第二章 侵食される世界 ~その二~

 ここまでの話を聞いたかぎりでは、エローダーの脅威や、霧華たちの仲間になることのメリットは重信にも理解できた。ただ、彼女たちの仲間になるということは、襲ってきたエローダーを返り討ちにするだけでなく、こちらから率先してエローダーを捜し出し、犠牲者が出る前に倒さなければならないということを意味している。

「リスクリターンを考えて答えを出したいんだが、少し待ってもらえるかな?」

「ええ。……ただ、脅すわけではないけど、あなたはもうエローダーたちに目をつけられているふしがある。なぜ彼らがあなたの帰還に合わせていっせいに襲撃してきたのかは不明だけど、わたしたちに協力してもらえるのなら、そのあたりもいずれ調べられると思う」

「ありがたい申し出だ」

 タマゴパンを三口で食べ終えた重信は、さらに袋の中からふたつ目のタマゴパンを取り出し、カフェオレのパックにストローを刺した。

「どんだけ食べんのよ、ったく……」

 次から次にパンを食べる重信にうんざりしたのか、葉月はきびすを返してドアに向かった。

「霧華、きょうはもうこのへんでよくない? もう行こうよ」

「そうね……」

 静かにうなずいた霧華は、最後につけ足した。

「――あなたに頼まれていた保険関係の話だけど、さっそく手配しておいたから、知らない人間が来たからって追い返さないで」

「大丈夫だ。この世界での社会常識はだいたいもう思い出した」

「……あなたがこの世界で一日も長く生きていられることを祈るわ」

 不吉な言葉と屋上のカギを残し、霧華は葉月にエスコートされて去っていった。

「ま、あんなおかしな連中に狙われてたんじゃ、大財閥のご令嬢だって安穏とはしていられないか」

 すべてのパンを食べ終え、ゴミを袋に突っ込んで口を縛った重信は、思えばこうしたものを食べるのも本当に久しぶりだったことに気づいた。重信が前にいた異世界には購買もコンビニもなければ、そもそもこんな柔らかいパンすらなかったのである。


          ☆


 クラスメイトの結城ゆうき夏帆かほと机をくっつけ、向かい合わせで弁当を広げていた美咲は、教室の時計を一瞥して小さく嘆息した。せっかく母が用意してくれた手作り弁当も、何だか食べた気がしない。

「戻ってこないねー、ザキくん」

「え? ……ああ、うん。そだね」

 気づくと夏帆が意味ありげに笑っている。胸のうちを夏帆に見透かされた気がして、美咲は思わずうつむいてしまった。

「どしたんどしたん? ザキくんの意識が戻って無事に退院してきたのに、アンタ、何でそんな暗いわけ?」

「それは……のぶくんの身になって考えると、手放しで喜べる状況でもないかなーって」

「あー……確かにそっか。本人が退院できても、ご両親が一度に亡くなって、ひとりだけになっちゃったんだもんねー」

「もともとのぶくん、親戚とかほとんどいなかったから……ホント、これからどうするのかなって」

「でもさ」

 夏帆は男子同士でつるんで弁当を食べているきょうかわくんたちをちらっと見やって、声をぐっと低く落として続けた。

「――あの無神経野郎のいいようじゃないけど、保険金もあるだろうし、進学とかはどうにかなるっしょ?」

 美咲と違って気丈で押しの強い夏帆は、直言の士といえばいいのか、いったほうがいいと思うことはオブラートにつつまず直球を投げてくる。そのせいで彼女を苦手に思う生徒もいるけど、京川くんのように空気が読めないってことはない。

「これが小学二年で天涯孤独になったとかならともかく、ザキくんだってもう高二なんだし、受験を乗り切って大学に入って就職さえしちゃえば、あとはどーとでも生きていけるっしょ?」

「そう思えるのはわたしたちが当事者じゃないからだよ」

「いやいや、それをいっちゃったらもー何もいわずに見守ることしかできなくない?」

「まあ……うん」

「現実問題としてさ、ザキくんところって確か持ち家っしょ? でもってお隣にはアンタもいるわけだし、生活環境とか経済的な問題はクリアできそうだと思うけど」

「え? ど、どうしてそこでわたしが出てくるの?」

 友人の言葉に、美咲ははっと顔を上げた。

「どうしてって……いやいや、だってアンタ、男子に告られても好きな人がいるからって断ってるっしょ? それってつまりザキくん――」

「だーかーらー!」

 美咲は顔を真っ赤にして夏帆の言葉をさえぎった。

「わたしがいってるのは、そういう、ことじゃなくて――」

「ザキくんとの将来設計の話じゃなく?」

「茶化さないでよ……」

「あ、わりとマジな話?」

「……うまくいえないんだけど」

「うん」

「のぶくん……何か人が変わったっていうか」

「はい?」

 お弁当箱にふたをしてスカーフで包んでいた夏帆は、歯切れの悪い美咲の言葉に眉をひそめた。

「ザキくんの性格が変わったってこと、それ?」

「夏帆はそう感じない?」

「そーねー……わたしは高校になってからのザキくんしか知んないけど、変わったっていえば変わったのかも」

「やっぱりそう思う?」

「前はあんまり冗談とかいわなかったのに、今はよくいうでしょ? それもさ、ちょいブラックっていうか――そのせいかな、ちょっと前よりシニカルっていうか、冷たくなった気がするっていうか。あと、ちょっと平然としすぎてるところも、余計に冷たい印象を覚えるのかも」

「それなんだよね……」

 事故で両親を一度に失った人間が、あそこまであっけらかんとふるまえるものかどうか――それこそ当事者でない美咲には想像することしかできない。でも、夏帆も感じているように、そういう悲劇に直面したばかりにしては、退院してからの重信はあまりに平然としすぎている。いっそ冷淡に感じるほどだった。

「だいたい、以前ののぶくんはもっとおとなしくて――」

 絶対に、美咲のことを可愛いとほめたり、スキンシップをしたりしなかった。そういうことを恥ずかしいと感じるような、内向的な少年だった――とはさすがにいえなくて、美咲は口ごもった。

「――でもさ、もしかするとアレかもしんないっしょ? 美咲に心配をかけたくないからって、あえて平気そうにふるまってるとか?」

「そ、そうかな……?」

「あとは――わたしも専門家じゃないから詳しくないけど、脳腫瘍になったり事故で頭ぶつけたり、そういうのがきっかけで性格って変わることあるらしいじゃん?」

「え? ちょ、ちょっと! 物騒なこといわないでよ!」

「いやいや、わたしがいいたいのはー、人の性格って変わることあるよってこと。……というか、アンタは今のザキくんが嫌なわけ?」

「嫌じゃないけど……気になる」

「アンタがマジメに悩んでるならわたしもマジメにアドバイスするけどさ」

 ずっと箸が止まっている美咲の弁当箱から卵焼きを略奪し、夏帆はいった。

「――これマジで、ホントに冗談でも何でもなくて、それこそ将来的にアンタがザキくんと結婚するくらいの覚悟がないんだったら、あれこれ気を回すのもほどほどにしたほうがいいんじゃないかと思う」

「けっ……え!? ど、どうしてそういう話になるの!?」

「んー、アンタがザキくんが変わったっていうからわたしもあらためて思い返してみたんだけど、確かにザキくん、入院前とくらべると大きく違うところあったからさー」

「ど、どこ? 何が変わったと思う?」

「アンタとの距離感」

「――――」

 夏帆の指摘に美咲は言葉を失った。美咲が感じていたのと同じようなことを、もう夏帆も感じていたのだ。

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