第一章 第一八異世界の剣豪 ~その三~

林崎はやしざきくん……よね?」

 そう語りかける茫洋としたまなざしの少女には見覚えがあった。しかし、すぐにはその名前が出てこない。

「そういうあんたは――あー、確か」

「クラスは違うけど、わたしも二年生」

「二年生? 同じ学校……同じ高校?」

 少女に指摘されて、そこでようやく重信は、葉月が着ている制服に見覚えがある理由に思いいたった。

「確か――水無瀬みなせ学園、だったか?」

「あんた、自分の通ってる学校の名前も覚えてないわけ?」

 遠い記憶を掘り起こそうとしている重信に冷たい一瞥をくれ、葉月はまた舌打ちした。それを老人が苦笑顔でなだめにかかる。

「葉月ちゃん……彼はまだ目覚めたばかりなんだよ? 記憶が混乱していたとしてもおかしくないでしょう? そもそもここに入院していたのだって、交通事故に遭ったからだし――」

「交通、事故……?」

 重信は自分のこめかみを押さえ、そう繰り返した。

「無理に思い出さなくてもいい」

「あっ? ちょ、お嬢!?」

 少女は重信に寄り添うと、葉月の鞭を受けて皮膚がただれた少年の左腕に触れた。

「――ただ、とりあえず今は、わたしたちが敵じゃないということだけは信じてほしい。わたしたちはみんな仲間だから」

「その仲間というカテゴリーには、あちらの獰猛なお嬢さんも含まれていると考えていいのかな?」

「はぁ!? 誰が獰猛――」

「葉月ちゃん! ここは抑えて! お嬢さまに任せましょう、ね?」

「く……!」

 山内老人に腕を引かれ、葉月は渋々といった様子で怒気を納めた。

 それを見てほんのわずかに留飲を下げた重信は、大きく深呼吸してうなずいた。

「ほかならぬきみのいうことだ、聞いて損はないだろう。……戸隠とがくしきりさん」

「思い出したの、わたしのことを?」

「まあ、きみはよくも悪くも学園の有名人だったからな。――ただ、あちらの剽悍なお嬢さんのことはまったく思い出せない。もともと面識がなかったんだと思うが」

「別にかまわない。葉月だってきょうのきょうまであなたのことは知らなかったはずだから」

「逆にきみは、前々からおれのことを知っていたのかな? だとしたら、いろいろと聞きたいことがあるんだが」

「ええ。いっしょに来て」

「その前に――」

 重信はちらりと白衣の男の死体を見やった。

「……どう考えても他殺死体なんだが、このままにしておくのはまずくないか?」

「ああ、それなら私が片づけておきますよ」

 重信たちのやり取りを聞きつけた山内が、ワイシャツの袖をまくりながら進み出た。

「片づける? 片づけるって?」

「片づけるというか、溶かすというか――ま、見ていてあまり気分のいいものでもありませんし、みなさんは先に行っていてください」

「山内さん、あとはお任せします。すぐに応援を寄越しますから。それじゃ林崎くん、行きましょう。……葉月も」

「…………」

 聞えよがしな溜息をもらし、葉月は霧華と並んで歩き出した。しかしその意識は、すぐ後ろを歩いてくる重信につねに向けられている。重信にはそのことが皮膚感覚のようなもので感じられた。

「――下に行くんじゃないのか?」

 階段をさらに上がっていこうとする少女たちを見て、重信は首をかしげた。少し前まで下のほうに感じていた敵意が今は存在しないのも不思議だった。

「屋上でヘリが待ってるの」

「……さすがは戸隠財閥のお嬢さまだ。自家用ヘリで移動とは」

「いつもはこんなことはしない。ただ、きょうは急いでいたから……」

「ひょっとするとおれのためかな?」

「そうともいえる」

「含みがあるな」

「すべて説明してあげたいけど、何から伝えたらいいか、わたしも迷っているの」

「なら、まずはさっき話題に出た交通事故のことを」

「――――」

 屋上に続くドアに手をかけた葉月が、重信をゆっくりと振り返り、それから表情を窺うように霧華を見やった。

「いわれてみればかすかに覚えている。……高校二年になってすぐのゴールデンウィークに、おれは両親と旅行に出かけた。そこまでは覚えている。ということは、その旅行中に事故に遭ったということだろうな」

「……ええ」

 ドアを開けると冷ややかな夜気が一気に流れ込んできて、少女たちの長い髪をふわりと揺らした。

「高速を走っている時に、後ろから来たスピード違反のスポーツカーに追突されたと聞いているわ。そのはずみで、あなたたちが乗っていたクルマはコンクリート製の防護柵に激突して横転、さらにそこに後続のトラックが衝突した」

 黒く艶光る髪をそっと押さえ、霧華は淡々と説明した。

「……運転していたあなたのおとうさまも、同乗者だったおかあさまも、ほぼ即死だったそうよ。奇跡的にあなただけがほぼ無傷で救助されたけど、頭を強打したせいか、意識不明のまま病院に収容されて、きょうで三二日目」

「そうか」

 両親の死を聞かされても、重信は特に驚きも哀しみも感じなかった。その事実が、どこか遠い別の世界の出来事のようにしか思えなかったのである。

「おしどり夫婦は死ぬ時もいっしょ、か――」

 霧華たちが戻ってきたことに気づいたパイロットが、ヘリコプターのエンジンに火を入れる。ローターがゆっくりと回転し、あたりの夜気を荒々しくかき混ぜ始めた。

 初めて乗り込んだヘリコプターの中をきょろきょろと見回し、重信はもうひとつ気になっていたことを尋ねた。

「――そういえば、リターナーというのは何なんだ?」

「わたしたちのことに決まってるでしょ」

 装着したヘッドホン越しに、ぶっきらぼうな葉月の声が聞こえてくる。すでにローター音は通常の会話ができないほどにやかましくなっていた。

「……きみはあれだな、人間とは何なのかという哲学的な問いに、わたしたちのことだと胸を張って即答できるタイプか」

「は? 馬鹿にしてんの!? っていうか、さっきあんた、わたしのことひょうかんっていってたわよね!? あれもどうせ悪口でしょ!?」

「戸隠さん、彼女のマイクだけオフにしてくれ」

「あんたねえ――」

「葉月。説明はわたしがするから」

 ヘリの機内で思わず立ち上がりかけた葉月を、霧華が静かに制する。

「……“帰還兵リターナー”というのはわたしたちがつけた名前よ。あなたがそうであるように、いったん異世界に飛ばされて、そこで戦い抜き、そしてこの世界に帰還してきた者たちのこと」

「おれやあちらのお嬢さんだけじゃなく、さっきのじいさんや、きみもそうなのか?」

「ええ。……わたしたちはみんな、一度この世界を離れ、異世界での人生を終えて戻ってきた人間なの」

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