7話 上京するって、本当ですか

「いやハナさん、一緒に行くって一体」

「よく考えたら私、それ……ご神体の欠片さえあれば稔くんの近くには存在出来るはずです。稔くんの力は稔くんが思っているよりずっと強くて、私の服装をポイと変えられるくらいに強く繋がっている今であれば、ここを離れても何ら問題はないはず」

「そう、なんですか……?いや上京って、住む場所とかどうするんですか。東京に身寄りでもいらっしゃるんですか?」

「あん?身寄りなぞ探せばいるでしょうが、それら世話になる気はありません。稔くんの家で厄介になるつもりですが、問題ありますか?」

「ええ……」


 大問題だ、どういう展開だ。

 昨晩知り合った彼女は、昨日の今日で俺との同棲を前提に共に東京へ行くと言い出した。

 いやいや、無理でしょう色々と。

 神様と同棲。

 よくわからない美人と同棲。

 他人と、同棲。


「問題、大有りですよ。俺の家って、1Kの狭い賃貸ですし。それに」

「そんなこと気にしませんよ。私は寝床さえ貸して頂ければそれで」

「そうですか。ってそうじゃなくて!」

「他に何か問題が?もしかしてご自宅には家族でも?」

「いえ、彼女も嫁も親も子供も居ませんが。そもそもハナさん女性でしょう!知り合ったばかりの男の家に転がり込むって、結構ヤバいと思うんですが?」

「……何を言うかと思えば、男だ女だなどと。その前に私、神様でしょう」

「そこでそのカード切りますか!」


 神様ならば問題はないらしい。

 どうやらこの切り口では彼女は引き離せないと見た。


「うーんと……そう、俺の家、俺単身として契約した賃貸マンションの一室です。勝手に同棲なんて始めたら、大家さんか不動産屋さんかが契約違反で追い出されるかも」

「いや、だから私神様じゃないですか。神を住まわせて何が問題なんでしょう?契約書には神を招き入れてはならないとも書いてあったんですか?」

「確実に書いてなかったとは思いますね!そんなスピリチュアルな文面見たら契約してないです!」

「ほら、問題なし。オールグリーン。なんなら集合住宅全体にご利益りやく振りかけてやりますよ。……多分出来ないけど」

「出来ないんだ……ちょっと期待しましたよ、座敷童みたいでスゲーって」


 賃貸契約違反を盾にした交渉、失敗。

 次、次の手だ……。


「お、俺の部屋は汚いですよ。もうゴミ屋敷と呼ぶにふさわしい内装を用意しております。神様をそんなところに住まわせるなんてとても」

「いいでしょう、部屋の掃除と洗濯、料理は私が担当します。居候いそうろう代として、微々たる労力をお納めしましょう」

「ありがたいけどそうじゃない……!」


 ダメだ、ハナさんの意志はカチコチだ。

 パニックで警報が鳴りまくる俺の脳みそでは、どうやっても説得が出来そうに無い。

 ちなみに俺の部屋はゴミ屋敷だというのは適当な嘘だった。

 とっさの嘘をご奉仕宣言でかわされてしまい、思考の乱れに拍車がかかる。


 落ち着け、俺。

 相手が神様だろうが、俺が誰かと一緒になんて暮らせるはずがない。

 

 一人以外で居られるはずが、ないんだ。

 どうすれば目の前の彼女のアプローチを撥ね退けることが出来るか。

 考えろ……理由……原因。

 そう、彼女が俺と共に来ようとする原因を、排除すればいいのだ。

 これさえ言ってしまえば。


「俺、東京に帰っても死にませんよ。ここで約束しますから、ですから」

「そんな口約束、信用出来ますか!ダメです、私はそれが一番心配だし嫌です。今あなたから目を離すのが、一番嫌なんです!」


 ……根本の解決を狙った薄っぺらい口約束は、言い切る事すら出来なかった。

 今まで聞いた中で一番大きな声だった。


「稔くんは、すぐに消えてしまいそうな感じがしますから。私から見れば、あなたはあなたが思っているより危なっかしいです。昨日出会った時からずっと白い顔をして、からっぽの目で、掠れた声で。明日を生きようなんて、これっぽっちも考えてないでしょう!」

「昨日はともかく今日だって、時間がなかったといえばそうですが、あれの理由には触れませんでしたね。話しにくいとか話せないのはわかりますけど、まずそうやって溜めこむ癖がある人っていうのはわかりました。この悪癖もその一因なのでしょうね」

「そんな不純物パンパンで爆発寸前の稔くんなんか、放っておけません。ここでサヨナラなんて、私嫌です。この先の稔くんの結末に関わらず、今私が後悔する。こんなでも、私は神様ですから。私の手が届く限り、救える命は救いたい、導ける魂は導きたい。人に、寄り添える神でありたい。私はそうあるように生み出されたし、そうありたい。稔くんの為になるかはわかりませんけど、これは私の為でもあるのです。そう、私の存在理由の証明です!」

「だから、諦めて下さい。私は一緒に行きます、私がついてます。あなたは私が、きっちり救います。……ほら、都合のいい守護霊にでも憑りつかれたと思って。稔くんがもう自殺なんて考えないらい、幸せにしちゃりますから」


