嘘の真実

 アーサは戸惑っていた。どこまで話して良いのか。話したところで納得してくれるのか信じてくれるのか。分からなかった。嫌われる、もうだいぶ嫌われてしまっているとは思うが、これ以上突き放されるようなことは嫌だった。


「話したくないのなら無理に話さなくて良いと、いつもルゼには言ってるわ。あなたもルゼも、そんな顔をしている。その心に重たい鉛でも入ってるかのような、そんな苦しそうな顔をするの。そんな顔、しないで欲しいのに」

「それは君が思っている以上に深刻なことだから、あれも言うのを渋っているんだ」


 エレノアの優しさが今は痛かった。その優しさに応えてやれないのが、たまらなく。


「君は、本に書かれてるどこまでが真実で嘘か。疑問に思ったことはある?」


 アーサの突然の問いかけにエレノアはゆっくりと首を一度だけ振る。本に書かれているものは全て真実だと教わった。本に書いてあることを成せばそれが正しいと教わった。

 本は、エレノアの中で人生の道標であり、心そのものだった。

 そんな本に書かれているものが嘘なんて。信じたくもないことだった。


「今第一神区を治めているのはシェレビアだ。それは事実。そしてその前は君の家族が治めていたヴィエータ。そらにその前はシェレビアが。これは紛れもない事実だ」


 淡々とアーサが喋り出す。エレノアは、なぜ自分と同じ年だけ生きているアーサがそんなに断言して歴史を話せるのか疑問に思ったが、今はそんなこと考えずにアーサの話を聞くことにした。


「厄災の竜。あれは黒竜だって言われているから、君もルゼがやったのだと思っているだろう。でも、違うんだ。厄災の竜と呼ばれるべきなのは黒竜じゃない。白竜だ」


 アーサはまるで自分の罪を悔いるように歯を食いしばりながら、その口の中が血の味でいっぱいになるのを感じながら息を吐いた。


「国を滅ぼすのは禁止されていた。ましてや契約者がいるかもしれない土地を滅ぼすなんて以ての外。だけど、白竜はそのとき大事なものをそいつらに奪われたんだ。理不尽な、馬鹿な理由で。禁術を使った。禁術っていうのは自分の命を代償にして使う魔法だから禁術って言われているんだけど。それを使って、国を滅ぼした白竜がいたんだ。ただ、大事なものが作ってくれた大事な場所だけ残して、滅ぼした」

「……まるで自分がやったかのように話すのね」


 エレノアの呟くような声にアーサは目を見開く。何を話そうか迷った挙句、考えながら話したせいかまるで体験談のように語ってしまった。

 せっかくエレノアに信じてもらえるように考えていたのに。意味がなかった。


「あ、いや、僕はシェレビアの城にあった本を読んだだけで、その」

「ふふっ、いいのよ。別に責めてるわけじゃないから。それにしても、その白竜さんが国を滅ぼそうと思うくらい大事なものってなんだったんでしょうね。そんなに大事なものなら、私も一度見てみたいわ」


 エレノアは冗談を言ったように微笑む。アーサは時が止まったかのように、心臓を掴まれた。

 アーサが大事に思っていたもの。何よりも大事で大切だった存在。それが目の前にいるんだと伝えたら、エレノアは何と言うだろうか。また気味が悪いと距離を置かれてしまうのだろうか。

 今なら、少し近づけば触れられる距離なのに。心はまるで厚い壁で隔てられているかのように遠い。


「……自分のせいで、何もかも」


 アーサは息を吐くような声で言う。そんな小さな声もエレノアの耳にはちゃんと入った。


「ルゼと同じね。ルゼもよく過去の話をした後に自分のせいだって言うのよ。全く、そんなに自分のせいにして楽しいのかしら。それが趣味だったりするの? 自分を追い込んだりなんてして」

「ちがっ、そんな訳じゃ」

「それが自分のせいだとしても、何年も何年も抱え込む必要なんてないのではないの? その誤ちがあったおかげで今の世界がある。私が、あなたが生きてる。悔やむことなんてないわ」


 それでも尚、俯くアーサにエレノアは頬を膨らませてその頬を両手で掴んで無理矢理に顔を上げさせた。アーサの瞳は揺れている。何が正しくて何が間違いなのか、もう何も分からない。


「良いこと? 人は必ず死ぬの。それが妖精でも国でも世界でも。永遠なんてものはこの世に存在しないの。何もかもがいつの日か事尽きるのよ。それが運命なの。あなたが何者かルゼが何者か。そして私が何者か。そんなこと分からない。でも今を生きなきゃ、時間は戻ってこないでしょう。今、幸せにならなきゃ」

「……僕は、正しかったのだろうか。守らなきゃいけなかったのに、僕は無力だった。僕は汚いんだ」


 アーサの手が震え出す。最後まで自分を認めなかった。心のどこかで正体の分からない気持ちの正解は出ていた。でもそれを見ないふりして、嘘の言葉で捩じ伏せて。結局気持ちを伝えられずに奪われてしまった。

 それならいっそ、自分が会いに行かなきゃ幸せになれたんじゃないかと思った。

 同じ人間の恋人ができて、結婚して子供ができて。しわくちゃになって家族に見守られながら天へ旅立つ。そんな当たり前の幸せを、送れるはずだった。


 エレノアはアーサが何に迷い怯えているのか何一つ分からない。けれど、きっとそれを軽くすることはできる。そう思ってその震える体を腕の中に閉じ込める。まるで捨てられた子犬を抱くように、優しく温かく。もう大丈夫なのだと言うように。


「エレ、ノア」

「深呼吸してみて。それが正解かどうかなんてやってみなきゃ分からないわ。だから、行動するってすごく大事だと思うの。守れなかったとしても、そう思って悩んでくれることはきっと幸せなことだと思うわ」


 アーサは深呼吸をしようとして、つう、と頬を伝う物を感じた。そう気づいた瞬間目から涙が止まらなくなった。悲しいとかそういう感情じゃないのは確かだ。でも、なぜ泣いてるのか分からない。

 しかも女性の前で涙を流すなんてなんてみっともないのだろうか。それも、エレノアの前で。だが、そんなアーサの考えとは裏腹に涙は引いてくれない。

 エレノアはアーサを慰めるように、背中を優しく叩く。


 アーサが久しぶりに泣いて疲れたのか、何なのかは定かではないがいつの間にかエレノアの腕の中で眠ってしまっていた。

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