3話 また明日
「返事ヨシ、感度良好。水、ごめんなさいね?」
「構いませんよ。ゴミはこっちで回収しますから、それ寄こしてもらえますか」
山の主を目の前にゴミのポイ捨ては、さらに不敬を重ねそうだ。
彼女に空のペットボトルを渡すようお願いする。
これも神頼みというのだろうか。
彼女は足元のペットボトルを拾い上げありがと、とこちらに礼を言いながら差し出した。
手渡されたそれをとりあえずバッグに仕舞い込み、再度彼女へと顔を向ける。
「まず、ハナさんの家。祠の上に昇ったりして済みませんでした」
改まって、眼前におわす神様へと頭を下げた。
「あの世で怒られるかなとは思ったんですが、まさかこうしてお会いするとは思いませんでした……天罰とかあるようなら、ズドンと執行して頂いても」
「はい、よろしい。ちゃんとごめんなさい出来るのはいいことです」
「……お
「はい?」
頭を下げたまま、上目で彼女を見る。
「あっは、そんなもん無いですよ。人の子に手を下すなど、私はしません。元々私は豊穣その他を請われて生まれた存在ですし、
「……そうですか。とにかく、本当にすみませんでした」
「うむ。でも重要なのは、どちらかというとそっちでありません」
「というと、死のうとしたことの方でしょうか」
「そうです。どう考えてもそっちのが重いでしょうが!」
面を上げようと思ったが、彼女の声量を前に体が強張った。
再度視線を下に落とす。
「まったく……場所がここだったから、という問題ではありませんよ」
「未遂の行為そのものに関して、でしょうか」
「ええ。まったく、自ら命を断とうなどと。稔くん、まだ若いでしょうに」
「もう若くはないです。現代で27歳は、オッサン一歩手前かも」
「にじゅうなな!っかぁーこの
時代劇みたいな
つくづく引き出しの多い神様だ。
「あと私から話しておいてなんですが、歳がどうこうでもありません。……人の子よ、私はあなたにその生を
不思議と、力を感じる言葉だった。
思わず顔を上げると、彼女は真剣な面持ちでまっすぐと俺の目を見ていた。
「何があっても、その生を謳歌して欲しいのです」
神様の、切なる願いだった。
「私は長いことこの土地を、人を見守ってきました。でも、ほとんどは見守るだけでした。神に出来ることなど、たかが知れているのです」
「ですがその中で人の世を、営みを、その足跡を余すことなく見てきました。見せつけられました」
「あなたたち人の一生を、私は知っています。その
「なればこそ、犬飼稔。あなたにもあなたの鮮烈な生の輝きを、その終わりまで私に、世界に見せてあげて欲しいのです」
「自ら輝きを曇らせる、ましてや消すようなことなど、しないで欲しいのです」
慈愛が耳を通して心臓に降り注ぐ。
目は、彼女から話せなかった。
「……はい」
思わず頷く。
何故か、そうする他なかった。
「返事、ヨシ。……ふぁ」
微笑を浮かべながら満足気に頷いた彼女の口が、突然大きく開いた。
……どうやら、あくびのようだった。
「失礼、久しぶりのお話だったので正直疲れました。神様、眠いです。続きは明日でもいい?」
「あ、はい。もう夜ですしね。明日……明日。続きがあるんですか?」
「あたりまえでしょう!私は言いたいことをあらかた言いましたが、肝心なあなたのこと、全然でしょう。本題に入れませんでした」
彼女は両手を上げうーんと背伸びをすると、しぱしぱと
「なので明日、改めてお話をしましょう。朝、私からまた会いに行きます。ちょっと待ってて」
俺の返事を待たず、彼女は腰を上げふわりと宙に浮き、森の闇へと溶けて行った。
明日もお話。
あれ、明日って確か……?
「おまたー。稔くん、これをあなたに授けます」
明日の予定を思い出す間もなく、彼女は戻ってきた。
俺に向かって右手を差し出している。
両手を皿にして差し出すと、ポトリと石の欠片が落ちてきた。
形はどこか、動物の耳のようにも見える。
「ハナさん、これは?」
「私の本体の欠片です。決してなくさないように。これがあれば、また会えます」
まさかのご
「すごく大事なものじゃないですか!……ちなみに失くしたら」
「祟ります。捨てても追いかけて祟ります。具体的には死なない程度に、ひどいことをします。もちろん死のうとしても同じです」
呪いの装備かな?
というか、人の子に手下せそうじゃないですか。
「だから決して捨てたりしないように。約束ですよ。また明日」
突っ込む間もなく、一方的に約束は交わされた。
……いや、もういいや。
「はい、わかりました。また明日」
「よろしい。それでは私は先に寝ます。呼んでくれたら答えますので、お気軽に。熟睡してなければですけど。夜道には気を付けてお帰りなさいな。おやすみなさい」
「ありがとうございます、おやすみなさい。……ハナさんそういえば寝るって一体どこで」
俺の問いかけに答えることなく、彼女のそこから姿は消えていた。
ついさっき、俺が消した時のように。
狐に化かされたかのような感覚に肝が冷える。
先程までの賑やかさを失い、景色が
「……ハナさん?」
思わず呼びかけてしまったが、返事はない。
「ハナさん」
同じく、無音。
何故だか無性に寂しくて、彼女の声が聴きたくて、もう一度名を呼ぼうとしたその時、耳元ではなく頭の中で音が響いた。
…………んごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…………すぴー…………
……あ、ハナさん寝てる。
聴こえるというより感じる音に違和感を覚えながらも、瞬時に理解した。
思いっきりいびきだ。
ていうかあの神様、頭に直接……!
世のお父さんも
また明日、か。
椅子から立ち上がり伸びをする。
すっかり夜の帳は降りきり、名も知らぬ星々が空に踊っていた。
俺も一度、返って寝よう。死のうにも死ねなくなったし。
ハナさんから託されたご神体をバッグに仕舞い、帰路に着くのだった。
…………んごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…………んがっ…………
いびき、うるさっ。
―――――
デジタルアラームの無機質な音で、意識が輪郭を取り戻していく。
今日の自分が形成されていく中で、ぼんやりと昨日の事を思い出していた。
自殺未遂。
神様だと名乗った女、ハナ。
彼女と話して、驚いて、話して、分かれて……。
つまらない音色を奏でる主をボタンで制し、ゆっくりと目を開ける。
街中のビジネスホテルの小綺麗な天井だった。
昨日完全に実家とはお別れしたので、昨晩は宿を取っていたのだ。
ぽつぽつと山道の道脇に立つ街灯の明かりを頼りに夜の山を下りるのは骨だったが、クタクタの身体で何とかホテルにたどり着きシャワーを浴びベッドにダイブ、そこまでが昨日のあらすじ。
さて、今日はどうするんだっけ。
そう、彼女と約束したのだった。
朝ハナさんの方から会いに来ると言っていたことを思い出し、先程止めたアラームを見る。
時計は7時ぐらいを表示していた。
時間の指定はなかったし、ボチボチ起きておくのが吉だろうか。
そして本当に、彼女は会いに来るのだろうか。
昨日の出来事は、本当だったのだろうか。
寝ぼけ頭に思考のエサを与えながら起き上がろうとしたとき、投げ出していた左腕に掛かる妙な重量を知覚した。
上体よりもシーツと仲良しさんの左腕を見ると、
「…………んぅ…………」
昨日出会った白装束の神様、ハナさんが俺の腕を枕に寝ていた。
……白装束ではなく、何故か一糸まとわぬ姿で、だ。
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