戦火が落ちて

 混乱は本社だけに留まらず、国中が大混乱に陥った。突然入った亀裂は瞬く間に街全体に行き渡った。家が壊れたり押し潰されたり。ビルが倒れて道が消えたり。人々の悲鳴が国を覆った。


「王国の人間は気味が悪いな。妖精、もとい魔法はこの世から消し去る。その計画は世界全体で決めたことだ。お前は今、世界を敵に回しているのだぞ」


 ゲオルはそう言ってるが口調はどこか楽しそうだ。アーサからしてみれば十分そちらの方が気味が悪い。


「それにこの女もしぶといしぶとい。これから実験体に使う予定なのに仕上がらなくてな。魔法とやらで身を守っていたらしい。竜が何とかと言っていたな。そんなやつら、島と共に殺したはずなのになあ!」


 ゲオルはアーサの鼻と鼻が触れ合う距離で怒鳴る。アーサは冷静にゲオルを見る。だが体に溜まった怒りを制御できていない。


「おお、歯向かうか。ならば宣戦布告と受け取り、戦争でも始める気か?」

「戦争はしない。だが、お前を今ここで亡き者にする」

「あはは。随分と面白いことを言う。国をめちゃくちゃにしたんだ。我も、同じようにしても文句は言うまい」


 ゲオルは腹を抱えて笑うと勢いよくアーサの腹に刺さったままのナイフを抜く。血が流れて止まらない。それでもアーサは気を抜かず、足は床につけない。


「ならお前が国に手を出す前にここで殺してやる」


 アーサがそう言うと胸元に隠しておいた短剣に手を伸ばす。しかし、それを出すことはしなかった。エレノアの身のことを考えると出すのは危険だと判断したからだ。


「武器もなしに、その上後ろに女を持ったまま戦うか。面白い」


 ゲオルは乾いた唇を舌で舐めて潤すと地面を蹴ってアーサの腹に飛び込んで来た。それをアーサは避けて部屋の外へと出る。目指すは外だ。走る間にアーサはエレノアを前に持っていき、横抱きにする。背後から攻撃されてエレノアに被害が出るのは避けたかったからだ。

 一方で階段のすぐそばでアーサの帰りを待っていたウルは、エレノアを抱えたアーサの姿を見て笑顔になる。が、腹から血を流して全力疾走しているアーサを見て何かが起きたのだと察する。


「ウル! 外へ行くぞ、走れ!」


 ウルが慌てていると、アーサは下を向いたままそう叫んだ。

 ウルはとりあえず頷いて走り出す。決して速いとは言えないが、これでもウルの中では最大速度なのだ。

 何とかゲオルに追いつかれることなく外に出れたが、そこはまるで違う国だった。あちらこちらで火事が起きて子供が泣いている。建物の多くが倒れており、この少しの時間でたちまち姿を変えてしまった。


「本社の入口の方に行くぞ」


 荒い息を吐きながらアーサは言う。腹から流れる血は止まらない。今アーサがこうして立って話して走れてるのが信じられないほどに。

 本社の方は人で溢れ返っており、あちらこちらに行く人同士の押し合いで呻き声がするほど。まるで地獄絵図だった。


「そうだ、フワーチュスとゼオンは無事かな!?」


 呻き声や叫び声、泣き声に負けないような大きな声でウルは言う。その声を聞きつけたのか、本社の陰の方から二人の足音が近づいた。

 傷だらけになったゼオンと、ゼオンよりは怪我が少ないものの多少汚れてしまったフワーチュスがいた。二人は気を失ってとても姫とは思えないほどみすぼらしくなっているエレノアの元に近寄った。

 フワーチュスはスーツの布を引き裂き、それをアーサの腹にやる。エレノアのことでいっぱいで止血してないアーサは、言わないだけで限界を迎える頃だろうとフワーチュスは判断したのだ。それをあたふたしながらウルは見ている。


