第一章 第一八異世界の剣豪 ~その五~

 霧華は目を開け、葉月を見やった。

「林崎くんが持ち帰った知識と経験は、わたしたちにとって大きな武器となる。多少のマイナス面があるにしても、味方につけることでトータルがプラスになるのなら、そうしない手はない。……少なくとも、敵意を持たれないように工夫すべき」

「わたしはただわたしの感想をいっただけ。決めるのはお嬢だし」

 長々と溜息をもらしてシートに身をうずめた葉月は、ふと運転席でハンドルを握る山内に話を振った。

「――山内さんはどう思う?」

「葉月ちゃんも人が悪いな。私に人を見る目がないことくらい知ってるでしょう?」

 人のいい老運転手が苦笑しているのがルームミラー越しに見える。

 確か山内は、企業勤めをしていた頃に唐突なリストラに遭い、それがきっかけで長年連れ添った妻に離婚を突きつけられた挙句、退職金をすべて持ち逃げされた過去を持つという。人生の伴侶の人間性を見抜けなかった山内が、そう自嘲するのも判らなくはなかった。

「……でもまあ、彼は悪人ではないと思いますよ」

「根拠は?」

「あの日、林崎くんは、そのつもりがあればお嬢さまを人質に取って葉月ちゃんを一方的に攻撃することだってできたわけでしょう? でも、彼はそうしなかった」

「それは……」

 重信と対峙する葉月を制止して歩み寄ってきた霧華に、重信は攻撃を加えるわけでもなく、おとなしく対話する姿勢を見せた。ただそれについても、重信が一対三で戦う不利を嫌っただけだという意地の悪い見方もできなくはない。

「だとしても、それはそれで、彼がちゃんと損得勘定のできる利口な人間だという証拠じゃないかな? だとすれば、あえてお嬢さまを敵に回すことはないと思うよ」

「…………」

 おだやかな山内の言葉は葉月にも正論のように聞こえて、真っ向から否定できない。ただ、それでも林崎重信という少年を認めたくなくて、葉月は憤然と腕組みをし、かすかに唇をとがらせて窓の外にふたたび目を向けた。

「……まあ、もし万が一にもあいつがお嬢にとって何かヤバい存在になるようだったら、その前にわたしが始末するから」

「ちょ、ちょっと葉月ちゃん……物騒なことをいうのはやめてよ。みんな仲よく、平和的にやろうよ、ね? ね?」

「それはあいつの態度次第でしょ」

 間もなくリムジンは母校へと到着する。ガードレールの向こうの歩道には、葉月たちと同じ制服を着た生徒たちが群れをなして校門に向かっていた。

 その中にくだんの少年の顔があったのをスモークガラス越しに見て取った葉月は、思わず舌打ちをしていた。

「女の子が舌打ちとかやめて」

「悪かったわね。何しろわたし、前世は男だったから」

 たしなめる霧華に皮肉っぽくいい返し、葉月はリムジンが停まると同時に自分でドアを開けて外に出た。

「…………」

 霧華が山内の手を借りてリムジンを降りるまで、葉月は油断なくあたりに視線を飛ばしていた。けさ、葉月がわざわざ戸隠家のリムジンに同乗して霧華とともに登校してきたのは、単純に霧華の護衛のためである。ただ、そうした事情を知らないほかの生徒たちからすれば、学園の運営にも大きな影響力を持つ戸隠家の令嬢と、派手なメイクのギャルの関係性が今ひとつ理解できないのかもしれない。遠巻きに少女たちを見つめる彼らの瞳には、隠しようもない好奇心がありありと浮かんでいた。

