第一章 第一八異世界の剣豪 ~その二~

 正直、重信には目の前の男が何をいっているのかよく判らない。ただ、どうやらこの男は、重信も知らない重要な情報を持っているようだった。

 その情報を吐かせるために、あえて殺さず捕らえるべきか――重信のその逡巡を見抜いたかのように、男はその左手にあらたな光の刃をともし、ふたたび跳躍した。

「それはともかく、二刀流とは生意気じゃないか?」

「そういう貴様は逃げ足だけが取り柄か? リターナーなら何かしらの“スキル”を持っているはずだろうが!」

「もちろん! もちろん持っているとも! ……ただ、それをここで使うのが正しいことなのかどうか、いささか迷いがなくもない」

「はァ!? 状況が判ってるのか、リターナー? 芝居がかった御託をほざいてる間に首が飛んでも知らんぞ?」

 そう吐き捨てた男の刃が、床や壁にあざやかに溝を刻み込んでいく。果ては窓ガラスさえも割らずに切断するのを見て、重信は目を丸くした。

「スチールもコンクリートもガラスも、何でも綺麗に真っ二つか。なかなかの切れ味じゃないか。確かに急所に当たれば命はない。……当たればの話だが」

 周囲の床や壁に刻み込まれた傷の数は、いい換えるなら、重信が男の斬撃をかわした数でもある。重信はまだ一度として男の刃をその身に受けてはいなかった。

「…………」

 口もとに浮かんでいた笑みを消し去った男は、やや前のめりに身構えた。

「ほかの奴らが出張ってくると面倒だからな。遊びはこのへんで終わりだ」

「なるほど、これまでは遊びだったわけか。なら、おれも遊びはここまでにしよう」

 重信は左手を拳の形に握り締めて左腰に当て、さらにそこに右の拳を添えた。

「貴様、何の真似だ?」

「勝利はこの鞘の中にある。……らしいな、識者によると」

 重信もまた、右肩を前に出して膝を曲げて、前傾姿勢を取る。両の拳は変わらず左の腰に添えたままだった。

「この“世界シン”の連中の考えにはついていけねェな……さっさと仕事をすませて帰りたくなってきたぜ!」

 もう一度吐き捨てた男が、両手の刃を大きく開き、左右から重信をはさみ込むように襲いかかってきた。

 いかに幅の広い病院内の廊下とはいえ、男のリーチを考えれば、上下左右どこに跳んでもその攻撃を避けられそうにない。唯一逃げる場所があるとすれば後方のみ――しかし重信は下がらなかった。逆にみずから前方へと踏み込みつつ、右腕を振るう。

 その刹那、腰に添えられたままの重信の左の拳と、わずかにすり上がるように走る右腕、その拳との間を、弧を描く赤い光がつないだ。それはさながら、目に見えない鞘から真紅の刃を抜き放ったかのごとく――。

「ぐ」

 短く呻いた男の口からは、もうそれ以上の声は出てこなかった。代わりにもれ出てきたのは、血で赤く染まった泡だった。

「しくじったな。おれとしては両腕を落とすだけのつもりだったんだが」

 のんびりとひとりごちた重信が構えを解くと、赤い刃はすぐに消え去った。

「おれの踏み込みが甘かったのか、それともおれの見立てよりあんたの動きが速かったのか……いずれにしても、どうやらおれはまだ本調子じゃないらしい」

 そううそぶいた重信の足元には、肘のあたりで斬り落とされた男の両腕が転がっていた。男の左右の刃が重信を斬り裂くよりも、あとから繰り出された重信の赤光の居合が男の両腕を切断するほうが早かったのである。さらにその切っ先は、男の胸に深い傷を刻み込んでさえいた。

「…………」

 がっくりとその場に膝をついた男は、口から血の混じった泡を吐きながら、まるで土下座でもするかのようにうつぶせに崩れ落ちた。しばらくはぶくぶくと泡立つ音がもれていたが、それもすぐに聞こえなくなった。