「こんなにボロボロになって……!」

「兄様、私よりエレノア様を。気を失ってらっしゃるわ。手当するため、まずは家に──」

「逃げるなんて、王国民は本っ当に気味が悪い。ああ、寒気がする」


 いつの間にかフワーチュスの背後に立っていたゲオルがフワーチュスの柔らかな髪を撫でると、その部分の髪を切り落とした。


「な! い、妹になんてことを!」

「新しい妃の贈り物を作ってくれたっていうのに、妃を誘拐する方に力を貸したのか? なんて忠誠心のないやつだ。我こそ絶対だと、知らないのかい」

「知るものか。そもそも僕は生まれたときからこの白竜の味方だし、この子は君のものでもないだろう。勝手なこと、言わないでくれよ」


 ウルは全身を震わせながらも強い目でゲオルに言う。ゲオルはウルのその言葉に何かに納得がいったのか何度も頷き、フワーチュスをウルの方に投げた。そして観察するようにじっくりとウルとフワーチュスとアーサを見る。


「なるほど。あの島の生き残りか。お前たちの勤める会社の社長も後で問い詰めなくてはいけないな。ふむ。でも今は良い」


 ゲオルはそう言うとゆっくりとアーサに近づいてその首筋に剣先を当てる。首筋からは血が滲み出る。狂気的な笑みでゲオルは喜ぶようにゆっくりと剣を持つ手に力を込める。抵抗しないアーサに、とどめだと言わんばかりにゲオルは剣を振りかぶってその体に当てる。が、そのときアーサはそこにはいなかった。


「終わりだ」


 アーサはゲオルの背後に回って両腕を一気に斬り落とす。ゲオルが痛みに悶えている間にアーサはその両腕を魔法で燃やした。それを天高く放り投げ、それは街のどこかへ落ちる。それが爆弾とでもなったのか、その一帯は爆風と炎が包み込んだ。


「……は、戦争はしないと言ったな。だがこれは何か、我の国を滅ぼそうとしている! これは世界の掟の一つであるものを破っているのだぞ!」

「無闇に投げたわけじゃない。お前が大切にしたものを、壊しているだけさ」


 アーサはしゃがみ込んでゲオルの顎を掴み吐き捨てるように言う。ゲオルはその言葉に歯ぎしりをしながらも考え、何かの結論に至ったのか目を見開いた。今爆風が巻き起こった場所。そこはほとんど人が住まない皇族のみが住める高級地だ。つまりは。


「まさか、お前」

「ようやく分かったか。国民はほぼ全員無事だ。お前の大切にしている妻、愛人、子供以外はな」


 ゲオルはその瞬間顔を青くさせて、もうなくなった腕でアーサにしがみつこうとする。アーサはそんなゲオルを蹴った。


「お前と同じことをしたんだ。僕の愛するエレノアを連れ去り、殺そうとした。だから僕も君の愛する者を」


 さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、ゲオルは蹴られその場に仰向けに倒れ込む。腕もなく起き上がれないから空を見上げた。アーサはそんなゲオルの近くに膝をつくと取り出した短剣をゲオルの胸元に近づけた。ウルはフワーチュスの目を隠した。


「一緒に逝くと良い」

「アーサ。もう良いでしょ」


 誰も喋らず人々が避難したため炎の燃え盛る音しか聞こえなくなったこの場所にふと、女の声が届く。アーサとゼオンはよく聞いた声だった。アーサはその声に動きを止めた。


「助けてくれるだけで良かったのに。あなたはいつも何か余計なのよ」


 弱々しい声だけれどちゃんと皆の耳に届く。エレノアは目を瞑ったままだけれど、眉を下げて笑ったように言った。アーサの代わりにそばで見守っていたゼオンは一筋涙を零した。

 アーサはその短剣を手から離してエレノアのもとに駆け寄った。その頬に触れようとしたが、血のついた手ではとても触れない。その手を宙にさまよわせていると、エレノアの手がアーサの手を包み込んだ。ちゃんと、温かい。


