2話 水だけのお茶会

「そんなことはァ、」


 彼女……ハナは一つタメを作った後、




「どうでもいいんじゃあああああい!」


 爆発した。


―――――


「あそこ、私の祠!私の家!それに違いはありません!」

「この夏の良き日に!久しぶりに人の気配を感じて!」

「まだまだ信心深い者もおるもんじゃ、とか感心してたのに!」

「ちょっと挨拶したと思ったら人……私んチに足かけて!」

「そのまま登って自殺の用意!」

「そしてあれよあれよと宙ぶらりん一歩手前!」

「神様めちゃくちゃ!ビビったのですが!」


 そして、止まらなかった。


「ありえないんですけど!ありえないよね!」

「来客の目的がここで死ぬためって!」

「『コンコン、こんばんは、突然ですが僕ここで死にますね~』って!」

「いや怖いよ!テロかな!」

「家の敷地内に死体ぶら下がってたら誰だって怖いでしょう!」

「それを想像して、神様本当に!ビビったのですが!」


 怒涛どとう罵倒ばとうだった。

 ノックからの子芝居は俺の声真似だったのだろうか。

 息が切れるほどの剣幕だったが、一旦言い終えたらしい。

 少しの間ハナは息を整えて、


「というわけで、私は私んチの景観と衛生を守るために、きみに声を掛けたのです」


 俺にパスを出した。

 つまり俺は、あの世で食らうかもと思っていた神様のお叱りを今受けているわけだ。


「なるほど。これは大変失礼しました」

「ほんとだよ。私がどれほど焦ってこっちに出てきたと思います?」

「そうですよね。僕も、自分の家で他人の死体は見たくないです」

「そうです。気づいたら自分の家に見知らぬ死体とか、ホラーでしょう」


 ホラーというよりミステリーやサスペンスドラマの導入みたい。

 これは言わずに飲み込んだ。


「あぁ、なんだかどっと疲れました。何か飲み物持ってない?」

「飲み物、バッグに入ってるかも。少々お待ちを」


 ハナに問われ、先程回収したバッグを再び開け中を漁る。

 突っ込んだ指先が、べコリと何かをへこませた。

 そういえば、日中に自販機で買ったものが残っていたか。


「お、水であればあります。僕の飲みさしですが」

「ありがたい!一口下さいな」


 腕を伸ばしてきた彼女の手にペットボトルを渡す。

 受け取ったハナはキャップを回し、躊躇ためらいもなくゴクゴクと水を飲む。


「……ふぅー、美味しい。ありがとう、生き返りま」


 彼女は俺に謝意を述べきるすんでで言葉を止め、




「……美味しい……?」


 何故か首を傾げた。


「あれ、不味かったですか?日中は普通の冷えた水でしたが」

「いえ、お水は美味しいです。ありがとうございます。でも……」


 水に問題はなかったようだが、なんだろうか。


「私今、普通に水を飲んでましたよね?」

「はい、飲んでましたね」

「ふむ。ちなみに稔くん、私の声は聴こえてますよね」

「ええ、ばっちり聞こえています」

「私の姿は見えていますか?」

「もちろん。やっぱりからかっているんですか」

「ほーん。であれば……少し失礼」


 何かの確認をしていると思われる会話の中、彼女は突然手を伸ばし。

 その長く白い指が、何故か俺の頬に触れた。


「っちょ!なんですかいきなり!」


 突然の接触に驚き、隣に座る彼女とは逆の方向に上体を引く。

 だが一度離れた彼女の指は、再度俺の顔を追いかけてきた。

 指先でつんつんと、指の腹でついと、手のひらでそっと。

 彼女の手が俺の顔で踊る。

 指先は、少しだけ冷たかった。


「だから失礼と断ったじゃない。……私今、あなたの肌に触れてますよね?」

「触ってます、触りまくってます。なんなんですか一体?」

「いえ、ちょっと確認を。……そういえばコレもフツーに持ってるわね」


 今度は腕を引っ込め、ペットボトルを両手でペコペコしている。

 なんだなんだ、何の確認なのだ?


