第二章 侵食される世界 ~その四~
「うっかり長生きした挙句、病気で寝たきりになったりするよりは、すっぱりと幕引きできたのは運がよかったのかもしれない。少なくとも苦しみはほんの一瞬だったはずですし、何より息子から見ても仲のいい夫婦だったので、ふたり揃ってというのはある意味、本望だったかなと」
「そういう考え方もできなくはないけど……」
「それに、滝川さんも異世界に飛ばされたのなら何となく感じているかもしれませんが、だらだらとこんなに長生きができる世界というのは、たぶん、そう多くはないと思います。そう考えれば、うちの親も充分に生きたといえるでしょうし」
両親の死を他人ごとのように語る重信に、すみれは違和感を覚えた。何より、肉親の死に対する哀しみが感じられない。それはまるで、遠い過去の歴史上の人物の死を客観的に口にしているかのようだった。
ディナータイムにはまだわずかに早いファミレスは七割ほどの混み具合で、すみれと重信はほとんど待たされることなく、店の奥のテーブル席に案内された。さいわい、近くにほかの客はおらず、内密の話をするにはちょうどいい。
テーブルの上に書類を広げ、すみれは確認した。
「可能なかぎりこちらで進めてしまってかまわないとのことだけど、それで間違いないかしら?」
「ええ。あとはおれが名前を書いてハンコをつくだけでいいくらいの感じでお願いします。天下の戸隠財閥がおれから遺産を騙し取ろうとするはずもないでしょうし、全面的に信用させてもらいますから」
「それはもちろん。林崎くんの要望に最大限沿う形で――」
「あ、林崎はやめてください」
「はい?」
「せめてザキくんでお願いします」
「ざ、ザキ……くん?」
「馬鹿馬鹿しいと思うかもしれませんが、人にはそれぞれゆずれないものがあるでしょう? おれにとってはこれがそうなんですよ」
そういって、重信はコーラをすすった。
「……コーラを飲むのもひどく久しぶりな気がするな」
すみれは霧華から、重信が“帰還”してきた日のことを聞いている。その強さはもちろん、戦いに際しての容赦のなさについてもすでに知っているが、こうしてコーラを飲んでいる重信の姿は、ごくふつうの高校生にしか見えない。少なくともすみれは重信から怖さのようなものは感じなかった。
「そういえば、第一八異世界というのはどんな場所なの?」
「……はい?」
「だから、あなたが飛ばされた異世界のことだけど」
「第一八って何なんです?」
「それは……お嬢さまか風丘さんから聞かなかった?」
「いえ」
「わたしたち“機構”では、可能なかぎり多くのリターナーたちから聞き取りをおこなって、彼らが飛ばされた異世界についての情報を集めているの。その結果、これまでに一七の異世界が確認されているんだけど」
「それは多いんですか、少ないんですか?」
「そうね……」
ハイビスカスティーにたっぷりと砂糖を入れ、スプーンでかき混ぜながら、すみれは首をかしげた。
「――同じ異世界に複数のリターナーが飛ばされるケースって、実はわりと多いらしいんだけど、そもそも精神跳躍による転移先決定の法則性がまだ不明だから、多いのか少ないのかわたしには判断がつかないわ」
「いや、それにしても確認されている異世界が一七って少ないような……」
「はやし……ザキくんが飛ばされた異世界が、これまで報告のあったどの異世界とも別のものだと判断できれば、それが一八番目の異世界というあつかいになるわね」
すみれがそう説明すると、重信はストローをくわえたまま腕組みをし、
「おれが飛ばされた異世界というと……? どれのことです?」
「はい? どれ、というのは……?」
「ひとつ残らずというのはさすがに無理ですが、最初の三つと最後のふたつくらいなら何とか覚えて――」
「ちょ、ちょっと待って!」
すみれは重信の言葉をさえぎり、あたりをはばかるような低い声で聞き直した。
「……最初の三つとか、最後のふたつとかって、それ、どういう意味?」