「血でべたべたね。すぐ洗わないと落ちないわ」


 エレノアはそう笑うとその目を開けてアーサの顔を見てゼオンの顔を見た。澄んだ紫色の瞳が綺麗に光る。

 二人とも顔は似ていないはずだったのに泣きそうにしている顔は似ていて、エレノアはつい笑ってしまった。


「信じてたわ。助けに来てくれるって。待ってたの。ありがとう」

「エレノア……!」


 アーサが小声で呟くように言い、握られている手に力を込めたそのとき、フワーチュスの叫んだ声がその場に響いた。ゲオルが口でアーサの捨てた短剣を咥えてアーサに近づいていたのだ。


「……全く。油断するなと昔から言っていたはずなんだが」


 突然黒くて大きな体が空に現れた。ルゼだった。ルゼはゲオルを魔法で拘束して空に浮かせる。そしてさらに上へと飛び上がり、魔法で水を生み出して燃えた場所の鎮火をして倒壊した家やビル、道を元に戻した。遠くへ避難していた人々はたちまち時を戻っているかのように戻っていく街を見て、黒竜を神のように拝み出す者まで現れていた。


「両腕はいるか?」


 ルゼは隣であまりの高さに恐怖で慌てているゲオルに問う。ゲオルは恐怖でいっぱいになり、声が震えながらも叫ぶ。


「当たり前だろう、なくては女の一人も愛せない!」

「ふん。それならば片腕だけ返してやる」


 ゲオルの左だけ何事もなかったように腕が戻るとゲオルは急降下していき、地面すれすれの所で止まった。ルゼは空高い所で街を見渡してつい笑ってしまった。被害に及んでいたのはごく一部。怪我をしたりしているのは本当に皇族だけだった。民は被害のない地に避難し、家やらが倒れたものの人の被害はなかった。

 昔、王国で竜が起こしたあの厄災より全然被害がない。


「反省はしていたか」


 ルゼ自身もゆっくりと下がっていくと地に足をつけた。


「頑張ったな。遅くなってすまない。お前たちにも世話になった」


 ルゼの言葉にウルはドヤ顔をして鼻の下を伸ばした。何も知らないフワーチュスは首を傾げる。

 ルゼはエレノアが帝国に連れ去られたことを知って帝国に住んでいるウルに、後々やってくるであろうアーサとゼオンを家に迎えるように頼んだのだ。アーサが懐かしい匂いに辿られるようにシチューを作るようにも頼んで。


「黒竜様、お久しぶりですわ」

「ああ」


 丁寧にお辞儀をしたフワーチュスに素っ気なくルゼは答える。フワーチュスは苦笑いをし、ウルはやれやれと首を横に振る。


「全く。竜ってドライなやつが多いのなんの。ドライさで言えば白竜の方が強い気がするけどなぁ」

「でも、そこも良いんですのよ」

「そういえばなんで君は律儀に白竜を慕い続けるのさ。悪いけど、言っちゃえば君に振り向いてくれる可能性はゼロに近しいのに」


 ウルはおずおずとフワーチュスに聞く。怒られるかと思ったが、フワーチュスは倒れているエレノアの手を握って心配そうに質問攻めしているアーサの方を見て微笑んだ。


「そんなの、誰よりも分かってますわ。私があんなにアピールしても、私より後に出会った彼女を好きになって彼女のために命を捧げた。私の花が彼女と会うための口実に使われたことなんてたくさんあったわ。でも白竜様は誰にも褒められなかった私の花を綺麗だと、踏まれてばかりの花だった私を、美しいと言ってくださった。私の心を奪ってしまったんだもの。他の方に目移りなんかできなくてよ。だけど、私はそれで良いわ。白竜様の人生に私が関われただけで幸せだもの」


 フワーチュスは目に涙を浮かべながらも微笑み続けた。報われない妹にウルは涙を流す。それでも本当に、心から幸せそうに笑うフワーチュスにこれ以上何も言わなかった。


 しばらくして人々が街に集まる前にと、ゲオルをウルたちに任せてアーサたちはルゼの背に乗って王国へと帰っていった。

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