1章

1話 神様を名乗る白装束

「神様です。そこの祠の」


 彼女は得意げにでもなく、ニュートラルな態度と凛とした通る声で言い放った。

 ……これは……失敗だっただろうか。


―――――


 普通に、信じられない。

 よくよく考えてみれば、いやそんなに考えなくても、この状況はおかしい。


 目の前のハナと名乗った女、まず白装束だ。

 透き通るような白い肌に黒くつややかな髪という本人の持つトラディショナルな和風美人っぷりとセットで見れば、とっても似合っている。

 なんなら神というより幽霊っぽい。

 ちょっと怖い。

 が、現代日本で普段着としてこれを身にまとう人はいるのだろうか?

 いや神職しんしょくの方々はそりゃあ着るだろうけれど、そういう身分の人であれば絶対に自分を神とはかたらないだろう。


 そしてもちろん俺は生まれてこの方、神を見たことなど無い。

 心霊のたぐいにはこれっぽっちも縁がなかったはずだ。


 それと彼女は……一体どこから現れた?

 いつから俺を見ていたのだ?

 ここまでの道中で見かけた記憶はないが、まさか神様らしく空から降りてきたとでもいうのだろうか。

 単純にこの夏の熱さで頭がヤラれたイカれ美人か……?


 ついさっきまで空っぽだった頭の中が、瞬時に氾濫はんらんする。

 一旦諸々の疑問を片隅に追いやり、ずばり訊くべきことを訊いた。




「……あの、もしかして僕、からかわれてますか……?」

「いいえ、決してからかってなどいません。私は神様です。」


 辺りの蝉の大合唱を貫くように、彼女は胸を張り言い切った。

 念のための確認だったが、やはり神らしい。

 ……あ、もしかして。


「なるほど。それじゃこれは夢ですね?僕は既に自殺を決行していて、もがき苦しみながらこの夢を見ている」

「いいえ、違います。ここは現世うつしよです。あなたは生きていて、むしろ私がに来ているのです」


 そして別に私は幽世かくりよから来たわけではないけれど、と答えに補足する彼女。

 相槌あいづちを打つように、回りの木々が風に揺れる。

 これは現実世界で起こっているらしい。

 左手首を右手で握ってみるが、確かに脈はある。


「……神様、ですか」

「はい、神様です。……まぁ最近の子はあんまり信じてくれないと思うので、ここでひとつ」


 彼女は眼を閉じ手を合わせ、


「神様パワーを、お見せしましょう」


 と言った。

 瞬間だった。




 全ての音が、消えた。

 草木のざわめきも、蝉たちの交響曲も、この山のすべての音が、消えたのだ。




「……な……?」


 突然訪れた静寂に、理解が追い付かなかった。

 非現実の中、辺りを見回す。

 心臓の鼓動がうるさい。

 無意識に後退あとずさりしたのか、俺の足に踏まれる草の悲鳴がガサリ、と聞こえた。

 日中の熱さを昨日へと運ぶ風も、完全に止んでいる。

 山に、凪が訪れたようだった。




 時間にして何秒だったのかはわからなかった。

 彼女がゆっくりと大きな目を開け切った時、世界は再び動き出した。

 自然な、自然の音が返ってきた。


「これで信じてもらえたかな?犬飼稔くん」


 元に戻った世界の中心から、彼女はしたり顔で見つめてくる。

 こちらは茫然ぼうぜん、パンク寸前である。


「……いや、今のは一体」

「今風に言うなら神様パワーです。すごいでしょう!」

「この山に一瞬お願いしただけだけどね。みんなストーップ、って」

「山にお願い、ですか」

「そ。もうちょっと前までならもうちょっとすごいことが出来たかもだけど、こんなもんでしょう」


 したり顔の鼻が伸びていくように、彼女は自慢げだ。


 ……ダメだ、全くわからない。

 本当に彼女は神様だというのだろうか。

 先程の超常現象は本当に『神様パワー』の成した事なのだろうか。

 偶々たまたま偶然だったりはしないだろうか。

 風が止んで全ての蝉が泣き止むタイミングで見せた演出なのでは?

