死のうとしたら、神様と暮らすことになった件。

久省 肇

プロローグ

0話 神様と俺

 せみのうるさい、夏の日だった。

 最期には良い日だと思った。


 実際天気も体調も気分も良くこれは役満といった具合で、今日ならばあと腐れ無くこの世とお別れできそうだな、とふと思い立ったのが今日の朝。

 主を失った実家の後片付けを全て終え、昼食にと入った商店街のラーメン屋で既に味も思い出せない冷やし中華をすすり終えるころには、腹は決まっていた。


―――――


 商店街を出てかつて通学路だった道を散歩しながら、方法と場所について考える。

 方法は……首吊りでいいだろう。

 というのも、バッグに突っ込んであるネクタイぐらいしか死ねそうな道具がなかったからだ。

 ネクタイでの首吊り。

 現代人らしさ全開で風情ふぜいもへったくれもないが、しょうがない。


 方法が決まったところでいつの間にか元通学路を歩き終え、『午前中まで実家だった家屋』まで戻ってきてしまった。


 改めて見ても、小さな家だった。

 木造の平屋で2DK、築何年かなんて訊く必要もないくらいの佇まいだ。

 午前中に不動産と解約の手続きを済ませたが、新たな借り手は付くだろうか。

 それとも取り壊され生まれ変わるのだろうか。


 などと実家だったものをぼんやりと眺めていたところ、家のすぐ裏の小さい山の頂に目の焦点が合った。

 背の低い烏帽子えぼしのような形をした山で、昔はよく遊んだ記憶がある。

 人気もなく静かで……いい場所だ。


 はからずも最終目的地は決まった。

 ゆっくり西へと傾き始めた太陽を追うように、山へと足を向けた。


―――――


 これまた小さな鳥居をくぐって山道を登る。

 18年この土地に住んでいたが、この山には何がまつられているのかを知らなかった。

 まぁ今更か、と呟き更に山を登る。

 昔はどう遊んだっけ。

 虫取りや木登りは記憶がある、かくれんぼもしたな、秘密基地は完成させたんだったか。

 足元に咲いたこの花はなんて名前なのだろう。

 やっぱり今日は蝉がすごいな、大合唱だ。

 山を登る、登る。


 気が付けば山道を8割ほど踏破し、日も暮れかけていた。

 高く茂る木々が影を落とし始め、街灯と街灯の間の闇は徐々に濃くなっていく。

 ここいらが潮時かと一度足を止めたが、再び足を動かす。


 なぜか、この山を登りきりたかったのだ。

 生まれ育った小さな町を見下ろす小さな山、その景色を最後に見たい。

 どうしてか、強く思った。


 汗を拭いながら辿り着いた山頂からは、やはり町が一望出来た。

 遠くの商店街や人家のまばらな明かり、夏の薄暮はくぼを映す水田が見える。

 ……狭いせまいと思っていたが、程ほどに広い町、美しい場所だったな。

 100万ドルの価値がある景色ではないが、分相応の良い眺めだ。


 ここで俺は、生きたんだ。

 奇妙な充足感が両足の筋肉の強張りを緩め、呼吸を落ち着かせた。


 さあ、最期の準備をしよう。


―――――


 日の長い夏といえど太陽が沈み切ってしまえば薄暗く、さらに街灯と寂れた東屋が1つあるだけの山頂はさらに黒が濃い。

 ささくれだった東屋の椅子に腰かけ、背負ってきたバッグの中身を漁る……あった。

 礼服用の黒いネクタイだ。

 あの葬式依頼バッグの奥底に眠っていたので、捩じれてシワが出来ている。

 久しぶりに引っ張りだされて最期は首を絞める以上の事をすることになろうとは、このネクタイも思っていなかっただろうな。


 不幸ごとでしか日の目を見ないそれに同情と申し訳なさを覚えつつ、強そうな枝を持つ木を探す。


 ライト機能をオンにしたスマホを片手に少し散策したところ、東屋から少し離れた茂みの中に立派な木を見つけた。