「いや、ですから、おれが飛ばされた異世界のことです」
「も、もしかしてザキくんは、そんなにたくさんの異世界に飛ばされたってこと……?」
「そうですが……あなたは違うんですか?」
「わたしだけじゃなくて、お嬢さまも風丘さんも山内さんもそれぞれひとつずつの異世界しか知らないのよ? それ、あなたがイレギュラーだと思う!」
精神跳躍によって異世界に飛ばされたリターナーは、その世界の住人の肉体を奪い、あらたな人生をスタートさせる。そして、異世界での生を終えると同時にもとの世界へと帰還する。だから、リターナーが経験する異世界はひとりひとつ――少なくとも、これまですみれが“機構”で聞き取りをしてきたリターナーたちは全員そうだった。
しかし、重信は違うという。霧華は重信を特別なリターナーかもしれないといっていたが、それはこのことを意味していたのかもしれない。
「……いくつもの異世界に飛ばされるって、具体的にいうとどうなの?」
「単純にいえば、死ぬたびに飛ばされるんですよ」
重信は頬杖をつき、溜息交じりにメニューを開いた。
「――おかげで初めのうちは、本気で頭がおかしくなるかと思いましたけどね。おれはもう、こうやって死ぬたびに妙な世界へ飛ばされて、永遠にもとの世界に戻れないんじゃないか、死ぬこともできずに戦い続けなきゃいけないんじゃないかって」
「へ、へえ……」
「もうほとんどあきらめの境地に片足を突っ込んでいた時に、何の偶然か、こうしてもとの世界に戻ってこられたわけですが」
「それは興味深いわね……」
重信との会話は、マイクを通じて純も聞いている。おそらく今頃あのマッドサイエンティストは、軽自動車を揺らして欣喜雀躍していることだろう。
「でも……だとすると、どうしてあなただけ特別なのかしら?」
「まだおれだけと決まったわけじゃないんじゃないですか? もしかすると、おれのほかにも複数の異世界を渡り歩いてきたリターナーがいるかもしれない。――ま、いないかもしれませんが」
「どっちよ……」
「それはおれが考えることじゃないと思いますよ。――それはそうと、何か食べてもいいですか?」
「別にかまわないけど……」
「母親がいなくなったから、食事の準備も自分でやらないといけないでしょう? 地味に面倒なんですよ」
重信はまたそんなことをこともなげにいいながら、ウェイトレスを呼んで料理を注文し始めた。
「…………」
やはり少年にとって両親の死はさほど重いものではないようだった。その理由が、いくつもの異世界を渡り歩いてきたことと無関係ではないのではないかと、すみれはぼんやりとそう思った。
☆
その日、林崎家のリビングに明かりがついたのは、夜の八時を回ってからのことだった。
「あ、帰ってきたんだ、のぶくん」
思わず口をついて出た美咲の言葉に、いっしょに洗い物をしていた母がいった。
「重信くん、これからどうするのかしらねえ……」
「ん? 何が?」
「だから、将来のことよ」
「進学のこと? それならもう二年なんだし、大学受験と就職さえ乗り切れば、あとはどうにかなるんじゃない?」
夏帆がいっていたのと同じようなことを美咲が口にすると、母は溜息交じりにかぶりを振った。
「――口でいうほど簡単なことじゃないでしょう? じきにあんたにだって判るわ、親のありがたみってものが」
「それはもうちゃんと理解してるって」
夏帆の指摘通り、当面の生活費や大学進学にかかる費用くらいは、遺産や保険金でどうとでもなるだろう。ただ、日々の身の回りのことをすべて自分でやりつつ受験勉強もというのは、美咲が思っているより難しいことなのかもしれない。
「ただでさえ親御さんに先立たれてショックを受けてるでしょうに……」
「…………」
少なくともそのことについては、あまりショックを受けているようには見えない――とはさすがにいえず、美咲は窓越しに林崎家を見つめた。
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