第一章 第一八異世界の剣豪 ~その四~
☆
重信たちが通う水無瀬学園は、最寄りの私鉄駅から歩いてわずか五分ほどのところにあった。在校生の大半はこの私鉄を使って登校しているという話で、おのずと登下校の時間帯には、駅と学園をつなぐ通りは同じ制服に身を包んだ少年少女たちでごった返すことになる。
「そういえば」
生徒たちの群れの中に交じって歩いていた重信は、いまさらのように
「――ゆうべ長野のじいさんと電話で話して、そこで聞いたんだが」
「何を?」
「葬式の時、
「ああ……うん」
長野に住む母方の祖父は、
「……まあ、わたしはほとんど何もできなかったんだけど」
美咲はどこか居心地が悪そうに、じっと自分の爪先を見つめていた。
「忙しいおかあさんの代わりにのぶくんのお見舞いに行ったり、あとは……お茶を出したり、そのくらい」
「それでも助かったよ。……あのじいさんにとっては実の娘の葬式を自分で出すはめになったわけだし、さすがに堪えただろうからな」
「でも、杖も使わずに歩いてて、すごくしゃきっとしたおじいちゃんだったよ?」
「確かあのじいさんは警察官上がりだったはずだ。若い頃からずっと剣道に打ち込んでいて、それで今も無駄に元気なんだ。……というか、そもそもおれがこんな古臭い名前になったのもあのじいさんのせいだからな」
娘の嫁ぎ先が林崎家と聞いた祖父は、もし男子が生まれたら重信と名づけるように強く主張したという。生前の母が笑っていうことには、その条件を呑まなければ結婚は認めないとまでいっていたらしい。
「……のぶくんのおじいちゃん、その名前に何か思い入れがあったの?」
「たとえば田宮くんのご尊父には尊敬する歴史上の偉人がいるか?」
「えーっと……尊敬してるのかどうか知らないけど、本棚にたくさん宮本武蔵の小説とかマンガがたくさん並んでるよ?」
「なら、将来、田宮くんが宮本という男を結婚相手として連れてきた時に、きみのご尊父が、『息子が生まれたら武蔵と名づけるように! でなければ結婚は認めん!』と主張するようなものだ」
「……?」
判ったような判っていないような、微妙な表情を浮かべる美咲に苦笑し、重信は少女の頭をぽんぽんと撫でた。
「とにかく、田宮くんには感謝している。おれはこんなに可愛くて気立てのいい幼馴染みを持ってしあわせだよ」
「!!」
その瞬間、美咲は顔を真っ赤にしてその場に立ち止まった。
「……どうした、田宮くん?」
「のぶくん――」
「ん?」
「のぶくんて、何だか、その……か、変わったよね、やっぱり?」
「それはまあ――」
「う、生まれ変わったとか、そういう冗談みたいなのは抜きにして」
重信の言葉を先回りして潰し、美咲はかぼそい声で続けた。
「以前からそういうしゃべり方してたし、独特の間とか、ペース? みたいなのは変わってないけど……その、あんまり、そういうこといわなかったし」
「そういうこと? そういうこととはどういうことだ?」
「だから、頭撫でたりとかも――」
「……そうだったか?」
美咲に指摘されるまで、重信はそんな自分の変化を自覚していなかった。第一、かつての自分がこの少女にどういう態度を取っていたかということすら、よく覚えていないのである。だから、以前と変わったといわれても、何がどう変わったのか自分ではよく判らなかった。
ただ、この少女とこうしている時間はとても楽しい。
「前はちょっとつっけんどんていうか、冷たいっていうか……並んで歩くのも嫌がってたし、触ったり触られたりするのも嫌がるし……」
「……おれはそんな奴だった……か?」
客観的に考えれば、それはおそらく思春期特有の少年にしばしば見られる恥じらいの裏返しに違いない。今の重信にはそれが理解できる。
しかしそう聞くと、急に昔の自分を殴りたくもなってくる。こんなにあからさまに自分に好意を向けてくる愛らしい少女に対して、なぜそんな失礼なことをするのかと、冷たい床の上で正座させて、小一時間ほど説教してやりたい気分だった。
もじもじしている美咲をしばし見つめたあと、重信はいった。
「……正直、入院前の自分がどうだったのか、よく覚えていないんだが、もし田宮くんの気分を害していたのならあやまる。すまなかった」
重信の謝罪に、美咲はまた顔を赤くしてあたふたした。
「ちっ、違う! 違うから! べ、別に気分を害したとか、そういうんじゃなくて……」
「いや、この際だからきみにも正直にいってもらいたい。もし以前のおれのほうがいいというのなら、完璧にとはいいきれないが、どうにかその態度を再現してみよう」
「再現て……そういうことじゃないんだけど」
「違うのか? ということは、今のおれのほうがいいということか?」
「……二択、なの?」
いつもの上目遣いで美咲が聞き返す。
「そうだな。ここは二択で答えてもらいたい」
「それなら……もう今のままののぶくんでいい」
「いいのか?」
「だって、今のほうが――」
美咲はそこまでいって口を閉ざした。周囲の少年少女たちのざわめきが、その時、大きくふくらんだような気がした。
「あ」
生徒たちの流れのかたわらを、黒塗りのリムジンが通りすぎていく。以前にも見かけたことがあるような気がしなくもない。
「今の戸隠さんちのクルマだよ」
「それでか……」
「そういえば、戸隠さんてわたしたちと同じ二年生だけど、実はひとつ年上だって知ってた?」
「ほほう、あの完璧を絵に描いたようなお嬢さまがダブりだったとは意外だな」
「ダブりっていうか、戸隠さんて病弱っぽいでしょ? 実際、中学校の頃に長期入院してて、出席日数が足りなくて卒業が一年遅れたんだって」
「それでか」
すでに本人の口から聞いていた話を初めて耳にしたかのように、重信はしたり顔で何度もうなずいた。
☆
低いモーター音が響くだけの静かな車内で、風丘葉月は不機嫌さを隠そうともせずに窓の外を見つめていた。
「……ホントにあいつを“機構”に迎えるつもりなの、お嬢?」
「林崎くんのこと?」
隣に座る戸隠霧華は、リムジンに乗り込んでからずっと静かに目を伏せている。それはいつものことだし、その口調もいつものように淡々としていて抑揚に欠けていた。このしゃべり方のせいで、霧華のことを冷淡な少女だと決めつける生徒もいるけど、本当はそうじゃないということを葉月はよく知っている。
「……葉月は反対?」
「だってあいつヤバいじゃん」
「どんなふうに?」
「それは……何かうまくいえないけどさ、とにかくあいつはヤバいって」
「抽象的すぎ」
葉月の言葉に霧華が小さく微笑んだ。
「でも、彼が強力なリターナーであることは葉月にも判るでしょう? 帰還と同時に複数のエローダーに狙われるだなんて、前例のないことだし」
あの夜、病院に現れたエローダーは重信が倒したあの男だけではなかった。ほかのエローダーたちは葉月と山内で片をつけたけど、彼らの狙いが特別病棟にいた重信だったのはほぼ間違いない。
「確かにあいつは強いんだろうけどさ……」
特殊なスキルを持つリターナーとはいえ、結局は“人間”である。この世の中にいい人間と悪い人間がいるように、リターナーにもいい奴と悪い奴がいるのが道理だった。林崎重信が強いからといって――いや、強いからこそ、そう簡単に信用するのは危険だと葉月は思う。
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