第一章 第一八異世界の剣豪 ~その六~

「――ところで」

 少年がさらに事故の話題を続けようとしたところで、重信はいった。

「ここまでのご高説はたいへんありがたいんだが、そもそもの話、きみは誰だ?」

「――は?」

「きみは誰だ?」

 そう繰り返し、重信は自分の席を取り囲む生徒たちをゆっくりと順繰りに指さしていった。

「まずおれのお隣さんの田宮くん、それに去年も同じクラスだった桐山きりやまに、藤原ふじわらさん、結城ゆうきさん、あと……長友ながとも高瀬たかせだ。そうだろう?」

「う、うん」

「こうして実際に学校へ戻ってきて、混乱していた記憶もようやくすっきりしてきた。クラスメイトたちの名前もぼちぼち思い出してきたところだ。――だが」

 大仰に眉をひそめた重信は、正面の少年を見つめて首をかしげた。

「嘆かわしいことにきみの名前がまだ出てこない。ことほど左様に弁が立つきみのことだ、以前からクラスでは目立つ存在だったはずだし、おれもきみの名前を知っていて当然のはずなんだが……なぜかいまだに思い出せない」

「……え? う、嘘だろ? 冗談だよな?」

「いや、嘘をついているのはきみのほうじゃないのか?」

「は?」

「きみは、本当はおれのクラスメイトじゃないんじゃないか?」

「――――」

 重信は一瞬だけ少年に冷たい一瞥を投げかけ、すぐにまた破顔した。

「まあそう気に病むな。下の自販機でカフェオレの一本もおごってくれれば、きみの名前がきょうかわだということくらいすぐに思い出してみせる」

「……はは」

 額にうっすらと汗をにじませた少年――京川は、自分が重信にかつがれたのだとようやく気づき、気が抜けたように笑った。

「な、何だよ、やっぱ冗談か……おまえがそんな冗談いうとは思わなかったから、完全に騙されちまったぜ。オレだけ思い出してもらえなかったらショックだもんな」

「そうそう。一瞬わたし、マジでザキくんが記憶喪失になったのかと思って焦っちゃった」

「っつーか、そんなピンポイントで記憶喪失になることなんてあんのか?」

 重信が京川少年に垣間見せた冷徹な表情に、ほかのクラスメイトたちは気づいていない。ただ、両親を事故で失った重信にずけずけと事故の話を振る京川の無神経さに、腹立たしさや居心地の悪さを感じていたのは事実だろう。その重い空気が振り払われたことで、みんなほっと安堵の笑みを浮かべていた。

「――そういやザキは、勉強とか大丈夫そうなのか?」

 二度と事故の話題には触れさせまいと考えたのか、京川がまた口を開く前に、高瀬が尋ねた。

「まるっと一か月の遅れってかなりだろ?」

「問題ない。……たぶん。いや、何とか、うん、おそらく」

「おいおいおい、どんどん自信なさげになってくじゃねーか、ザキ」

 からかうように長友がいう。そういえば自分は周りからはザキと呼ばれていたのだということを、今頃になって思い出した。林崎重信という古臭い名前が照れ臭く、それならあだ名のほうがましということで見出した妥協点が、長めの名字を省略したザキという呼び方だったのである。唯一、美咲だけが自分をのぶくんと呼ぶのは、重信が自分のフルネームを忌避するようになる前から定着していたからで、母親が死んだ今、そう呼ぶのはもう美咲しかいない。

「――どうしたの、のぶくん?」

 重信が物思いにふけっていると、美咲が心配そうに制服の袖を引っ張った。

「いや、冷静に考えて、全教科で周りより一か月遅れているという事実の重さに、ちょっとしためまいを覚えただけだ。おまけにもう六月、来月には期末テストが待っているわけだからな」

「それまでに遅れを取り戻すってやっぱきつくね?」

「こういう時って何か考慮されたりしないのかなあ?」

「まあ、いざという時は田宮くんに勉強を教えてもらうつもりでいるが」

「え!? わ、わたし?」

「この学年に田宮くんはひとりしかいないだろう?」

「いや、そうじゃなくて、わたし、人に勉強教えるなんて――」

 美咲が慌てて首を振っているところへ、教室の後ろのドアが開き、チョコレート色の髪の少女が顔を覗かせた。

「――――」

 クラス中の視線が集中したが、少女はそれを意に介していない。無数の顔の中からすぐに重信を見つけ出した風丘葉月は、

「昼休み、顔貸して」

 不愛想にそうひと言だけ告げ、すぐに出ていってしまった。

「……今の、隣のクラスの風丘だっけ? ザキ、知り合いなのか?」

「あるかなしかでいうなら、かろうじて面識くらいはある、という程度だな」

「んじゃどうしておまえが呼び出されるんだ?」

「あ! きっとカツアゲじゃねえ? だって、保険金とか遺産とかでカネ持ってそうだもんな、今のおまえ!」

 面白いことをいってやったとでもいいたげな表情の京川を、ほかのクラスメイトたちがいっせいに睨みつける。しかし、重信は特に怒ることもなく、時計を確認して立ち上がった。

「あいにくだが、まだおれのところには一銭も入ってきていないな。ああいうものの手続きは思っていた以上に面倒らしい」

「どこ行くの、のぶくん?」

「授業が始まる前に大量に花を摘んでくる」

「あ、ちょっと!」

 教室を出た重信を、美咲が小走りで追いかけてきた。

「あ、あの……京川くんのいったこと、気にしてる?」

「いや、まったく」

「……ホントに?」

 人気のない階段のところまでやってきた重信は、美咲を振り返って笑った。

「本当に何も気にしていない」

「……だとしても、京川くんの発言はどうかと思う」

 ひんやりとする壁に寄りかかり、美咲は頬をふくらませている。重信は何の気なしに彼女の髪をいじりながら、溜息交じりに呟いた。

「どうせ今頃は、ほかの奴らにさんざんダメ出しをされているだろう。それを思えば別に腹も立たない」

「でも――」

 美咲は何かいいかけ、しかし、途中で言葉を呑み込んだ。

「……どうした?」

「何でもない」

「……どうも田宮くんには、何かいいかけてすぐにやめる癖があるようだな。昔からそんな感じだったか? よく思い出せないんだが――」

「そっ、それよりさ」

 髪をいじる重信の手を掴み、美咲はいった。

「――風丘さん、のぶくんに何の用があって呼び出したの? まさか本当に、その……カツアゲじゃないよね?」

「ああ。ウチの保険や遺産関係の手続きをお願いしている人が、たまたま風丘さんの知人だったというだけの話なんだが」

「そ、そうなの?」

「正直、あの手の面倒な手続きはおれの性には合わない。今は勉強の遅れを取り戻すのが先決だし、誰かに任せられることなら丸投げさせてもらうさ」

「そっか……なるほどね」

 どこかほっとしたようにうなずき、美咲は笑った。

「――授業始まっちゃうからそろそろ戻ろ?」

「ああ」

 美咲と並んで歩き出した重信には、彼女がたびたび何かいいかけて口ごもる理由が判るような気がした。要するに美咲は、事故の前後での重信の変化に気づいていて、そこに生じる違和感を無視できないのだろう。

 ただ、そうと判っていても、重信にはどうすることもできない。重信自身、自分の変化に対しては、もはや手の打ちようがないからである。

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