11話 裏目の善意
マンションの共用ゴミ捨て場に空き缶たっぷりのビニール袋を放り投げた後、俺は最寄りのコンビニに来ていた。
先程の静かな戦いの後無性に喉が渇いたのでたまには炭酸飲料でも、と思ったのだ。
ついでにハナさんが食べてみたいと言っていたアイスクリームも適当に買って帰れば、午後の買い出しをすんなりこなさせるための良いエサになるだろう。
アイスは俺も久しぶりに食べたい。
目についた定番炭酸ジュースとラムネ味のアイスバーそれぞれ2本の会計を済ませて再び外へ。
コンビニの完璧な空調で一休みした後だと、さらに日差しがキツく感じる。
アイスが溶けないようにと汗が出ない程度の早足でマンションに戻る。
―――――
帰路の途中、道端でこれまた無心で佇むスーツ姿の男性を見かけた。
マンションで見た女の子とは違い上下スーツ姿で見るからに暑そうだが、額に汗の一粒も浮かべることなく電柱の傍に無表情で突っ立っている。
この炎天下では明らかに異様だった。
要するに、とてもヤバそうな人だ。
とりあえず歩調を早め、見て見ぬフリで素通りする。
触らぬ神に祟りなしだ。
どの口がって感じだが。
というか、ボーっとするのって流行りなのだろうか?
―――――
オートロックのエントランスを抜けてエレベーターに乗りながら、うっすらと先程の事を思い出す。
さすがに、もう居ないよな。
ガタンと俺の部屋の階で止まったエレベーターを出ると、
「……」
彼女は、まだそこに居た。
これは状況から見て確定だな、と確信した。
と同時に、腹を括ってしまえば意外と気が軽いものだった。
「こんにちは。もしかしてなんですが、お隣の方ですか?」
先程と違い、しっかりと目の前の女の子に話しかける。
一瞬びくりとした彼女だったが、すぐにこちらを見て返事をくれた。
「あ、はい。あたし、この家の」
「やっぱり、ですよね。まともに引っ越しの挨拶もしてなくてすみません。803の犬飼といいます。もしかして、何かお困りですか?」
「えーっと、はい、802の高見です。あの、朝出るときに鍵を家の中に忘れて、家入れなくて」
たどたどしくだが、受け答えはしっかりしている。
時々目線を時々外すのは、シャイな性格からだろうか。
「なるほど……あの、鍵がないならエントランスのオートロックはどうやって?」
「あ、丁度他の部屋の方が入っていくタイミングで一緒に。ただ部屋には、やっぱり」
「あー、そうですよね。ちなみにご家族の方はいつ頃帰ってくるんですか?」
「あの、母……がお昼過ぎには帰ってくるはずなので、待っていようかなって」
「それは良かった。ちなみにぼちぼち一時も近づいてきたけど、お母さんはもう少し時間掛かりそうな感じですか?」
「えっと、それが携帯も家の中なので、正確に何時とは……」
だいたい事情は掴めた。
なんというか、お隣さん……高見さんにとっては、とてもツイてない日だったらしい。
「あらら、それは大変でしたね。ちなみに手持ちがあれば公衆電話で連絡取れると思うけど」
「その、財布も……」
訂正、とことんツイてない日だったらしい。
中には入れず、外に出るには微妙。
先程までの少し緊張した面持ちが崩れて、ほとほと困り果てたという表情を浮かべている。
「なーるほど。ちなみにお母さんの電話番号がわかれば、俺の携帯を使って」
「番号、わかりません……。普段はアプリばっかりで……」
「あらら」
時代は変わったなぁ、と痛感する。
俺は電話もメールもアプリも、あまり思い入れも思い出もないけれど。
高見さんが八方ふさがりなのは良く分かった。
「わっかりました。早く帰ってくるといいですね、お母さん」
はいぃ、と困り眉の高見さん。
話は訊くだけ訊いたが、俺に出来ることは何も無さそうだ。
さすがに俺の家に上げるわけにもいかないし。
逮捕はやっぱり勘弁願いたい。
「あの、よかったらこれ。ついさっきコンビニで買ってきたから、まだ溶けてないと思います。今日暑いし、気を付けて」
せめてもの気持ちで、先程の飲み物とアイスを一つずつ抜き取ってから袋ごと渡す。
アイスは溶け始めていないといいが。
「え、いやそんな!悪いですよ、そんな」
「いやいや、どうぞどうぞ。あと、なにかあったら俺の部屋鳴らしてくださいね」
困り顔のままブンブンと短く切りそろえられた髪の毛を豪快に左右に振る高見さんにものを押し付けて、俺はそそくさと自分の部屋に戻った。
ドアを閉める時、小さく『ありがとうございます』と聞こえた気がした。
片手にアイスとペットボトルを持ったまま、片手で鍵を閉める。
要らぬ世話だっただろうか、おせっかいだっただろうか。
結局何の力にもなってあげられなかったし。
……まぁ、いいか。
どうせ、これが今日まで名前も知らなかったお隣さんとの最後の会話だろうし。
初対面の人にしょうもない偽善を押し付けただけだ。
いいんだ、これで。
サンダルを適当に脱ぎ捨てて部屋へと戻ると、ハナさんは起きてはいるもののまだベッドの上でだらけていた。
幸い服は着ている。
「あら稔くん、おかえりなさい。あれ、その手のものはなんですか?」
「これアイスです。ゴリゴリ君、食べてみたいって言ってたでしょ」
「おっひょ!食べる食べる!頂戴な、ってアイスはひとつだけですか?稔くんの分は?」
「俺はいいです、気分じゃないんで。アイス食ったら外出る支度してくださ」
「うんめぇですねゴリゴリ君!ガツガツいけちゃう!」
「ハナシ聞けや!あとアイスはあんまり勢いよく食べるとですね」
「んー?なんれ……あ……」
ほれ見たことか。
「この世の終わりみたいな頭痛が来るので」
「ア……ア゛ァ……ン゛ア゛ァ……ッ!」
口が半開き、フレーメン反応中の猫みたいになってやんの。
のたうち回る自称神を眺めていると、部屋の呼び鈴が鳴った。
もしかしなくても、高見さんだろう。
なにかあったのだろうか?
ハナさんをリビングに捨て置き玄関を開けると、案の定高見さんがそこに居た。
先程見た困り顔のまま、若干顔が紅潮している。
「高見さん、どうしました?」
「あ、あのすみません」
はてなにやら、と推論を導出する前に、涙目も加わった高見さんが続きを紡いだ。
「お手洗いを、貸して下さい……」
……もしかして先程の飲み物とアイスが悪い方向に効いてしまっただろうか。
つくづく気の回らない人間に育ってしまったなぁ、と後悔した。
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