗い空を見上げていた佐藤が、鈴木と田中のやり取りを聞いて視線を下に向けた。
「……ちゃんと傘をさしかけておいてください」
低い位置から田中をじろりと見上げ、高橋はぶるぶると首を振った。その動きに合わせて少女の黒髪が火消しの纏のようにひるがえり、雨の雫が飛び散る。
ふたりのサラリーマンとフリーターと女子高生がいるのは、ちょっとした通りに面したマンションの屋上だった。墓標のように無数の室外機が並ぶ中、四つん這いの少女と彼女に傘をさしかける三人の男たちという構図は、シュールというよりいっそ不気味かもしれない。
田中は眼鏡を押さえ、佐藤にいった。
「とにかく高橋さんは鼻が利く」
高橋がどうやってリターナーの存在を感知しているのかは田中にも判らない。おそらく五感以外の何らかの感覚によるものなのだろうが、たとえるなら、やはりリターナーの痕跡を嗅ぎ当てるという表現がもっとも近いだろう。高橋にかぎらず、田中や鈴木もリターナーを感知するスキルを持っているが、高橋とくらべればまるでレベルが違う。田中よりさらにその手のセンスに欠ける佐藤が、この一件に高橋を引き込もうとしたのもそれが理由だった。
佐藤はスカートに包まれた高橋の尻を爪先で小突き、
「じゃあやっぱこのアタマおかしいポーズは警察犬のモノマネか?」
「こうすると集中力が高まるんです。ごちゃごちゃいわないでください」
そういって佐藤を黙らせた高橋は、そのままじっとコンクリートタイルのつなぎ目を凝視したあと、顔を上げて前方を見やった。
「……この方向です。はっきりと感じます」
「そうか」
田中はタブレット上のマップを確認し、小さく唸った。
この一週間ほどの間に、すでに五人の仲間が新顔のリターナーの手で倒されていた。このビルの屋上もまた、数日前に仲間のひとりが倒された場所である。高橋が探っているのは、その現場に残っていた強力なリターナーの痕跡だった。
「最初の病院と、つい先日の川のそばと、それにここと――」
「ヤツがどこにいるか判ったのかよ、田中?」
「まだ正確には判らないが、それぞれの場所からおよその方角が判れば、ある程度は絞り込める」
判りやすさのためにあえてその表現を使うのであれば、高橋はリターナーの体臭がどの方向から流れてくるかを感じ取ることができる。あくまでターゲットがその場から大きく動かないことが前提だが、少しずつ場所を変えて探れば、ある程度までは相手の現在位置を特定することは可能だった。
「何だよ、頼りねーな。もっと正確に判るんじゃねーのかよ?」
「……佐藤さんにだけはいわれたくありません」
ゆっくりと立ち上がった高橋は、雨水で濡れた両手をハンカチで拭き、自分よりはるかに体格のいい佐藤を睨みつけた。
「田中くん、どんな感じ?」
「……例の新顔は学生だといっていたな? おおよそのあたりをつけたポイントに、いくつか中学校と高校がある。ひょっとすると、このへんの学校の生徒かもしれない」
「相手との距離が近づけば、もっとはっきり判りますけど」
「それはそれで危なくないない?」
「そうだな」
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