好き間のない恋

九戸政景

好き間のない恋

「…………」


 オフィスの窓から夕陽が射し込み始めた頃、パソコンのキーボードを打つカタカタという音と同僚の電話の応対の声を聞きながら俺は同じようにキーボードを叩いて仕事に励んでいた。

前までなら辛さしかなかった仕事だが、“ある出会い”を境に俺は仕事にも精力的になり、プライベートも充実している。

もっとも、それで出会った人というのが、少し、いや中々変わった人なため、友人達には紹介出来ないのだけが残念だ。


「……早く帰って会いたいな」


 その人の事を思い浮かべてポツリと呟いたその時だった。


「会いたいって、なんだ彼女でも出来たか?」

「え……って、はざまか。突然何だよ?」


 隣の席の間宇宙はざまそらは俺の反応を見て、ニヤニヤと笑いながら肘でつついてくる。


「なんだよ、この前まで仕事が辛いとか辞めたいとか言ってたのにいつの間に彼女なんて作ってたんだよ~?」

「別にいいだろ、それくらい」

「それで、どんな娘なんだ? かわいい系か? 綺麗系か?」

「……まあ、どちらかというなら綺麗系か。だけど、写真もないし会わせる気もないから諦めろ」

「えー……会わせてくれよ~」

「いやだ。ほら、定時までそろそろなんだし、早く仕事片すぞ」

「はいはい……ちぇっ、会わせてくれたって良いじゃんかよぉ……」


 間が残念そうに言いながら仕事に戻る中、俺はその人の事を思い浮かべてクスリと笑う。


「会ったら驚くというか“怖がる”だろうにな」


 その人を他人にも家族にも紹介出来ない理由がそれだ。俺はその人を美しいと思っているし、自慢の恋人だと思う。だけど、会ってしまったら怖がるだろうし、俺の命にも関わる。だから、誰も会わせられないし、実は撮ってある写真も見せられない。それが約束だからだ。

その人に会いたいという気持ちを抱きながら仕事に集中する事数十分、定時になって俺はすぐに帰り支度を済ませると、オフィスにいる全員に声をかけてから急いでオフィスを出た。因みに、安全のために走らずに早歩きで急いだ事だけは追記しよう。

会社を出てすぐに俺は近くのスーパーで夕飯の買い物を済ませる。その人は細長い食べ物が好きだから、惣菜売場で巻き物系を幾つか選び、自分の晩酌用の酒とつまみも併せて買った後、俺はその人が待つ自宅へと向かった。

十数分後、徒歩で帰宅した俺が家のドアを開けると、リビングからトントンと何かを叩く音が聞こえ、嬉しさを感じながらリビングへ向かい、食器棚の“隙間”を覗きながらそこにいた恋人に声をかけた。


「ただいま、真乙まおさん」

「……おかえり、清利きより


 恋人である須木真乙すきまおさんがいつものように隙間にいる様子にホッとしていると、真乙さんは長い前髪の奥の目で俺をじろりと見る。


「……清利、今日も私の事は話してない?」

「話してないよ。早く会いたいって思ってたら、それが口に出てて、間から彼女が出来たのかって聞かれたくらい」

「……それならいい。私の事を話したら……わかってるよね?」

「ああ、俺は隙間女である真乙さんに殺される。でも、俺はそれもありかな。真乙さんに会えなくなるのは残念だけど、その隙間に俺も引きずり込まれて殺されるなら本望だよ」

「……本当に不思議な人。私がこの梅田家うめたけのタンスの隙間に入ってたら、驚いたり怖がったりするどころか、私を綺麗だとか恋人にしたいとか言い始めたのは本当に驚いた」

「それは本音だよ。それに、あの頃の俺からしたら真乙さんは都市伝説の怪異じゃなく、女神様みたいな物だったしな」


 そう、俺の恋人は都市伝説の一つである隙間女本人だ。数ヶ月前、仕事の忙しさと辛さで心を病み、半ば家と職場を行き来するだけのロボットみたいになっていた俺の自室のタンスの隙間に真乙さんは不気味な笑みを浮かべて立っていた。

