花は枯れて

 竜には名前をつけてはいけないと昔から暗黙の了解があった。人よりも莫大な年月を生きなければならない竜。名を与えて執着せぬよう、自己を意識しすぎないように名は与えてはいけないと。

 名をつけることを許されたのはその竜の契約者のみ。契約者と同じときに死ぬ。その命を実感させるためなのか名をつけるという決まりが誕生した。


 そんな中、契約もせずに竜に名をつけた一人の少女がいた。

 その少女の名をへリーゼといった。当時妖精は人間の相棒となるような契約関係を築いていたため、一人につき一体の妖精だったが、へリーゼはそれは多くの妖精に愛された。へリーゼは王国の街で花屋を営んでいた。

 へリーゼは優しい子だった。長い茶色の髪は美しく靡き、その見た目からも性格からも様々な人に愛された。その街の決まりで既に婚約者がいたが、それでも求婚が来るほどに絶大な人気を誇り。


 しかしそんな彼女を消したのが当時の王だった。


 妖精には居場所がなかった。そのため、契約する相手を見つけるか一緒に住ませてくれる人を見つけるかのどちらかだった。契約者を見つけた妖精は相棒のいる場所に住むことができたが、人間とは遥か長い時間を生きる妖精。定住できる場所などなく、心のどこかでは生きにくさを感じていた。

 へリーゼはそれを変えた。整備されていない荒れた森の一部を妖精に提供した。王でもなかったためそんな権限あるわけなかったが、当時の王は世の統治を諦めたような王だった。へリーゼは申告もなしに妖精に手渡してしまったのだ。

 平民には決定する自由すら与えられていなかった時代。へリーゼは王族に歯向かうような行動をとったのだ。

 へリーゼと妖精は自分たちの手で森を綺麗にしていった。木が枯れ、草木が美味しげらない土地が妖精のおかげなのか、瞬く間に美しい自然を取り戻した。


 だが、これが不幸を招いてしまう。急激に変わった森を見て怪しいと思った王が国で一斉に調査を始めた。

 へリーゼは妖精を家に匿った。一人しか住んでいなかった家は既に定員オーバーだ。竜や体の大きな妖精には魔法を使ってもらい、小さくなってもらう。変に脈打つ心臓を押さえながらその時が過ぎるのを待った。


 無事に調査は終わった。へリーゼは怪しくないと国の兵士に認められ、へリーゼの容疑は晴れた。


 そう、喜んでいたとき。

 なぜかへリーゼの死刑が公表された。


 へリーゼは牢屋に長いこといた。いつ自分の首がはねられるか不安に思っていた。けれど、そんな悩みを抱えている間にも死刑は執行されていた。

 一日一回出てくる食事。そこに毒が忍び込まれていた。だんだんと手足が動かなくなり、喋れなくなり、息が苦しくなり。強烈な毒には体が慣れるわけもなく、死んだ。


 最期にへリーゼは願った。

 許されるのであれば、もう一度に会いたかった、と。

 しかし、喋ることのできなくなった体ではその声は残念ながら誰にも届くことなく、儚く散っていった。


 ◇◆◇◆◇◆


「ルゼにリーヴァ! 今日は二人で来てくれたの? 嬉しいわ」


 嬉しそうに笑ってみせた少女へリーゼの方へ、ルゼとリーヴァと呼ばれた二人の少年が不機嫌そうに歩いてくる。


「僕は一人で来てたのにこいつがついてきたんだ。安心して、僕が先に来ようと思っていたから」

「はっ、俺が準備し始めたらお前が急いで出ていっただけだろ。何言ってんだか」


 そうやって二人はまた言い争いをする。いつもの日常茶飯事の出来事にへリーゼはつい苦笑いを零す。


「どちらにせよ来てくれたことには変わりないんだし。まだお店開いてないから裏から上がってね」


 へリーゼは表にある緑の可愛らしい扉ではなく、店の左側にある階段を上って木造の扉を開けた。ふわっとお花の匂いが全身を取り囲む。全体を黄色と緑色でまとめられたリビングが扉の先に広がった。