 幹と枝は太く葉が生い茂り、なんとか届きそうな高さに枝がある。

 直観でこれだ、と思った。

 これであれば大丈夫だろう。

 あとはあの枝まで届く高さに昇れるものがあれば……。

 幹の回りを照らしたとき、ひっそりと佇むそれに気が付いた。


 それは小さく古い、石造りのほこらだった。

 この山に祀られている神のものだろうか。

 そういえばこの山の入り口に鳥居はあったが、それらしい神社はなかった。

 とすれば、やはりこの祠がこの山にとって重要なそれなのだろう。

 何が祀られているのかは、その外見からはやはりわからなかった。

 手元のスマホで調べればきっとわかるのだろうが、今更その気にもなれなかった。


 なぜなら俺は、不敬にもこの祠を踏み台にしようとしていたから。


 葛藤かっとうはあった。

 今まで特に特定の神様に信仰というものを抱いたことはないが、神様にまつわるものの上に立つというのはさすがに抵抗がある。

 ただこれから死のうというのだ、片道切符の旅の恥なぞかき捨ててしまえば良いのではないか?

 いやしかし……等々の逡巡しゅんじゅんの末、結論。


 『謝ってから乗らせてもらう』の採用を決定した。

 なんともすごい日本語だ。


―――――

 

 祠の前に腰を落として、目を閉じ手を合わせる。


「お供え物も無しにすみません、今からちと失礼します……もしあの世で会うことがあれば、存分に叱ってくれて構いませんので」

 

 誠心誠意の言葉だったが、祠の主には届いただろうか。

 もちろん返答はなかったが、夕暮れに合わせて鳴きだしたひぐらしの声が妙にまっすぐと鼓膜を揺らした気がする。

 あと何か言いたいこと、言いたいこと……。




「……俺とおふくろ、この土地に住まわせてくれて、ありがとうございました」




 絞りだしたのは、これだった。


「あまり幸せでは、なかったと思います。でも、何とか生きました。俺は18でここを出てしまったけど……それでも今日、やっぱりここが俺の故郷なんだと思いました」


 出来るなら、この先もこの土地に住む皆の事を見守ってあげてください。

 身勝手な祈りを胸の内で唱えて、目を開ける。

 さて、立つ鳥後を濁そう。


「それでは失礼してっ、と」


 祠の屋根に足を掛ける。

 一見して古いのはわかっていたが、石造りだったのが幸いで安定感はある。

 木造じゃなくてよかった。

 名も知らぬ神様、本当にすみません。

 腕を伸ばすと、目標の枝までなんとか手が届いた。

 スマホの電源を切り、地面へ投げ捨てた。

 そして日中に調べておいた方法で、着実に広がる夕闇の中目を凝らしネクタイを輪にして結ぶ。


 よし、離陸準備完了。

 あとは首を輪に入れて、足を投げ出すだけだ。


 ……不思議と何も思い返さなかった。

 よく走馬燈そうまとうを見るといわれるフェーズは、いざ吊ってから体験できるだろうか。

 とにかく今は、何も思わず、何も感じなかった。

 頭のなかはクリアで、鼓動も落ち着いている。

 今もそこらで生を謳歌おうかする蝉の声は遠ざかっていくようだ。

 既に首には黒い帯が巻き付いている。

 あとは、足を投げ出すだけ。

 そして俺は足を……




「ちょっと!」




 突然背後から響いた女の声に、脳が足を止めた。


「ちょっ!ちょっとストップ……!」


 ネクタイの輪から首を外し、振り返る。

 祠の前に、俺を見上げる白装束しろしょうぞくの美人がいた。

 すっかり濃くなった夕暮れの中でもはっきりとわかるくらい白く整った顔立ち。

 肩口で綺麗に切りそろえられている髪。

 30年近い人生で見た中でも、とびっきり一番のキレイな人だった。

 ただ、なぜ白装束なのだろうか。

 紅い帯が映えるが、やはりなぜ白装束……?