隙間女というのは、その名の通り、家具などの隙間に入っていて不気味に笑う女性で、元々はとあるコメディアンが広めた物だと言われているが、江戸時代の怪談話を纏めた本にも近い話がある事から、その頃から民間伝承として知られていた可能性があるようだ。

そんな隙間女が何をするのかというと、今の真乙さんのように家具と壁の間──タンスと壁の間が多いようだ──に潜んでは、家人に視線を向けたり叩く音で不安を煽り、自分を見つけた相手をその隙間へと引きずり込んでは殺したり閉じ込めたりする。

ただ、真乙さんがさっき言ったように俺は真乙さんの事を綺麗な一人の女性だと思っているし、だんだん落ち着いてきた今でもその評価は変わらない。それに、隙間から出てきた真乙さんは至って普通の女性と変わらない姿だし、普段長い前髪で隠れているその色白の顔は芸能人と言っても通る程に整っているのだ。

そんな愛しい恋人の事を見ながら幸せな気持ちになっていると、真乙さんは俺が手に持っているビニール袋に視線を向ける。


「……それ、今日の夕飯?」

「そう。作ってもよかったけど、スーパーのチラシに巻き物のセールの情報があるのを思い出したからさ。真乙さん、巻き物好きだろ?」

「……好き。私のように細長くなってるのに、しっかりと味がするし、食べやすいから好き」

「だよな。それじゃあ一緒に食べようか」

「うん」


 返事をした真乙さんがゆっくり隙間から出てくると、白いワンピース姿の腰まで伸びた長い黒髪の女性が現れ、その珍しい服装に俺は疑問を覚えた。


「真乙さん、そのワンピースは?」

「……都市伝説の知り合いに貰った。今日、暇だったから色々な隙間を移動してたら偶然会って、近況を報告し会った後に私にも似合いそうだからってくれたの。この前も小さな男の子を見つけてどうにか連れてけないかって頑張ってたみたい」

「そうなんだ。普段の服装も好きだけど、その白いワンピースも真乙さんの良さが際立つ感じがする。すごく素敵だよ、真乙さん」

「……貴方は本当に不思議な人。でも、そんな貴方を好きになって恋人になった私も不思議。これまで人間なんて引きずり込んで閉じ込めたり殺したりするくらいしかなかったのに、貴方からの賛美は何故か心地よくて、姿を見せる内に貴方の事を好きになっていったのは不思議だった」

「まあ、隙間女っていうのはそういうものみたいだしな。本当は真乙さんを自慢の恋人だと紹介したいけど、恋人になってくれた時の約束があるから、それが出来ないのは本当に残念だな」

「……私はあまりこうやって外に出るのは得意じゃないし、騒がれたいわけでもない。だから、私がここにいる事や貴方の恋人である事を他の人間に話したら、貴方の事を遠慮なく殺して他所に行く。でも、最近そうしたくないっていう気持ちもある。これは貴方の事を大切に思っているから?」

「そうだと思う。だから、俺も真乙さんを一生大切にするし、悲しませたくないから約束だって絶対に守る。結婚とか子供とかそういうのは難しいけど、俺は死ぬまで真乙さんと一緒にいる。まあ、真乙さんが良いなら死んでからも一緒にいたいけどさ」

「……それくらい別にいい。都市伝説の私が幽霊を怖がるわけもないし、貴方の幽霊ならむしろ大歓迎」

「ありがとう、真乙さん。それじゃあそろそろ食べようか」

「うん」


 真乙さんが返事をして席に着いた後、俺は買ってきた物を並べたり真乙さんが好きな緑茶の準備を始める。人間と都市伝説の恋愛という世にも不思議なこの状況は約束の件も含めて誰にも話せないが、俺は真乙さんにも言ったように一生守り続けるし、真乙さん自身も大切にする。

真乙さんとの出会いがなかったら、今頃人生に絶望して死んでいたのは間違いないし、モノクロの砂漠みたいだった俺の人生に潤いと色を与えてくれた事には本当に感謝してるから。

そんな事を考えている内に準備は終わり、俺も席に着いた後、俺達は揃って手を合わせた。


「「いただきます」」


 揃った声がリビングに響き、真乙さんが美味しそうに食べるのを見ながら、俺も巻き物と一緒にこの誰にも言えない幸せを静かに噛み締めた。

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好き間のない恋 九戸政景 @2012712

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