「それではお嬢さま、葉月ちゃんも、行ってらっしゃいませ」

 山内の一礼を背中に受けて、葉月たちは水無瀬学園の門をくぐった。

「もうすぐ予鈴鳴るぞ~、早く教室行け~」

 門柱に寄りかかっていた古文教師の石動いするぎが、大きなあくびを隠そうともせず、登校してくる生徒たちにひらひら手を振っている。霧華は石動にていねいに一礼し、

「おはようございます、石動先生」

「お~、いつ見ても折り目正しいな、戸隠のお嬢さまは。きょうもリムジン登校とはいいご身分だ」

 まばらに無精髭が生えた顎を撫で、石動はまたあくびをした。教師という肩書がなければ、ただぐうたらなだけの貧相なアラサーにしか見えない。それなりに優秀な教師陣を揃えているこの学園に、なぜ石動のようなだらしない男が交じっているのか、葉月には本気で疑問だった。

「……先生、まずは自分がそのよれよれのジャージとかどうかしたら? そんなカッコの先生に服装のチェックされても何も響かないっていうか、むしろこっちが先生の服装チェックしたいくらいなんだけど」

「そんなにひどいか? 一応まめに洗濯はしてるぞ? 洗濯機から出してそのまま放置してるものを、テキトーにはおってきてるだけで」

「…………」

 溜息交じりにかぶりを振り、葉月は霧華の腕を掴んでまた歩き出した。

「お嬢、何か感じる?」

「今のところは何もないわね」

 昇降口で靴を履き替えながら、ふたりの間だけで聞こえるほどのささやかな声で、葉月は霧華と言葉を交わした。別に誰かが盗み聞きしているとは思わないけど、よくも悪くも人気のある霧華には、声をかけるタイミングを見計らっている生徒が男女問わず少なくない。だから、意図せずにこちらの話を聞かれてしまう可能性も考えなければならなかった。

 こめかみから流れた髪をかき上げ、霧華は呟いた。

「……でも、おそらくエローダーたちは、わたしたちの存在を感知する能力を持っているはず。今すぐここに敵が現れたとしても、わたしは特に驚かない」

「やめなよ。巻き込まれるほうはたまったもんじゃないんだから」

「もちろん、そうならないことを祈っているけど」

 霧華の表情はほとんど動かない。不吉なことを口にしていても、明るいニュースを聞いた時にも、戸隠霧華は感情を揺らすことなく、顔色を変えるということがない。

 そんな彼女が、直近で大きく揺すぶられたように見えたのは、この世界にまたひとりリターナーが戻ってきたと知った時だったかもしれない。たぶん、葉月が林崎重信を気に入らないのは、それもあると思う。

 そんな葉月の胸中を知ってか知らずか、霧華がいった。

「葉月、昼休みに話がしたいから、あの子を呼び出してくれる?」

「……は? わたしが?」

「あなたが」

「…………」


          ☆


 古い古い記憶を掘り返すというのは意外に面倒な作業だった。

 たとえば今、自分の目の前でしゃべっている少年が何という名前だったか、重信はおぼろげながらにしか覚えていない。どうやら事故に遭う前はそれなりの関係性だったらしいが、美咲のようにすぐに名前と顔が一致しなかったところから考えて、知人としてのプライオリティはかなり低かったと思われる。

「それにしても……おまえ、ホントよく生きてたよなあ。すごい事故だったんだろ?」

 少年があらためてそう口にすると、周りにいたほかの生徒たちが顔色を変えた。美咲にいたっては眉が吊り上がっている。

 目ざとくその変化に気づいた重信は、机の下で美咲の爪先を軽く踏みつけ、少女の意識をこちらに向けさせると、にっこり笑って口を開いた。

「その時おれは意識がなかったし、頭を打って記憶も混濁しているような状態だったからな。ひどいも何も、肝心の事故のことは何も覚えていない」

「それもそうか。――いやでもおまえの事故、テレビニュースでも流れたんだぜ?」

 重信が笑顔で応対しているせいか、目の前の少年はあたりの空気が冷えきっていることにも気づいていない。気づいているのにこんな話題をこすり続けているのだとすれば、ある意味、すさまじい胆力といえるだろう。ほかのクラスメイトたちが全員、腫れ物に触れるような表情でいるのとはあまりに対照的だった。

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