第三章 辻斬り ~その三~

「あんたには……ためらいとかないわけ?」

「何がいいたいんだ?」

「だから! 人を斬るのにためらいはないのかって意味! 初めて会った日から、ずっと気になってたの、わたし!」

 淡々としている重信の態度が気に入らないのか、葉月は苛立ちを隠そうともせずに詰め寄ってきた。

「――まだ一週間くらいだよね、あんたがこっちに戻ってきて? なのにもう五人? そんなに人を殺して平気なの!? 次から次に斬りまくって、ためらいとか良心の呵責とか、あんたにはそういうものはないの!?」

「冷静に考えればためらうところだろうが、戦いの場でそれを感じる必要はないな」

「……は? 何いってるの?」

「相手が人間なら、おれも斬るのをためらったとは思う。斬ったあとで後悔もするだろう。――だが、それは人間じゃない」

 葉月のそばに転がっている女の死体を指さし、重信はいった。

 外見的にはともかく、その中年女の中にいたのは確実にエローダーだった。先に手を出したのは重信のほうからだが、それは相手から強烈な“殺意”を感じていたからでもある。

 そして、いざ戦うとなれば、手加減するつもりは重信にはなかった。

「おれに戦う意志があろうがなかろうが、こいつらはおれを見逃してくれない。少なくともこれまでにおれが出くわしたエローダーたちはみんなそうだった。問答無用でおれを殺しにかかってきた。……なら、戦うしかないだろう?」

「それは……そうだけど、そうだけどさ」

「だいたい、きみたちはおれにエローダーと戦ってくれといっていなかったか? それはつまり、エローダーを殺せということだろう? なのに、いざこうしてエローダーを始末したら責められるわけか?」

「…………」

 葉月は唇を噛み、押し黙ってしまった。

「戸隠さんはおれにもいっしょに戦ってほしいといっていたが、どうやらきみの考えは違うらしいな。……というより、どうもきみは戦うこと自体が嫌いなようだ」

「……好きで戦ってるわけないでしょ?」

「気持ちは判らなくはない」

 嫌悪感をあらわにしている葉月から視線を逸らし、重信は橋の下から出た。

「――林崎はやしざきくん!」

 静かなモーター音をともなって、小さな電気自動車が路肩に停車した。そのドアを開けて出てきたのは、あの山内やまうちという老人と滝川すみれだった。

「無事かい、林ざ――」

「ザキでお願いします」

「え? あ、ああ、すまん、ザキくんだったね。……いや、私は林崎甚助じんすけ重信、わりと好きなんだけどなあ」

「おれの祖父と話が合いそうですね」

 山内とすみれは橋の下へやってくると、倒れている女を見て眉をひそめた。

「何というか……ふさふさだねえ」

「今はこんな感じですが、最初に出くわした時はふつうだったんですよ。一般人から見たら、ダイエットのためにジョギング中の主婦としか思わないでしょう」

「そうか……そんな人に不意討ちされたら、私なら一発でお陀仏だったよ」

 軽く両手を合わせて拝んでいる山内の隣で、すみれは重信に尋ねた。

「ザキくん、あなたは怪我はしていない?」

「大丈夫です。これは返り血ですから」

 みずからは戦うことをしないすみれが山内とともにこの場にきてくれたのは、重信が負傷していた場合、すみやかな治療には彼女の持つ“小夜啼鳥”が必要だからだろう。重信も自分自身の傷の治りを早くするスキル――“賦活”を持っているが、治癒効果という意味ではすみれのものには遠くおよばない。

 重信はシャツを脱ぎ、山内にいった。

「山内さん、これもいっしょにお願いできますか?」

「ん? いいのかい? まだ着られそうだけど」

「血で汚れたものは家に持ち帰りたくないので」

「そうかい」

 山内は重信のシャツを受け取ると、中年女の死体にかぶせ、さらにその上から手をかざした。

「…………」

 わずかな異臭が立ち昇り、重信のシャツもろとも、女の死体がみるみるうちに溶けていく。重信が目にするのはこれで四度目になるが、山内が所有しているのは、じかに触れた物質をごく短時間で液化させ、最終的には気化させてしまうスキル――“バブルスライム”だった。

