8話 最初の晩餐
「この部屋です。先に言っておきますが、あんまり中のものを弄らないでくださいね?」
「
「あ、あれ嘘です。散らかっているとは思いますけど、ゴミ屋敷レベルではないですよ」
「あれ嘘だったんですか?何故そんなちゃっちい嘘を?ちょっと期待してたのに!」
「何に期待してるんですか」
東京駅で無事に下車し、そのまま千葉に向かって東へ電車で数駅。
夏の夕日が沈んだ頃に、俺達は無事県境に近いところにある俺の部屋に到着したのだった。
鍵を回し、部屋のドアを開ける。
シンと静まり返った、我が家だった。
窓を開けられず3日ほど放置された部屋の淀んだ空気が、俺達を撫でてからドアの外へと流れ出していく。
まずは換気してからエアコンで除湿せねばなるまい。
その前にシャワーか、汗が気持ち悪い。
「どうぞ。靴は脱いでくださいね。あ、気付かぬうちに足元も草履からサンダルに変わってる」
「お邪魔します。ちなみに稔くんに着替えさせられた時には変わってました。女性と会った時は足元も見ないとダメですよ?」
ハナさんは小さい花がボタンにあしらわれた白いサンダルを綺麗に揃え、部屋に上がった。
足元を見るって、慣用句的にはいい印象がないんですが。
スーツケースのキャスターを玄関に置いてあるタオルで拭いてからドアの鍵を内から閉め、俺も部屋に上がる。
「お帰りなさい」
先に部屋へと上がったハナさんが、迎えてくれた。
にこやかに、静かに。
「……ただいま、です。でもここ俺の家です」
「何を仰るか。今から私の家でもあるでしょう。それに、神に迎えられることには感謝があってもいいのでは?」
「はいはい、感謝します。ただいま」
「ふふん、よろしい」
ハナさんは満足げに頷いた後、廊下をすたすたと歩き9畳ちょっとのベッドルームに入っていった。
足取りに遠慮は欠片もなかった、さすがですね。
ハナさんを追いかけて、俺も部屋に入る。
廊下兼キッチンと洋室を隔てるドアを開けると、ハナさんは入口のすぐそこで突っ立っていた。
「稔くん、これのどこが汚れてると?」
振り返ったハナさんはげんなりとした表情を俺に見せる。
ハナさん越しに見る床には、帰省の準備の際に引っ張り出したままの衣類が、いくつか無造作に散らばっている。
あとテーブルの上には
都内も暑い日が続いていたので、家の外の自販機で買ったスポドリのボトルだ。
「汚れてるじゃないですか。
「これで汚れていると。稔くん、もしかして潔癖症?」
「潔癖ではないと思いますけど、なるべく綺麗にするようには心がけてます。賃貸はいろいろ気を遣うので」
「うーん、
ハナさんの横を通り、部屋の中に入る。
スーツケースを適当に壁に寄せ、そういうもんですと適当に相槌を打ちながらペットボトルを拾う。
「あとモノが少ない気がします。
「ほかの単身現代っ子をよく知らないですが、こんなもんだと思いますよ。9畳あるので、余計モノが少なく見えるのかも。あとそれはパソコンです。不用意に弄らないように」
寝台に食台にと、微妙に古めかしい名詞を使うのがなんだか神様っぽい。
直前の制止を聞かず勝手にPCの電源を付けようとするハナさんの腕を掴みながら、もう片方の腕でエアコンのリモコンをデスクから拾い操作する。
「だーら弄るなっちゅーに。……ハナさん、窓開けてくれませんか。空気入れ替えましょう」
「ちっ、了解です。窓を開けるくらいイージーです」
舌打ちをして窓のほうへと歩いていく。
ていうか舌打ち……?
「稔くん、これどうやって開けるんですかー?」
ハナさんはカーテンを下から上にたくし上げようとしていた。
舌打ちしやがったよなコイツ……?
