第二章 侵食される世界 ~その三~

「アンタだって気づいてるっしょ? 何か今のザキくん、アンタにすごく執着してそうな気がする。ご家族を失ったばっかりだから、その次に親しいアンタに知らず知らずのうちに依存してるってことなのかもしれないけどさー」

「そ、そう見える……? やっぱり?」

「だからさ、アンタたちがこのままくっつくならいいけど、もしアンタがそこまで考えてないんだったら、世話を焼くのもほどほどにしといたほうがおたがいのためじゃないのかなーって、ちょっとそう思ったわけ」

「…………」

 美咲は重信のことが好きだったし、もし重信が自分の好意に応えてくれるのなら――そのきっかけが精神的な依存だったとしても――嬉しいか嬉しくないかでいえば嬉しいに決まっている。ただ、そこから一足飛びに結婚がどうのという話になるのは少し違う気がするし、何より、今からそういうことを踏まえて世話を焼くかどうかを決めろといわれても、美咲にはそもそも重信と距離を置くという選択肢は考えられない。

「わー……何か重症っぽいー……」

 むっつり押し黙って考え込む美咲を見て、夏帆はプロテイン入りのココアを飲みながら小さく苦笑した。


          ☆


 コインパーキングに軽自動車を停め、滝川たきがわすみれは何度も深呼吸してみた。しかし、何度繰り返しても緊張はほぐれない。もし今すぐそばを通りすぎる通行人がいたら、この女はせまい車内でいったい何をしているのかと首をかしげたに違いない。

「無駄な努力はもうやめたらどうですかー、すみすみ?」

 助手席に座っていた榎田えのきだじゅんが、すみれのことなど一顧だにせず、冷ややかに断じた。

「――生まれつきビビリのあなたが何万回深呼吸したところで冷静ではいられないでしょ。だったらいろいろと麻痺するぶん、いっそアルコールでも摂取していったほうがまだましですよー」

「い、いいのかしら、そんなことして?」

「あなたバカなんですか~? ダメに決まってるでしょ、帰りも運転していくのに」

「あ」

「だいたい、そこまで怖がる必要ありますー?」

 手もとのタブレットを操作している純の声には、明らかにすみれを小馬鹿にするような色がにじんでいる。確か純のほうがすみれより三つほど年下のはずだったが、年下に侮られてもさほど悔しいと感じないのは、すみれが純の天才性をよく承知しているからだった。天才すぎる純にしてみれば、すみれも含めた周囲の人間の大半は、自分より頭の悪い存在なのだし、だから彼女に馬鹿にされるのも仕方がない。基本、すみれは偉い人間には逆らわないし、長いものには素直に巻かれておくべきという人生哲学の持ち主だった。

「――ところで度は合ってます? 合ってると思いますけど、一応どうですー?」

「え? ああ、大丈夫よ」

「まあ、カメラとマイクのコントロールはこっちでやるんで、すみれさんはただ彼の正面に座って、彼をまっすぐ見てるだけでいいですからねー。間違っても並んで座らないでくださいねー」

「カップルシートでもないのに並んで座ったらおかしいでしょ。……そもそもカップルですらないし」

「ま、一応でーす」

 純のタブレットを見ると、そこにはすみれの視界とほぼ一致する映像が映し出されていた。素人目にはなかなか気づきにくいが、すみれがかけている眼鏡には小型のカメラと集音マイクが仕込まれていて、彼女が見聞きするものをリアルタイムで純のもとに送れるようになっていた。

 小さなキューブ状のチョコを一度に何粒も口に放り込み、もにゅもにゅと咀嚼しながら、純はあきれたようにいった。

「……だいたい、ただの人間のわたしがこんなに堂々としているんですよ? なのにどうしてれっきとしたリターナーのすみれさんがそこまでおどおどしてるんですー?」

「だって……あなた、わたしのスキルは知ってるでしょ? 戦闘用どころか、身を守るためにも使えないのよ?」

「だから何なんですか? 別に誰も戦場に行けなんていってませんよー?」

「その子はエローダーたちに優先的に狙われてるかもしれないのよ? ということは、その子といっしょにいる時にエローダーの襲撃を受ける可能性だって、それだけ高くなるってことじゃない? なのに落ち着けって無理な話でしょう?」

