5話 コーヒーを君と

「ふぅ、頂きました。久々のお風呂、良きかなよきかな。あ、久々というのは現世でってことですよ?そもそも神様、常に清潔」

「それはようございました」


 ひとっ風呂浴びた白装束が、バスタオルを肩に掛けご満悦な表情で脱衣所から出てきた。

 ちょっと呆れながらも、彼女の帰還宣言に言葉を返す。


 ……ちなみにシャワーの温度は、彼女の悲鳴の直後俺がバスルームへ突入エントリーして解決した。

 ユニットバスのカーテン越しの彼女は、予想以下の水温に体と頭を硬直させてシャワーを受け止め続けていた。

 こちらからだとシルエットしか見えなかったことも相まって、かなり妙な絵面だった。

 カーテンがしっかりと閉まっていたのは、俺からするとありがたいことだったが。

 てか、シャワーのいじり方がわからないなら変な見栄を張らず先に言って欲しかったんですが!


 不満はさておき、カーテンから片手を突っ込みスマートに温度を調節。

 腕に注ぐ飛沫が心地よくなったあたりで手を引っ込め、無言で戦線を離脱。

 しばらくすると、硬直が解けたのか再起動してシャワーを堪能しているのであろう、ザバザバという音が聞こえてきた。

 電撃の人命救助ならぬ神命じんめい救助作戦、これにて完。

 今に至る。


「コーヒー、淹れておきましたよ。ブラック……砂糖とミルク、要りますか?」


 彼女がシャワーを浴び終えるであろうタイミングをなんとなく見計らって、俺はコーヒーのドリップを済ませておいた。

 予想より彼女シャワーの時間が長かったので、部屋のエアコンの涼しさで淹れたての熱さではなくなっていたが。


「おお、ありがとうございます。どれ、まずはそのまま頂いてみましょうか」


 差し出した紙コップを受け取りながらの返事は、ブラックで挑戦とのことだった。

 そういえば、コーヒーは飲んだことがないみたいなこと言ってたっけ。

 どんな反応をするか少し気になり、そのまま彼女の様子を見守る。

 少し口をすぼめてコップを口につけ、彼女はそれをゆっくりと傾けた。


「ンあちっ!」


 彼女はコップを口から遠ざけ、ヒーと舌を小さく出した。

 そんなに熱かっただろうかと、俺も自分用に入れたコーヒーを同じくブラックのまま啜ってみる。

 ……個人的には程よい熱さだった。

 ハナさん、どうやら少し猫舌気味らしい。


「少し冷ましながら飲んでください。フーフーして」


 顔をしかめながら、コーヒーを冷ます彼女。

 引き続きコーヒーを啜りながら、その様子をぼんやりと見ていた。


 昨夜今朝は色々あってざっくりな印象だったが、改めて見るとやはり彼女は綺麗だった。

 大まかな容姿の特徴の印象は変わらないが、今は日も出ていて明るいので彼女のことが良く見える。

 目の色は彼女の髪と同じく、濡れたからすのような艶やかな黒だ。

 こちらが吸い込まれていきそうなほどの深さと、はっきりとそこにあるという存在感の強さが同居している。

 白い頬は風呂上りで少し上気しているのか、薄くチークを施したかのようにほんのりと暖色だ。

 折れそうな細い方からはすらりと長い腕が伸びていて、白魚のような指先が今はコップを支えている。

 胸は……見ないみない。

 そのまま腰、いかんいかん。

 脚、長い。

 朝から……ではなくともこれ以上はいけない、と自戒しコーヒーを少しだけ多く口に含む。

 こんな品評みたいな目線は、失礼にあたると思ったからだ。


「……おー。これは以外と、イケますね。たまに散歩してるとき駅前の喫茶店を外から覗き見てましたが、はたからは『へぁー泥水ばっちいの啜ってるぅ』と思ってました」

「見た目、真っ黒ですからね。たまに喫茶店覗いてたって、今みたいに地上に降りてですか?」

「いえ、本来の姿でふらっと。今とは違ってが違うので人々には見えないし、こちらから干渉も出来ませんけどね」


 ようやく適温になったのか、彼女はコーヒーの感想をくれた。

 先程の猫舌リアクションからもしやと思っていたが、意外と子供舌ではないようだ。

 そして彼女は、たまにこの辺りを散歩をしているらしい。


「散歩ですか。あ、ちなみにハナさんが普通に横文字使ったり妙に現代事情に詳しいのも」

「普通だの妙だのと、あまりバカにしないで頂きたい!……ですが、多分稔くんの想像通りですよ。たまの散歩だって長いこと続けていると、人の世にも詳しくなるってもんです」


 ずっとひとりで山の上というのも退屈ですしね、と彼女は呟いた。

 コップの中身をじっと見つめる彼女の瞳は、どこか遠くを見ているように見えた。

 そうですか、と俺も呟き、その後お互い無言で残りのコーヒーを飲み干して、お茶会は終わった。




―――――




「ごちそうさまでした。さ、昨日の続きのお話をしましょうか」

「お粗末様でした。そして昨日の続き了解です、と言いたいところなのですが、いくつかお願いすることがあります」


 彼女の切り出しに、俺はあらかじめ伝えようと思っていたことを話す。


「はい?なんでしょうか」

「まずは、午前中のうちにもう一度ハナさんの祠……山に行きたいんですがいいですか?というのも、昨夜忘れ物をしてきてしまいまして」

「おやおや、がってんです。ちなみに何を置いてきたの?」

「スマホです。ハナさんと会う前あの木の近くに放り投げて、そのまま山に置き去りです」

「あのハイテクな板切れね。ていうかなんで捨ててきちゃったのよ」

「はは、もう必要ないと思ったものでしたから」


 そう、とりあえずスマホを回収しに行きたい。

 置き去りにしてきたことは今朝シャワーを浴びているときに気付いたのだが、夏の日差しのもと野ざらしにしておくと、爆発とかしそうで怖い。

 下手すれば山火事の原因なんかにもなりうる。


「えーと、今九時前か。すぐにでも行きたいんですが、いいですか?」

「構いませんが、ずいぶんと急ぐのですね。もしかしてスマホ依存症ってやつ?」

「違います、本当に妙なこと知ってますね。……あともうひとつ、お伝えすることが」


 身支度を始めながら、俺は彼女に告げた。




「俺、今日の午後の新幹線で東京に帰らなきゃなんですが、本件どうしましょうか?」

「……マジですか」




 そう、俺は東京の会社に勤めるサラリーマンで、ここは実家がある故郷。

 実家を片付けやることを終えた、そしてハナさんに出会ったことで人生は終えられず簡単に終えることも出来なくなった俺は。

 当初の予定の通り、東京に帰らねばならないのである。

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