「ハナさん、それ
いろいろと教えることもありそうだし、ルールを決めなければならないな。
あと少々教育も必要かもな、とも思った。
―――――
「いやぁ、ホテルでも思いましたがエアコンってすごいですね。これさえあれば打ち水も火鉢も要らない。発明した人はさぞ讃えられたことでしょう」
「現代というかフローリングの打ち水と火鉢は狂気です、もう。日本もすっかり亜熱帯気候よりの土地になってるので、エアコン無いとやっていけませんねぇ」
換気を終えた部屋の空気は、割と最新型のエアコンが吐き出す快適な空気で満ちていた。
契約時から部屋に備え付けてあったものだが、以前住んでいた部屋の
2年契約も半分を過ぎて未だフィルターの掃除はしていないが、十二分に仕事をしてくれている。
せっせと部屋の冷却と除湿に
ちなみに気になったので、十分に充電したスマホで『エアコン 発明者』で検索してみる。
「ほー、エアコンって100年前くらいに出来たらしいです。大戦前からあったんだ。アメリカ人。流石に色々受賞なさっている」
受賞歴一覧に並ぶそれらはいまいちピンとこなかったが、適当に声に出す。
「アメリカですか。私も行ってみたいものです」
「東京来てその日にアメリカ行きたいと。ハナさんってそんなに旅好きなんですか?」
「どうなんでしょうねぇ。そもそも遠出自体がこれで初めてですから、好き嫌いの判断をするにはちょっと早いと思いますけど」
ベッドに腰掛けるハナさんが、天井を見上げながら答える。
「でも、少なくとも
外に出たことでボキャブラリーを破壊されたのだろうか。
「すごい、ですか。俺も最初はそう思ったかも。もう10年ぐらい前かぁ」
「お?古参アピールですか。言っておきますが同郷の時点でかっぺランクは同じくらいですからね!遅いか早いかの違いですから。やんのかオラ!」
ハナさんが急にファイティングポーズを取る。
「別にマウント取ってはいませんよ、なんでそんな喧嘩腰なんですか」
「ナチュラルに見下されてる感をひしひしと。都会のモンはいつもそうだ!シッ!」
「同郷だろうって言ったのハナさんでしょ!」
エアーでジャブを打つ目の前の女の言動は、めちゃくちゃだった。
この人、段々と面倒くさくなっている気がする。
「今に見ていなさい、私もすぐ東京に順応して見せましょう。エレベーターとエスカレーターの克服を足掛かりとします」
「あぁ、駅でビビってましたね。すぐ慣れますよ、あんなん」
「お?古参アピールですか?」
「デジャブ!」
中身のない、どうでもいい会話だった。
「ったく……。あぁ、腹減った。ハナさん、ご飯にしましょう」
「うむ、私もそう思っていたところです。駅弁も消化し終えた頃合いです。メニューはもちろんコンビニで買ったアレ、ですね?」
「えぇ、アレです。現代の魔法を見せて差しあげましょう。お湯沸かすので、ちょっと待っててください」
程よく休んだところで、食事にする。
帰路の中でハナさんに今晩何が食べたいか尋ねたところ、彼女は俺の得意料理を即答した。
安物のデスクチェアから立ち上がり、キッチンに向かう。
電子レンジの上に置かれたケトルへ多めに水を入れ、スイッチをオン。
これでほぼ終わりだ。
「私、普通のやつですからね!醤油味の方!」
部屋からハナさんが確認してくる。
「わかってますって。ハナさんは醤油、俺はシーフードね!」
俺は正直どちらでもいいが、彼女は『最初は一番メジャーな味から』と迷いなく醤油味を選んだ。
この辺は気が合いそうだった。
―――――
スマホのアラームが鳴り終わる前に止める。
「……うむ、ボチボチいいですよ。いただきましょう」
「ほわっは!やっと!3分が永遠に感じました。が、本当に3分で支度が済むんですね。魔法というのもあながち間違っていないです。では、いただきます!」
お湯の準備を入れても10分弱で、今宵の食卓は成った。
カップラーメン2人前、造作もない。
ベリベリと上蓋を剥がす。
「そういえば、ハナさんってラーメンは食べたことあるんですか?」
「いいえ、今日が初めてです。これ、最初出てきた時すっごい流行ったんですよ?皆こぞって食べていましたから、私も食べてみたかったんですよねぇ」
「あ、そうなんですか。熱いと思うので、フーフーしてくださいね」
ハナさんは割りばしを綺麗に割り、すりすりと手のひらを合わせている。
カップラーメン、初めてか。
そうだと知った途端、リアクションが気になった。
うま味の塊、現代科学の粋であるところのカップラーメンは、果たしてお気に召すだろうか。
箸で適当にシーフード味の中身をかき混ぜつつ、彼女の方を眺める。
ハナさんが箸で麺を持ち上げ、フーフーと冷ます。
そして、一口。
「………………」
静かに麺を咀嚼する彼女を、見守る。
さぁ、感想はいかに。
「……クッソうめぇですわ!」
ボキャブラリーに続き、キャラまで壊されたらしい。
俺も、伸びる前に食べきってしまわなければ。
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