「……死ぬ時はあっさりと死ぬもんだな」

 男の骸を冷ややかに見下ろし、重信は呟いた。

 次の瞬間、派手な音を立てて窓ガラスが割れ、まばゆい光とともに長身の少女が飛び込んできた。

「新手か――!?」

 咄嗟に距離を取ろうとした重信の眼前に、あざやかな金色の輝きを放つ鞭のようなものが伸びてきた。

「――っ!?」

 反射的にそれを左腕ではじいた重信は、熱い衝撃に顔をしかめた。

「あんた……!」

 あらたに重信と対峙したのは、チョコレート色の長い髪にピンクのメッシュを入れた、派手なカラーリングの少女だった。身に着けているのはどこかで見たことのある制服だったが、あいにくと少女本人の顔に見覚えはない。

 しびれの残る左手をかかえ込み、重信は口を開いた。

「……まず聞いてもいいかな? おれときみとは初対面だと思うんだが、なぜおれはいきなりそんな物騒なもので鞭打たれたんだ? ひょっとして、おれは前世できみに何かひどいことをしたのかな?」

 制服の袖をまくった少女の右手からは、小さな火花を散らす稲妻の鞭が垂れている。今はさほどの輝きはないが、ひとたびそれが敵に向けられれば、その雷光の鞭はさらに輝きを増し、触れるものをことごとく焼くだろう。

「しらじらしいんだよ、あんた!」

 忌々しげに舌打ちした少女は、土下座の恰好のまま動かなくなっている男を一瞥し、重信に噛みついた。

「こうもあっさりと人を殺すなんて……これだからエローダーって奴は!」

 少女の声色には、嫌悪と怒りがはっきりとにじみ出ている。ギャルめいたメイクのせいもあるのか、重信を睨みつけるその眼光は――少女の顔の造作が端整なだけに――何ともいえず苛烈だった。

「……エローダー?」

 重信は眉根を寄せて少女が口にした単語を反芻した。

「ちょっと待ってくれ、いったい何をいっている? きみはそいつの仲間なのか? おれは、その――リターナーとかいうものなんだろう?」

「は? あんたがリターナー!? いつまでとぼけ続ける気なのよ、マジで――」

 柳眉を逆立て、少女が右腕を振り上げる。またあの雷光の鞭が飛んでくると見た重信は、口を閉ざして腰を落とし、ふたたび刃を抜く構えを取った。

「――待って、葉月はづき

 不意に割り込んできたおだやかな声に、少女の動きがぴたりと止まった。

「……?」

 先ほど男が現れた防火扉の向こうから、血臭ただよう修羅の巷には不釣り合いな、黒いシックなワンピース姿の少女が歩いてくる。そのすぐ後ろには、枯れ枝のような痩せっぽちの老人がつきしたがっていた。

「は、葉月ちゃんは、ひとりで先走りすぎですよ。追いかけてくほうの身にもなってほしいな。こっちはもう還暦回ってるんだから……」

 白髪頭の老人はハンカチで汗を拭きながら、ぜぇぜぇと荒い息をついている。肩越しにふたりを見やったギャルメイクの少女――葉月は、すぐにまた重信に視線を戻し、彼らを守るかのようにまた一歩前に進み出た。

「お嬢と山内やまうちさんは下がってて! こいつはわたしひとりで始末する!」

「違うから……やめて、葉月」

「だから、お嬢は下がっててって――」

「あなたの勘違いだから」

 重信と葉月の間に満ちる緊迫した空気にも物怖じせず、お嬢と呼ばれた少女は葉月に歩み寄った。

「――――」

 すぐ目の前に置かれた男の死体をしばらく凝視したあと、少女は葉月の右手を押さえようとした。

「あぶっ……やめてよ、お嬢! 火傷じゃすまないんだから!」

 葉月は慌てて稲妻の鞭を消し去り、少女を抱きかかえるようにして数歩後ずさった。

「……葉月、あなた、勘違いしてる。リターナーはそこで死んでる人じゃない。あの子のほう」

 葉月にかかえられたまま、少女は重信を指さした。

「えっ? あっちがリターナーなの!? マジで?」

「わたしはそういうことを間違えない」

 おっとりとうなずき、少女は葉月の腕の中からすり抜けた。

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