 一階がお店、二階が居住スペースになっているへリーゼの家。理想の女の子の家と言っても良いような可愛らしい内装だ。


「君たちが来るだろうと思ってお菓子作っておいたの。二人分ちゃんと用意したから喧嘩せず食べてね。私、お店の準備してくるからゆっくりしてて」


 へリーゼはお菓子がたくさん乗った皿をテーブルに置いて店の準備をしに下に降りていった。

 リビングに残された二人は静かに目を合わせた。先に目を逸らして皿に乗るお菓子を見たのはリーヴァだ。


「わ、僕の好きなタルト作ってくれたんだ。君はこのケーキ好きだったよね。僕の分あげるからこのタルト僕にくれよ」


 リーヴァはフルーツがたくさん乗ったタルトを指さして微笑む。その微笑みの下に潜む欲望が溢れ出しそうになっているのにルゼは気づいていた。

 ルゼもそんなリーヴァの表情に許諾してしまいそうになる。しかし、ヘリーゼは二人で喧嘩せず食べれるようにとわざわざ二人分に作ってくれたのだ。それにタルトだって食べたい。

 ルゼは首を横に一度振ってリーヴァを睨んだ。


「いいや、俺もタルトを食べたいし我慢しろ。またいつでも食べれるだろ」

「そうかもしれないけど今日のタルトは今日しか食べれないだろう? それに明日何があるか分からない」

「何言ってるんだか。良いか? へリーゼは二人分にわざわざやってくれたんだ。言うことを聞いとけ」


 ルゼは頬を膨らませるリーヴァを無視して椅子に座る。バターの甘塩っぱい匂いがするクッキーに手を伸ばした。


「笑えるね。あの黒竜がこんなになってしまうなんて。同族に見せてやりたいよ」

「こっちのセリフだ。人間に誰よりも興味がなかったお前が人間に会いに来るようになるんだからな」

「人間に興味がない? 当たり前だ。人間は嫌いだ」

「じゃあへリーゼは。あいつも人間だ」

「……あの子はお前が気に入ってるからいつかめちゃくちゃにしてやろうと思ってるだけ。まずは仲良くなって油断させてその細い首に爪を突き刺して」


 リーヴァは自分の鋭い爪に視線を落としながら震えた声で言う。その言葉にルゼは腹が立ち席を立った。


「もう一度言え」

「は? だから、へリーゼの首にこの爪を刺すんだ。あの子はそれで、息ができなくなって──」


 リーヴァは言葉が喉に詰まったのか言葉が出なくなった。いつの間にか手が震えている。そんな様子をルゼは冷ややかな目で見ていた。


「そんなことは俺がさせない。あいつは俺が守る」

「なんで、なんで人間なんかにそんな情が湧いたんだ。なんでへリーゼに」


 恐る恐るといったようにルゼを見上げるリーヴァ。ルゼはため息を深くついてまた座り直した。


「さあな。長く生きていれば変なことも起こるもんだ」

「答えになってないし、僕も君もそこまで長い時間生きてないだろ」

「いつかお前にも分かるときが来るさ」

「なんだよそれ。さほど歳も変わらないのに歳上ぶりやがって」


 ルゼは不機嫌になったリーヴァを笑いながらサクサクのタルトを口に入れた。

 下で扉についている鈴が鳴る。どうやら開店したようだ。子供の声、老人の声、この花屋は様々な人が集まる。その中心にいるのはいつだって花のように満開の笑顔のへリーゼがいた。


 ◇◆◇◆◇◆


 ルゼは目を覚ました。穏やかな風が頬を撫でる。重たい体を起こして欠伸をする。


「おはよう。年寄り黒竜。この大樹のせいで目覚めが悪いだろ?」


 胡散臭い笑みを浮かべた金髪の人間が微笑みかける。その微笑みは今見た夢で出てきた男によく似ていた。


「まだいたのか、アーサ・シェレビア。……お前だってこんな場所にいて平常でいられるはずがないのにな」


 乾いた笑いを零したルゼは終わりのない遠くを見る。久しく青空を見ていない。不思議な色をした空と不思議な色をした大樹に囲まれるここは、ルゼにとって戒めの場所でもあった。


「僕、君といるのはあまり好きじゃないんだ。エレノアの所へ行ってくるよ」


 そう言って踵を返したアーサの背後を見ながらルゼは口を開けた。


「お前は変わらないな。良くも悪くも」


 その言葉にアーサは振り返らずに立ち止まる。


「いいや、僕は変わった。もう失敗しない。今度こそ守るんだ。そのために生まれ変わった。王族にまでなってこの座を手に入れた。あの子を守るためなら地獄に落ちようとも、世界を滅ぼそうとも構わないさ」


 アーサはそのまま立ち去っていった。ルゼはそんなアーサを見てため息をつく。


「……変わってないじゃないか。何も」

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