愛するものを守るために

 皇王のいる宮殿は大聖堂から少し離れた場所にある。大聖堂には皇王の権限が届かないこともあって、それぞれを近くにすると特に貴族がうるさいのだ。

 皇王ルウィトルはいつもとは違う空気を吸い込んでため息を吐く。争いごとは嫌いだというのに。


 皇王がいるのは、まるで教会の中のような広い空間に大きなステンドグラスの窓が存在を示す神聖な部屋だ。重たい豪華な扉をノックする音が部屋全体に響いた。


「皇王陛下、ご報告したいことが」

「ああ。分かってる。聖女が必要のないことをやろうとしているのだろう。心配する必要はない。それとお客二人を私の部屋まで連れてきなさい」

「ど、どうしてそれを」

「ふふっ。この国で私に隠し事はできないことをよく知っているだろう」

「……分かりました。お二方をただいま連れて参ります」


 部屋の前まで来たのはルウィトルに幼少期から仕えている年老いた執事だった。長年の経験から執事はルウィトルに何も言うことなく踵を返し、宮殿の前まで来ていた王族を迎えるべく外へと向かった。

 一方でルウィトルは一人用の王座とも言えるような豪華な椅子に腰掛け腕を組み、目の前に広がる陽の光に照らされている赤い絨毯に目をやった。


「これだから私は教会が嫌いなんだ」


 そう呟いている間にまた扉がノックされ、ルヴィトルが声を発する前に扉が開かれた。


「これはこれはアーサ王。お目にかかれて光栄だ」


 ルウィトルは椅子から立ち上がって両手を広げた。双方微笑んでいるが偽りの笑みだということくらい、エレノアにも執事にも分かった。


「貴殿の所でエレノアを匿って欲しい」

「……戦争を始める気なのかな」

「いや、戦争はしない。その前に僕が止める。止めなくては、いけないから」

「承知した。と、言いたいところだけど私も無理そうだ」

「それは、なぜ」

「白竜は封印しなければならない。それが皇国としての決断だ。聖女の勝手な行動は許されない。それに、皇国で起きたことは私が片づけねばならないだろう」

「僕がやります。だからエレノアを、お願いだ」


 アーサは一歩一歩とルヴィトルに近づいて懇願するも、ルヴィトルはその首を決して縦には振らなかった。

 ルヴィトルこそその戦場に立ち向かわなければいけなかった。皇王として皇国がやってしまったことの処理はもちろん、聖女への処罰も皇王のすることだ。そして白竜の封印は神に近しいものでないとできないことだ。

 過去、死んだ白竜を現世に戻し、肉体を封印したのが当時の聖女であった。そのため大聖堂の敷地内で白竜の封印は聖女、大聖堂の司教の責務であった。

 何があっても封印を解いてはならない。それがもたらすのは世界の崩壊のみ。

 そう、神に仕えし者なら教わってきたはずだ。

 ルヴィトルは違和感をずっと感じていた。今までないほどの力を持った聖女。

 何を企んでいるのかは分からないが、ここで王国を滅ぼしてしまえば戦争の始まりだ。それは何がなんでも避けねばならないこと。


「ならアーサ王がここにいれば良い。僕は行かなくてはならないんだ。聖女が使い物にならない今こそ」

「そういうわけには」


 アーサこそルヴィトルのように行かなければいけない理由などなかった。それでも、エレノアを置いてでも行きたいのには理由があった。

 自分の犯した罪のせいで世界を壊すことになるなんて、それこそ自分で自分を許せなくなってしまいそうで怖かったのだ。

 どうしても、何があってもこの手で自分の本体を止めなくてはいけない。自分のことを一番理解してるのは自分だ。

 白竜を止められるのはアーサしかいないのだ。


「……これではエレノアを守れない」

「それでは、ビネシュ。エレノア嬢をお願いしてもいいかな」

「執事にか? エレノアはもっと力のあるやつが」

「ビネシュはこの宮殿で一番信用できる人間だ。この部屋に簡単に人は入って来れない。ましてや宮殿にすら一般人は入れないからね。確かに強い力を持つわけではないが、それなりの護身の心得はある」


 ビネシュと呼ばれた初老の執事はエレノアの斜め後ろに立ち、その手を胸に添えてお辞儀をした。

 ルウィトルの幼い頃から仕えている執事だと聞いたアーサは渋々それを許した。それでもエレノアの手を握る左手は少し震えている。エレノアはそんなアーサの不安を少しでも拭おうと握られている右手に少し力を込めた。


「私なら大丈夫よ。魔法があるもの。あと、ゼオンが聖女と一緒にいるの。ゼオンも一緒に帰ってきてね。待っているわ」

「ゼオンが? そうか。ゼオンは、利用されたのか」


 アーサは顎に手を置いて視線をさまよわせる。しばらくした後、エレノアの方を向いて強い眼差しで互いの瞳に互いの姿を映す。


「約束する。誰一人欠けずに帰ってこよう。それがエレノアの望みなら、叶えるまで」


 アーサは頷いたエレノアに微笑み返すと反対側にいる皇王に向き合う。


「別れは済んだかな。では行こうか。白竜が目を覚ましてしまう」


 皇王はビネシュと少し話をしてアーサと共に宮殿を後にした。

 広い空間に置かれた大きなソファに腰掛け、ビネシュが用意したお茶に息を吹きかけて飲みやすい温度にしても、口元にお茶は入らない。不安と恐怖が口まで這い上がってきそうで、信じているはずなのに怖さは拭えるわけもなく。

 何事もなく終われるように祈るしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る