 いやいや、それこそありえないか……。


「おーい。犬飼くんや。聞こえてますかー。この指何本かなー?」


 こちらの混乱など気にも留めず、彼女は俺の目の前で背伸びをして指を振っている。

 右手の指で3本です。あと顔が近い。

 

「おーい……あぁ!こうするのが一番手っ取り早かったかも」


 何に合点がいったんですか、どうするのが、と尋ねる前に、


「ね、これならわかるでしょう」


 彼女が、宙に浮いていた。




「……あー……」

 これは、神様かも。


―――――


「これは人の子では出来ないでしょう。ほれほれ」


 彼女が、蝶のように宙を舞う。

 重力など完全無視で、左右に揺れながらくるくると体を回して見せた。

 ……もう、考えるのもアホらしい。

 神様ではなく幽霊の可能性もあるだろう、と一瞬考えたが、比較対象がそこまで来たならばもう一緒だ。

 オカルト。

 きっと彼女は、神様だ。

 そうでなければ、彼女ではなく俺の頭がおかしくなっているのだろう。


「……わかりました。神様のハナさん、ですね。」

「わかればよろしい。以外と素直に信じてくれて、神様嬉しいです」

「まさか神様に会える日が来るなんて、思ってもみませんでした」

「んもぉーおべっかはおよしなさいな!照れるわぁ」


 ふわふわと宙に浮きながら手を口に当てオホホ、などと笑っている。


「さ。自己紹介が終わったところで、場所を変えましょう」

「わかりました。僕も立ち疲れたので、とりあえずそこの東屋まで」

「よろしい。足元、気を付けてね」


 場所を移すことにする。

 暗い足元に目を凝らしながら、来た道を戻る。

 先導する彼女は宙を滑っていく。

 あれだと足元は関係ないのだろう。足はあるけど。


―――――


 ものの数分で、森を抜け東屋まで戻ってきていた。

 古びた街灯のどこかボケた明かりが、暗さに慣れた目を焼く。


「到着。ひとまず、お疲れ様でした。ささ、お座りなすって」


 促されるままに、俺は東屋の椅子に腰かけた。

 椅子に体重を預ける快感に体が足を延ばすと、つま先が何かに触れる。

 俺のバッグだった。

 森に入る前ネクタイを取り出して、ここに置いてけぼりだったか。

 腕を伸ばしてハンドルを掴み、膝の上に乗せる。

 空いたままだったポケットのファスナーを閉めたところで、彼女がふわりと俺の隣に腰を下ろした。


「夏の風は気持ちがいいねぇ」

「そうでしょうか。ぬるい風を気味悪がる人も居るそうですが」

「あー、言われてみれば生き物の息吹に感じなくもない、かも」


 そう考えるとなんだか怖いねぇ、と彼女は呟いた。

 少しの静寂の後、夏の夜の会話が始まる。


「さて、犬飼稔くん」

「はい、神様」

「あー、神様はやめよう。私のことはハナと呼んで」

「はい、ハナさん。僕のことは犬飼でも、稔でも」

「さん……まぁいいか。よろしい、稔くん。話してごらん」

「はい、ハナさん。何からお話しましょうか」

「それはもう、決まっているでしょう」

「はい、なんでしょう」


 彼女は下を向きふぅと一息ついた後、顔を上げて最初の話題を提示した。


「人んチ勝手に乗り上げて首を吊ろうとしたワケを、ね」


 笑みを浮かべる彼女の額には、同時に青筋も立っているように見えた。

 ……あぁ、そういう解釈になるのか。

 この人が本当にあの祠の神様だとしたら。

 得も言われぬ迫力を感じながら、とりあえず流すことにする。


「ハナさん、神様なので人んチじゃなくて神様んチというべきでは?」




 人生最初で最後の、神様サ店ナンパが始まる。

 ちなみにお茶は無い。

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