「わたしとしてはむしろ襲撃があったほうがいいですけどねー。その子の戦闘データが取れるし」

「あのねえ――」

「あ、そろそろ帰宅するみたいですよ、ウワサの林崎くん。すみすみの出番でーす」

「…………」

 ふわっとした言葉遣いとは裏腹の、冷徹で合理的な思考回路を持つこの天才学者には、すみれがどんな泣き言をいっても意味はない。すみれは後部座席にあったブリーフケースを手に取ると、最後にもうひとつ深呼吸をして車外に出た。

 わずかに身をかがめてドアミラーに自分の姿を映す。いつものスタイルと大差ないといえばそれまでだが、このジャケット姿なら法曹関係の人間といって疑われることはまずないだろう。

 軽く眼鏡を押し上げ、すみれは林崎家へと向かった。

 これから会う林崎重信という少年の基本的な情報と容姿はすでに頭に入っている。すみれはただ、その少年に会って、生命保険や遺産相続の手続きを進めながら、いろいろとおしゃべりするだけでいい。カメラとマイクによるリアルタイムのデータ収集は完全にそのついで――というより、純のわがままだった。

 もっとも、霧華がその少年を口説き落として仲間にできなければ、これ以上のデータを取ることは不可能になるだろう。純がこれを最初で最後のチャンスかもしれないというのも、決して大袈裟な表現とはいいきれなかった。

 茜色の夕映えに馴染む閑静な住宅街を歩いていたすみれは、正面から高校生とおぼしいカップルが歩いてくるのを認めた。少年のほうがくだんの林崎重信、いっしょにいるのはその隣家に住む少女で、確か田宮美咲という名前だったと記憶している。

 たまたま偶然鉢合わせたという体をよそおい、すみれは林崎家の門前で足を止めた。

「林崎さま……でしょうか?」

「そうですが」

 一七歳にしてはひどく落ち着いた印象を受ける声が返ってきた。

「わたくし、松代まつしろ法律事務所からまいりました松代すみれと申します」

 ダミーの名刺を差し出し、ていねいに一礼する。それを受け取り、少年は何度もうなずいた。

「ああ……話は聞いてます。いろいろと手続きをお任せしていいんですよね」

「はい、それで本日は、まず林崎さまに目を通していただきたい書類がいくつかございまして――」

「それなら、少し駅のほうへ行ったところにあるファミレスでどうでしょう? うちでは今、お茶もお出しできないので――」

 そういいながら少年が一瞥すると、少女は何か察したように、小さく笑った。

「あ、それじゃのぶくん、またね」

「ああ」

「あしたからお弁当も用意してあげるから!」

 そういって自宅へ入っていった少女を見届け、少年――林崎重信は嘆息した。

「……戸隠さんが手配してくれたということは、あなたもリターナーですか?」

「ええ、まあ」

「これは本職?」

 手にした名刺を見つめ、重信は歩き出した。

「いいえ。そもそもわたしは松代なんて名前でもないし」

 少女がいなくなった今、偽名を名乗り続ける必要はない。言葉遣いをややフランクなものに切り替えると、すみれは重信と並んでファミレスへと向かった。

「わたしは滝川すみれ。今後ともよろしくね、林崎くん」

「どうも」

「実名は伏せるけど、もともとはわたし、偉い議員先生のところで政策秘書をやっていたの。で、リターナーになってからはお嬢さまの私設秘書」

「へえ」

「でも、この手の手続きも得意分野だから、そこは任せておいて」

「助かります。まさかいきなり遺産がどうの生命保険がどうのという話をするはめになるとは思っていなかったもので、困っていたんです」

「たいへんだったわね……ご愁傷さまでした」

「それはまあ……こういっては何ですが、もうどうでもいいことなので」

「えっ?」

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