歪んだ愛情は純粋な心で

 暗闇にいた。深い深い闇の中。大きく発した声すら、響かない。


 ここが、所謂地獄というやつだろうか。


 まあ致し方ないだろうと諦めがつく。それほどに、大罪を成したのだと自分に言い聞かせる。


 いやだめだ。ここに囚われてしまえばもう二度とあの子を守ることができない。それは嫌だ。せめて、魂だけでもあの子の傍に。いさせてはくれないだろうか。


 そんな愚かな願いさえも、神は叶えた。その時、彼は本当に神が存在するのだと思った。信じる気もないし拝める気にもならないが、長い命の中で確かに願いを叶えて救ってくれる運命があるのだと気づいた。


「お前にとって、あの女は何か」


 そんな男のように低くとも女のような上品さも兼ねた声が前後左右、彼を取り囲むように聞こえる。

 声の主も分からぬまま、彼は正面を向いて答えた。


「この命より、何より大切な存在だ」


 その答えに声の主は満足したのか長く笑い続けた。


「そうか。あの女はまたこの世界に生まれ落ちる。それが未練か、呪いかは分からんがな。ただ、また悲劇にあうのは免れぬ。救いたいだろう。今度こそな」


 その問いに彼は「ああ」と唸り声のような声で返事をする。それに含まれるのは自分への怒りか悔しさか。


「条件をやろう。魂は戻してやる。だがお前の魂の入る器はお前が一番憎む者だ。そして、その立派で珍しい白色の体は置いていけ。これが条件だ」

「それだけで、それだけで僕は、あの子の元に戻るのが許されるのか?」

「それだけ、か。これを呑むか呑まぬかは己次第。さあどうする」

「体くらいくれてやる。あの子を、僕に守らせてくれ」


 その強い意志に声の主は無邪気に笑ってみせると暗闇がたちまち光に包まれた。眩しい視界の中、また声だけが彼の耳に入る。


「その不器用な愛で、精々守ってみることだ」


 そうして、白竜はその罪を身体に残したまま魂を彼女の元に、やるべきことの残る場所に戻った。


 ◇◆◇◆◇◆


 アーサは目の前で気まずそうに顔を逸らすエレノアを見つめていた。

 ルゼはあのとき、へリーゼにどんな感情を抱いていたんだろうか。今は、どんな気持ちなのだろうか。

 それに対して自分は。何だか殺そうとしていた自分の方がへリーゼやエレノアに心を奪われてしまっているようで、何だか気恥しい。


「アーサも、ルゼと同じだったのね」


 ぽつりと呟くようにエレノアが言う。


「僕があいつと?」

「ええ。ずっと、その過去に囚われている。今なら妖精が過去のことを聞いて嫌がったのが分かる。人間のこと好きだったのに、嫌いにならなければいけなくなって。身勝手な人間よ」

「……違う。僕ら妖精が悪いんだ。人間とは違う力を持って、そのせいで国を滅ぼし、世界をめちゃくちゃにした。人間だけいればこの世界はもっと上手く回った」


 アーサは立ち上がって終わりのない空を見上げた。精霊はそんなアーサを心配そうに見る。時が流れていたって、姿かたちが変わっていようと昔同じ時を共にして二人の竜の行く様を見届けていた同族でもあるのだ。


「そんなことないわ。‎妖精がいたことで王国の森は生き返った。他にも妖精がいたことで良かったことなんてたくさんよ。だから、そんなこと言わないで」

「君は、君の心はずっと綺麗だ。誰よりも、昔から変わることなく」


 アーサは懐かしむように目を細めながら言う。エレノアは苦笑した。アーサには過去の記憶がある。それでもエレノアにとっては他人のような話であって、それはエレノアであってエレノアでない人間の話だ。理解することのできない話に笑いを零すしかない。


「……違うよ、エレノア。僕たちは今世で、お互いが幼い頃会ったことがあるんだよ」

「え? そんなはずないわ。だって、私はお父様に外へ出ることは禁じられていたもの。幼い頃なんて、特に」

「僕は覚えてる。まだ君が王族であったとき。だから四つくらいの歳のときだと思う。その日に、王族が僕らのいた村に来たんだ」


 エレノアはそんなことあったかと忘れてしまった記憶を引っ張り出す。アーサはそんなエレノアを見て微笑むと目を閉じて口を開けた。


「まだあの頃は気がかりで、本当にここにへリーゼの魂を持った子がいるのか。魔力も奪われた僕に何ができるのかとか、そんなことばかり考えて、可愛げのない子だった。先王がヴィエータを滅ぼそうなんて言って噂を立てたから偵察に王、君の父上がその足で村に来たんだ」

「お父様、自ら?」

「うん。そこに君もいたんだ。村近辺まで王族の威厳を示すためにね。そして僕と君は出会った」


 エレノアは驚きながらも頷いてその話を聞く。なぜだろうか。記憶でも消されたのだろうかと思いながらエレノアは聞いていた。


「君は僕のことなんか覚えてなかった。当たり前だけど、全く違う人間になっていた。へリーゼは高貴な話し方ではなかったし凛としていなかった。ほわほわってした雰囲気で、君とへリーゼは全く違う。でも、それでも僕は心奪われたんだ。初めてへリーゼと会ったときと同じ心の痛みを感じた。僕はつい、君に近づいて話をしてしまったんだ」


 若気の至りだと言うようにアーサは笑って言う。そんな記憶が湧き出てこないエレノアは必死に頭を巡らせる。

 エレノアは外出を禁止されていた。だから、同じ歳頃の人と話すことなんてなかった。だからこそアーサと話した記憶が必ずあるはずなのに。なぜ忘れてしまっているのか、謎が深まるばかりだ。


「どんな話をしたの?」

「話というか、僕が一方的に言葉を投げただけなんだけどね。僕が絶対君を守るからって言って、でも当然周りにいた騎士たちに追い払われてしまったんだけど、君が僕に近づいてこれをくれたんだ」


 そう言ってアーサは右手の小指につけた銀色の指輪をエレノアに見せた。そして愛しむようにそれを見つめる。


「いつか大人になったら、これを見せて私のことを守りなさい、と笑顔で言ってくれたんだ。僕は、初めてへリーゼと会ったときと同じ心の痛みを覚えた。そのときからへリーゼを守るために生きるのではなく君、エレノアを守ろうと思った。君に恋をしたんだ」


 アーサは少し赤らんだ顔でエレノアに微笑んで言った。

 エレノアは分からなかった。そんな記憶がないし、アーサには散々嘘を吐かれた。騙された。危険な目に遭わされた。それでも、なぜかその言葉には真実を帯びているようでエレノアはその瞳を揺らした。


「私、やっぱ覚えてないわ。本当なの?」

「君が覚えていないのは当然だ。君の父上が、その記憶を消したから」

「記憶を消した……?」

「君も、ルゼの魔法をあのとき見ていただろう。昔あの森に行ったとき、ルゼは僕たちに記憶を消す魔法をかけた。あれと同じものだよ。さっぱり、頭の中にはないだろう? こんな記憶」


 それなら納得がいくとエレノアは思ったが、同時に心が苦しくなった。

 魔法は便利だ。不可能を可能にしてくれる。それでも時にそれは人に後悔を与える。いくら父親だとはいえ、勝手に記憶を消されたことに対して怒りを覚えた。


「とても、残念よ。覚えていられたら、きっとあのときだって、私は」

「良いんだ。僕が覚えている。忘れることはない。一生で一番の思い出だ」


 お互いの距離は縮まらない。立場も。それでも、今この瞬間遠くに離れすぎていた二人の心が少し近づいた。

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