「うーん。なるほど。ところで稔くん。あなたの家族に第六感が強かった人はいる?」


 何かに納得した様子だが、さらに俺への質問は続く。


「覚えは、ないですね、おふくろはどうだったか正直わかりませんが、俺は全く」

「そうですか。他の血縁、親戚の方々や父君は?」

「いえ、親戚付き合いはなかったのでわかりません」

「お父さんは?」

「……親戚と同じく、です。なんなら顔も知りません」

「……そうですか」


 彼女の質問はここで終わった。

 様子を見るに、少し消化不良なようだった。

 わからない、ばかリの回答で少し申し訳ない。


「オーケーです。とにかく、現状を整理したので共有します」

「なんだかわからないけど、教えて下さい」


 何らかの回答が出たらしい。

 彼女の手指の感覚を隅に追いやり、俺は尋ねた。


「神様、受肉してますね。こんなのいつぶりでしょう」


―――――


「受肉、というと……この世に具現化してるってことですか?」

「大体そんな感じです。詳しい説明はしませんが、とても珍しい状態ですね」

「そうなんですか。で、さっきの僕の家族に関する質問は一体?」

「あ、あれはの確認ですね」


 外部要因とは、と返す前に彼女が続ける。


「私がなるのにはも必要なのですが、あなたにその力がある可能性を探ったわけです」

「でも俺の答えでは何もわからなかったんじゃあ」

「ええ、ですが『あなたは何も知らない』ということはわかりました。きっとあなたの知らない血縁に力の強い方がいたのでしょう」

「力って……さっぱり何のことだか」

「現代ではそんなもんですよ。血と家と人が時を経て交わって消えて広がって、その末が今のあなたってだけです」


 正直さっぱりだ。


「で、今私はあなたのを頼りに存在している。のだと思います」

「ピント、というと?」

「焦点ですね。血筋に素養のある稔くんが、偶然私の声を耳で拾って、目が私に焦点を合わせた。その座標に像を結んで私が降り立って、今もその状態ってことです」

「俺の感覚を頼りに今あなたがいる、ってことですか?」

「イエス。稔くん、試しに『私を見たくない』と思ってみてください」


 引き続きさっぱりだったが、彼女の言葉に従ってみる。

 彼女の顔を見つめたまま、胸の内で反芻はんすうする。

 こんなのありえない、ハナさんは存在しない。

 




 瞬間、目の前の白装束が消えた。


「あれ?」


 唐突に、などという感覚ではなかった。

 アニメーションの途中のが抜けたかのように、彼女はそこから消えていた。

 持ち主を失ったペットボトルが、残り少ない中身を床にぶちまけている。

 穏やかな風に揺らぐ辺りの葉音が、先程までより大きく聞こえた。


「ハナさん?」


 声を掛けてみる。

 返事は、ない。

 再度呼びかけるも、答える声はなかった。

 静けさが、ここに独りだけの俺の心を絞めつけていく。

 怖いのだろうか、と一瞬思ったが、首を振った。

 これはきっと、のだと。

 ……そうだ、今度は逆を行えばいい。

 目を閉じ、心の中で唱える。

 




「いやぁ、ものすごい否定でしたね。私からの干渉が全部弾かれてました」


 目を開けると、彼女は当たり前のようにそこにいた。

 が飛ぶ前と同じく、元居た場所に座っている。


「やはり稔くんがアンカーですね。自覚は無いようですが、なかなかの力量です」


 御見おみそれしました、と彼女は笑った。


「あ、お水こぼしちゃいましたね。ごめんなさい」

「……」

「ていうか、どうせならこのお水をお供えしてくれればよかったのに……稔くん?」

「……」

「おーい、聞こえてます?もしかして接続不良?」

「……ははっ」


 思わず笑いが漏れた。

 これはすごいことになった。

 まだまだ訊きたいことはたくさんあるし、俺の頭がおかしくなっただけの可能性はあるけれど。

 

「すみません、聞こえてますよ。もっとお話ししましょう、ハナさん」


 目の前の彼女は、やっぱり神様なのかも知れない。

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