第一章 第一八異世界の剣豪 ~その一~
腹部に衝撃を感じ、混濁していた意識が急速に覚醒していく。
「…………」
そこはひどく暗い場所だった。しかし、完全な闇というわけではない。横合いから射してくる弱々しい光を感じ、重信はいったんまた目を閉じた。
今この時点で重信に判るのは、自分がベッドらしきものに横たわっていることと、腹のあたりに何かがのしかかっていること、そしてあたりに濃い血の臭いが立ち込めていることだった。
「深呼吸にはあまり向かないな、ここの空気は」
静かに呟き、重信は思い切って身体を起こした。
「……やれやれ」
重信がいるのはおそらく病院の一室だろう。個室らしく、ベッドは重信が使っているものひとつで、かたわらには何やら精密そうな機械が置かれているが、電源が入っていないらしく、うんともすんともいわない。天井の照明がついていない代わりに、カーテン越しに射し込む窓からの光が、室内を淡く照らしている。
そして――これがもっとも困惑させられることに――ベッドに身を起こした重信の腰のあたりに、赤いナース服の女がおおいかぶさっていた。
「何というか……深夜の見回りご苦労さまです」
重信は苦笑交じりにいった。だが、ナースからの返事はない。それどころかぴくりとも動かなかった。
「……最悪とまではいわないが、これまでの人生の中で五本の指に入るくらいにヒドい目覚めだな、まったくもって」
強さを増す血の臭いに顔をしかめ、重信はベッドを出た。その拍子に、背中を大きく斬り裂かれたナースの身体がずるりとすべり落ち、リノリウムの床の上にまたあらたな赤い血をぶちまけた。
「本当に……ヒドい状況だ」
軽く頭を振ってめまいを追い払った重信は、自分の腕につながっている点滴のチューブを引き抜いた。身にまとっているのは浴衣めいた検診衣で、そこから伸びる手足は自分のものとは思えないほど痩せこけている。
重信は裸足にスリッパを引っかけ、壁に寄りかかるようにして窓辺に移動した。
「ここは――」
カーテンをめくって外を眺める。ここが何という土地なのかは判らないが、どうやらこの病院は街の郊外のちょっとした高台の上に建てられているらしい。カーテン越しに室内を照らしていたのは、麓にある街の明かりだった。
「とりあえず――ここはかなり大きな病院のようだな」
深呼吸を繰り返し、ゆっくりと身体をほぐしながら、重信はそう言葉に出した。考えをまとめる時にあれこれ口に出してしまうのは、幼い頃からの習慣――というより癖に近い。
「そしておれはこの病院で治療を受けている患者だった。しかし今夜、ここで何かトラブルが起こって、そこのあなたは――ここのナースだとは思うが――不幸にも命を落とした。そう……そうだな。そうに違いない」
大仰にうなずきながらナースの死体のそばにしゃがみ込んだ重信は、ばっくりと開いた背中の傷口に触れた。そこにわずかにあたたかみが残っていることから考えて、この鮮血にまみれたナースが絶命してからさほど時間はたっていない。
重信は立ち上がってドアのほうを振り返った。注意深く見てみると、床の上によたついたような赤い足跡が残っている。おそらくこのナースは何者かによって背中に致命傷を負ったあと、おびただしく血を流しながらここまで歩いてきて、そしてこここで息絶えたのだろう。
「――――」
重信は首に手を当てて嘆息すると、ドアを引き開けて廊下に顔を出した。
非常口をしめす緑の光がぽつんぽつんとともるだけの暗い廊下に人気はなく、冷ややかな夜気が満ちていた。幸運にも――というべきなのか、ナースを手にかけた犯人らしき人影もない。
右に行くべきか、あるいは左に行くべきか――廊下の左右を確認していた重信は、大きな揺れを感じて天井を見上げた。
「――っと」
今のは明らかに地震の揺れ方ではない。何より、同時に何かが崩れるような大きな音がした。
「あまり悠長にはしていられないか……」
自分が置かれた状況を、重信はまだ完全に呑み込めているわけではない。ただ、自分へ向けられる“敵意”だけは間違いようのない現実だった。
「一番近いのがおれの頭の上にいるようだが、敵はひとりじゃなさそうだ」
まごまごしていると、上下から挟撃されかねない。天井からぶら下がった案内板を頼りに、重信は上の階へと向かった。ところどころ、中途半端に防火扉が閉じていて、何度も回り道をさせられたが、重信はその間も、周囲のすべてのものから注意深く情報を集めていた。
「ここの文字は漢字によく似ているな。というか、漢字そのものだ。文明レベルは二一世紀相応だが……まさか元の世界なのか、ここは?」
ぶつぶつと呟きながら、重信は自分の左手を見つめてそこに意識を集中した。そのままぎゅっと拳を握り締めると、指の隙間からじわりと赤い光がもれ出てくる。
「こっちの“力”は使える、か。ならどうにかなる――」
赤い光が反射し、暗闇に面したかたわらの窓ガラスを鏡に変える。その瞬間、重信は目を見開き、そこに映った自分の顔を凝視した。
「この顔――これは、ひょっとしておれ……おれか!? やっぱりおれは戻ってこられたのか!?」
重信が思わず声を上ずらせたその時、一〇メートルほど先で行く手をふさいでいた防火扉に斜めの線が入った。
「――――」
動揺を瞬時に鎮め、重信は正面を見据えた。耳障りな音とともに崩れ落ちた防火扉の残骸を踏み越え、白衣をまとった痩せぎすの男がこちらへとやってくる。
「病院ではお静かに――というのは万国共通の認識だと思うんだが、ここでは違うのかな? それとも医師は例外的に大騒ぎをしてもいいというルールでも?」
重信が務めておだやかにそう尋ねたが、白衣の男からの返事はない。重信は頭をかき、もう一度尋ねた。
「それと、あんたの右手にあるそれ……それは明らかに医療器具じゃないと思うんだが、どうなんだろう? おれは医療の専門家じゃないから詳しくないんだが、最近ではそういうもので怪我人を治療できるのかな? だとすれば現代医学の進歩に惜しみない称賛の拍手を――」
我ながら冗長な重信の口上に区切りがつく前に、白衣の男が床を蹴って飛んだ。
「!」
さらに壁を蹴って重信の眼前へと、一〇メートルの距離を一瞬で詰めた男は、右の手刀から伸びた光の刃をすさまじいいきおいで振り下ろした。
「……いっておくが」
床にふかぶかとめり込んだ光の刃と、それを振るう白衣の男を交互に見やり、重信はいった。
「その物騒な光が医療機器じゃないことくらいは最初から判っていたんだ。別におれは馬鹿じゃないし、どちらかといえば頭のいいほうだからな。つまりどういうことかといえば――要するに、あんたにおれの言葉が通じるかどうかをためしただけで」
「安心しろ」
白衣の男は光の刃を引き抜き、低く笑った。
「――ちゃんと言語変換はできているし、オレも貴様のくだらんたわごとは理解できているよ、リターナー」
「リターナー……?」
「この“
白衣の男は左手で眼鏡をはずし、首から下げていたIDカードを引きむしった。
「呼ばれることはないな。ここでおまえはもう一度死ぬ。そしてもう二度と“
「……訳知り顔でよくしゃべる」
小さく鼻を鳴らし、重信は目を細めた。
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