 少し離れたところから山内の“処理作業”を見ていた重信は、ふとすみれに尋ねた。

「こうやって人知れず行方不明になっていく人間……というか、エローダーというのはどのくらいいるんです? 」

「先月、“機構”に所属するリターナーたちが倒したエローダーの数は、全部で二八人だったはずよ。別にその死体の処分をすべて山内さんに任せているわけではないけれど、とりあえず今のところ、不審な死体が発見されて騒ぎになったことはないわね」

「そうですか」

 別にエローダーの死体が一般人に発見されて騒ぎになろうがなるまいが――自分の身の回りで起こることでないかぎり――どちらでもいい。それより重信が気になったのは、ひと月に二八人倒されたというエローダーが、重信の前には一週間で五人も現れたということだった。このペースで推移すると、重信ひとりで月に二〇人前後のエローダーと戦うはめになる。

 同じことを考えていたのか、すみれは眉間の小さなしわを指で押さえ、

「……ザキくん、やっぱりあなたも“機構”に入ったほうがよくない? あなた、どう考えても目をつけられているわよ?」

「どうもそうらしいですね。さすがに偶然じゃなさそうですし」

「あなたが正式に仲間になってくれれば、もっとちゃんとしたサポートだってできる。戦いの時に応援を呼んでくれてもいいのよ? それに、あなたがなぜ集中的に狙われるのか調べることも――」

「調べて判ることですか、それ?」

 重信が聞き返すと、すみれは返答に窮したように口を閉ざした。束の間の静寂の中で、女の死体が形を失って夜気に溶けていく。

「……まあ、自分なりに考えて、あなたたちの仲間になるデメリットよりメリットのほうが大きいのは確かかもしれません」

「じゃあ――」

「ただ、少し条件をつけたいので、戸隠さんともう一度話し合ってから最終的な答えを出しますよ」

 重信はきびすを返し、コンクリートで固められた斜面を登っていった。

「――ザキくん、今の件、お嬢さまに通しておいてもいい? できればあしたにでも話し合ってもらって……いいかしら?」

「いいですよ。それでお願いします」

 ガードレールをまたぎ越して最後に振り返った時、山内は自分の仕事を終えてワイシャツの袖をもとに戻しており、すみれはすみれでスマホを取り出し、どこかに連絡を入れていた。おそらく霧華に今の話を伝えているのだろう。

 ただひとり葉月だけが、じっと重信を睨み続けていた。

「きみはたぶんやさしすぎるんだろうな。……異世界からの帰還兵のわりには」

 本人には聞こえないほどの小さな声で呟き、重信は自宅への帰路に就いた。


          ☆


 祖父の寝室から出てきたきりと入れ違いになるように、白衣姿の主治医が軽く頭を下げて中に入っていく。ここ数日、霧華の祖父の戸隠とがくし兵衛ひょうえは微熱に悩まされており、年齢のこともあって大事を取っている。もっとも、本人はこの程度の熱などどうということはないと鼻息荒く、霧華にいさめられていなければ、今頃は勝手にベッドを抜け出してしまっていただろう。

「副作用が出ないくらいの強めの鎮痛剤を打っておけばいいって、父にはいったんですけどねー」

 がらんとした広い廊下の途中で、じゅんが壁に寄りかかってタブレットをいじっていた。純の父は兵衛の主治医を務めている。えのき家は代々すぐれた医者や学者を輩出してきた家系で、戸隠家との関係は一〇〇年以上におよぶという話だった。

 ただ、純は秀才揃いの榎田一族の中でも異端の存在で、いってしまえば万能の天才に近かった。彼女の才能は医学や生理学、薬学といった方面だけにとどまらず、さまざまな分野で開花している。彼女の父が娘に医学の道に専念しろといわなかったのは、彼女の才がただの医者だけで終わらせるには惜しいと考えたからだろう。

 そして実際に、霧華が率いる“機構”で、純は存分にその才能を発揮している。

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