「ちなみにあなた今、そこで何をしようと……?」


 こちらの思考を遮るように、美人が恐るおそる訊いてくる。

 整った顔は強張り、漫画で言えば垂れ線と大量の脂汗が描かれていそうだ。

 実際大汗はかいていなさそうだが。


「あー……えーっと、自殺を」

「じィ!」


 端的な俺の回答に、女はギエーと大きなリアクション。

 

「じっ、自殺はちょっと、やめとかない……?」


 引き続き強張った表情で、こわごわとご提案を頂く。


「首吊り……苦しいと思うし、ここではちょっと、やめてほしい、というか」


 いやここじゃなくてもやめて欲しいんだけど、と女。


「あー……やめておいたほうが、いいですかね」

「出来ればというか、やめてくれたほうが、私は嬉しい、かなぁ、なんて」

「うーん、そうですかねぇ」

「そう、きっとやめておくのが吉だよ。……冷静にクールに、ね」


 なんだか必死に引き止められてしまっている。

 今死にそうだった俺より必死に見えて、なんだか可笑しかった。

 ちょっとだけ乗っかってみることにする。


「冷静に、ですか」

「そう、冷静に!でーっと、とにかく一旦そこから降りて、もうちょっと明るいところでお話など。いかがでしょうか……!」


 言葉とは裏腹に女の口調がヒートアップしてきている。

 イケそうだと踏んだのか、ギアが変わったようだ。


「話、ですか。でも何を話せばいいのか、あまり見当がつかなくて」

「話は、話だよ!話題なんて、落ち着けば色々ぽこじゃか出てくると思うから、あっちの東屋で座ってお茶でも、ね!ここ暗いし、ね!」


 ぽこじゃか。

 そして一旦落ち着いて欲しいのはこっちだったりする。

 絶妙なボキャブラリーと捲し立てに、思わず吹き出してしまった。


「なっ、なにゆえお笑いになるので……?」

「いえ、なんだか可笑しくて。お茶に誘うのは古典なナンパっぽくてナウいですね」

「はっ、バっ!……いえ、確かにナンパっぽい誘い文句でした、ごめんなさい」


 あとお茶もこの辺に自販機とかないから出せません、と謎に謝られてしまった。

 なんというか、ズレた人だ。

 やっぱり可笑しくて、口元から笑いが漏れ出す。

 ……なんというか、溶かされてしまったな。

 先程までとは別のベクトルで、色々とどうでもよくなってきた。

 急に山に響く蝉の鳴き声が近く、大きくなったがする。


「はぁ……そう、ですね。立ち話もなんですし」


 後ろでに握っていたネクタイから手を放し、祠から降り彼女の前に立つ。


「じゃあ、座ってお話でもしましょうか。お茶はなくても結構ですよ」


 と彼女に答えを告げた。

 ……が、目の前の彼女からの声は無し。

 なぜかこちらを見て固まっている彼女の様子を見ていると、


「……はぁぁぁぁぁぁ………………………………」


 糸が切れたようにその場に座り込んでしまった。

 よほど緊張していたのだろう。

 空を仰ぐ顔からは、山場を越えたと言わんばかりの安堵が見える。

 なんだかこちらが申し訳なくなってきた。


「大丈夫ですか?手、お貸ししましょうか」

「……ありがとうございます、結構です。あと大丈夫じゃないのは、きっとあなたの方だと思う」


 と、一人で立ち上がる彼女。

 改めて向かい合ったその顔には、先程の安堵とは打って変わって若干の怒気が見える。

 同じ高さに立ってみると、彼女の背は高くなかった。


「そうですね、大丈夫じゃなかったかも」

「そうだよ、すごい場面に出くわしたこっちの身にもなってよ……」

「いやいや、失礼しました。では改めて、こちらからお茶のお誘いを。えーっと」


 言葉に詰まった。

 彼女を呼ぼうとしたのだ。


「名前、教えて頂けますか。俺は犬飼。犬飼稔いぬかいみのるといいます。サラリーマンです」


 彼女を知るために、俺は名乗った。


「名前?名前……そうね」


 彼女は少し考えた後、


「ハナ。私のことはハナと呼んで」


 と、その名を告げた。

 そして次いで、




「神様です。そこの祠の」




 この夏イチバンの剛速球を放ってきた。




 蝉のうるさい、夏の日だった。

 最期と決めた日に、俺は神様をナンパしてしまったのである。

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