 彼女の言葉は、洪水のようだった。

 だがその勢いに反して、俺は心に沁みていくような優しさを感じていた。

 俺の為ではなく私の為と彼女は言ったし、これは俺の自意識が過剰なのかもしれないが。

 ここまで人に心配をしてもらえるのは、いつ以来だろうか。

 こんなに自分のことを必死に思ってくれる人は、今まで居ただろうか。

 甘く胸を満たす感情に名前が付けられない。

 これをなんと呼べば良いのだろうか。

 ……あぁ、これは、そうか。

 俺は今、嬉しいんだ。

 ハナさんが俺を見てくれていることが、嬉しいんだ。

 自然と込み上げそうになる涙を喉の根本で引っ込めて、小さい子供のようなちゃちな自己肯定感で緩みそうになる顔を奥歯で縫い留めて、返すセリフを纏められない脳みそを振り絞って、ようやく口を開く。


「……セリフが男前すぎますよ。憑りつくって、やっぱり神様じゃなくて幽霊なんですか?それに俺に憑りつくなら、恰好を元の白装束に戻したほうがいいんじゃないですか。いまなら三角の頭巾も付けますよ」

「もののたとえじゃい!私神ですからね!そしてそんなステレオタイプな幽霊のコスプレなんかしません!」


 ありがたい言葉への返答とは思えないくらいの悪態だった。

 だが彼女はしっかりと受け止めて、返してくれる。

 つくづくノリのいい神様だ。

 この人と、この神様と話すのは、楽しい。


「冗談です。今のワンピのが綺麗ですし、着替える必要もないでしょうし。……そうですね、理由、ハナさんの言う通り、今は言いたくないんです。色々整理を付けないと俺自身も言葉に出来なさそうだし、言えないというのもあながち間違いじゃないかも」

「であれば、私は待ちましょう。今は時間が無いけれど、東京むこうに行ってさえしまえば時間はありますからね」


 やはり彼女は、揺るぎなかった。

 待つとも、はっきり言ってくれた。

 ……ここまで言われちゃあ、もういいか。

 それに、ハナさんなら。


「わかりました、俺の負けです。一緒に行きましょう、東京」

「ふふん、よろしい。ではパッパと駅に行きましょう。新幹線まで時間が無いんですよね?あ、あと私も新幹線乗ってみたいです。姿を消せば無賃乗車も可能ですけど、せっかくだし」


 かくして、俺は同居人を得たのである。

 そして目下の目標は、その人と東京に戻る事だった。


「下山と新幹線、了解です。隣の席空いてるかわからないので駅で確認しないとだし、さっさと行きますか。ハナさんはもう発てますか?」

「私は今すぐにでも……っと、やっぱりちょっとだけ時間を下さい」


 そう言ってハナさんはこの山頂の東屋から一望できる町を、愛おしそうに眺めた。

 故郷との別れを惜しんでいるのだろうか。

 子を見つめる母のような、慈悲に満ちたまなざしだった。


「そういえばハナさん、この土地を離れることは問題ないんですか?」


 彼女に問う。

 ここを離れることは出来るとは言っていたが、それ自体に問題はないんだろうか。


「あぁ、留守にすることは問題ないです。ほら、向こうの山の奥に立派な神社があるのは知ってますか?」


 彼女は東屋から一望出来る町の、さらに向こう側の山を指さす。

 立派な神社、そういえばあったような、なかったような。


「あまり記憶にないですが、あったかも。その神社がどうしたんですか?」

「私、もともとは向こうの神社からの分け御霊みたまなんです。大昔の話ですけどね」

「分け御霊ですか。すみません、あまり詳しくなくて」

「お気になさらず。まぁ、あっちの神社の神様から枝分かれした神が私だと思って下さい。で、見ての通り今私の社はあんなんでしょう」


 続いて彼女は山の中の祠の方向を指した。

 その、なんというか、祠の佇まいの事を言っているのだろうか。


「あんなんというと、俺は何とも言えませんけど」

「ふふ、稔くんは優しいですね。端的に言うと、私にはもうずっと参拝者は居ないんです。それでもこの土地は自立して、健やかに営みを続けている」

「と、いうと」

「私はもう、とっくに役目を終えているんです。だから、ここを去っても何ら問題はないんです」


 彼女は少し眉を寄せながら、少しぎこちなく笑った。

 無理に作ったのが簡単にわかる、どうしようもなくて張り付けた笑顔だった。


「私は神様といえど木っ端のものですしね。仮に何かがこの土地で起こったとしても、むこうのホンモノがなんとかしてくれますよ、きっと」

「そういう、もんですか」

「そういうもんです。……さて、惜別もここまで。行きましょうか、駅」


 先程までの表情はどこへやら、ハナさんはすぐにいつもの調子に戻った。


「っひょー!念願の東京じゃい!めっちゃ高い電波塔とかタケシタドーリ?とか、行ってみたかったんですよねぇ!」

「ハナさん、もしかしてさっきのは建前で目的は観光ですか?」

「……ご冗談を。あくまで観光はついでですよ?本当ですからね?」


 彼女の目が泳ぐ。

 マジで観光だけが目的だったら、コイツどうしてくれようか。

 

 下手くそな口笛まで吹き始めた彼女と共に、俺達は足早に山を下りていくのだった。

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